八幡さまの流鏑馬が午後1時からあるというので、ワイフといそいそ出掛けました。昼食は最近よく利用する、鎌倉駅に近い、中華の山下飯店に決めていました。五目焼きそばとチャーハン、それに餃子を頼むつもりでお店に入りました。12時前だというのに、ほぼ満席でした。
いつもは大部屋に案内されるのですが、そこが混んでいたようで、囲いのある”個室”のテーブルに案内されました。とても落ち着く席です。ボクはこうゆう席に案内されると、ゆっくりしたいと思い、必ずお酒を頼んでしまいます。
てなわけで、ボクは冷酒を、ワイフには無理矢理(笑)、生ビールの小を頼んだのでした。そして、お料理も変更、二人で4品となるランチメニューを。お酒もきて、乾杯しようとすると、ワイフが”今日は9月16日だよね、結婚記念日だ”と声を発します。
我々夫婦は、結婚記念日を(バースデーも)特にお祝いをしない習慣ですので、今の今まで気づきませんでした。じゃー、この昼食をお祝い会にしようと、おめでとうの乾杯をしたのでした。でも、その後の会話に結婚記念日関連の話題はゼロ、淡泊な夫婦です。
流鏑馬の日が結婚記念日だった、このことに気づいてボクはなんだかとても嬉しくなりました。ボクらが結婚式を挙げたときは、9月16日とゆう日は何の意味をもっていなかったのです。せいぜい、語呂合わせの好きなボクが、9月16日は”悔い無い日”(悔いは9、1、無は”六つ”)と得意そうに友達に話していたことくらいだったのです。
そして、30年もの月日が流れ、結婚当時は考えもしなかったけれど、2年ほど前から、ボクらは八幡さまのある鎌倉市に住むようになりました。”流鏑馬の日に結ばれた子、この指とまれ”と八幡さまが呼んでくれたのかもしれませんね。ボクの推測では、新たに鎌倉市民になった人の多くは9.16関係者だと思います。
ボクらの結婚式の日は、こんな暑くなかったはずだと、なるべく日影を選んで、八幡さまに辿りつきました。な、ななんと、すごい人出。これでは馬上から矢を放つ流鏑馬の肝心な場面を観ることができません。近くの巫女さんに、”ボクらは流鏑馬の日に結婚したものであるぞよ、特別のお席を用意してたもれ”とお願いしたのですが、”馬小屋レストランの窓側の席なら開いてございます。人参サラダ、乾し草スープが人気でござりまする、舟和の馬糞羊羹もぱさぱさした食感がたまらないと、食通の方や創作お菓子研究家の方がよくお見えになります”とケムに巻かれてしまいました。さすが、ここの巫女さんは違う、と思いました。
1時開催と言っても、なかなか始まりません(実際は見えない所で神事が進んでいるのです)”源頼朝がなんだらかんたら・・””Minamoto Yoritomo iiotoko izu no nirayama de masako to iinakani kekkon kinenbi wa kyo(uso)・・”と日英両国語で説明が長々と続きます。外人観光客が結構多いのですよ。
そして漸く2時過ぎに。たたたたたたたっと弓を張った射手を載せた馬が駆け抜けて行きます。でもボクらの視界はわずか前方の5メートルだけです。あっ、という間に視界から消え去ります。すぐその後、”第三の的命中~”と言うアナウンスの声と観衆の大歓声が聞こえてきます。
文治三年(1187)から源頼朝公により始められた、800年もの間受け継がれてきた、伝統的な流鏑馬神事を祝うことができ、それも、ボクらの結婚記念日と一緒に祝うことができ、とてもハッピーな1日だったのです。
・・・
デジカメの電池が切れていて、流鏑馬風景を撮ることが出来ませんでした。そこで、以前撮った、八幡さまの舞殿で行われていた結婚式の写真を載せることにしました。この日も、この舞殿で流鏑馬神事の一部が執り行われていましたよ。
いつもは大部屋に案内されるのですが、そこが混んでいたようで、囲いのある”個室”のテーブルに案内されました。とても落ち着く席です。ボクはこうゆう席に案内されると、ゆっくりしたいと思い、必ずお酒を頼んでしまいます。
てなわけで、ボクは冷酒を、ワイフには無理矢理(笑)、生ビールの小を頼んだのでした。そして、お料理も変更、二人で4品となるランチメニューを。お酒もきて、乾杯しようとすると、ワイフが”今日は9月16日だよね、結婚記念日だ”と声を発します。
我々夫婦は、結婚記念日を(バースデーも)特にお祝いをしない習慣ですので、今の今まで気づきませんでした。じゃー、この昼食をお祝い会にしようと、おめでとうの乾杯をしたのでした。でも、その後の会話に結婚記念日関連の話題はゼロ、淡泊な夫婦です。
流鏑馬の日が結婚記念日だった、このことに気づいてボクはなんだかとても嬉しくなりました。ボクらが結婚式を挙げたときは、9月16日とゆう日は何の意味をもっていなかったのです。せいぜい、語呂合わせの好きなボクが、9月16日は”悔い無い日”(悔いは9、1、無は”六つ”)と得意そうに友達に話していたことくらいだったのです。
そして、30年もの月日が流れ、結婚当時は考えもしなかったけれど、2年ほど前から、ボクらは八幡さまのある鎌倉市に住むようになりました。”流鏑馬の日に結ばれた子、この指とまれ”と八幡さまが呼んでくれたのかもしれませんね。ボクの推測では、新たに鎌倉市民になった人の多くは9.16関係者だと思います。
ボクらの結婚式の日は、こんな暑くなかったはずだと、なるべく日影を選んで、八幡さまに辿りつきました。な、ななんと、すごい人出。これでは馬上から矢を放つ流鏑馬の肝心な場面を観ることができません。近くの巫女さんに、”ボクらは流鏑馬の日に結婚したものであるぞよ、特別のお席を用意してたもれ”とお願いしたのですが、”馬小屋レストランの窓側の席なら開いてございます。人参サラダ、乾し草スープが人気でござりまする、舟和の馬糞羊羹もぱさぱさした食感がたまらないと、食通の方や創作お菓子研究家の方がよくお見えになります”とケムに巻かれてしまいました。さすが、ここの巫女さんは違う、と思いました。
1時開催と言っても、なかなか始まりません(実際は見えない所で神事が進んでいるのです)”源頼朝がなんだらかんたら・・””Minamoto Yoritomo iiotoko izu no nirayama de masako to iinakani kekkon kinenbi wa kyo(uso)・・”と日英両国語で説明が長々と続きます。外人観光客が結構多いのですよ。
そして漸く2時過ぎに。たたたたたたたっと弓を張った射手を載せた馬が駆け抜けて行きます。でもボクらの視界はわずか前方の5メートルだけです。あっ、という間に視界から消え去ります。すぐその後、”第三の的命中~”と言うアナウンスの声と観衆の大歓声が聞こえてきます。
文治三年(1187)から源頼朝公により始められた、800年もの間受け継がれてきた、伝統的な流鏑馬神事を祝うことができ、それも、ボクらの結婚記念日と一緒に祝うことができ、とてもハッピーな1日だったのです。
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デジカメの電池が切れていて、流鏑馬風景を撮ることが出来ませんでした。そこで、以前撮った、八幡さまの舞殿で行われていた結婚式の写真を載せることにしました。この日も、この舞殿で流鏑馬神事の一部が執り行われていましたよ。