
出航してから3日目、7月25日の朝、最初の寄港地、小樽に到着した。小樽の街は”潮まつり”が港の前で開かれていて、我々を歓迎してくれた。市長さん、ミス小樽のお嬢さんたちによる歓迎式典も行われ、我々はプロムナードデッキでその様子をみていた。


いくつかのツアーが組まれていたが、われわれは自由に市内を散策することにした。小樽は3度ほど来ているし、だいたい様子もわかっているので、有名な、倉庫の建ち並ぶ運河周辺や寿司屋通りや北硝子辺りを歩くことにした。そして、これまで踏み入れなかった街角にも足を伸ばした。
そして祭り好きなぼくには、うれしい出来事があった。それは、港の前の会場で繰り広げられていた小樽太鼓もよかったけれど、ひと回りして、小樽港に帰ってくる頃、お神輿の連隊に遭遇したことだった。ぼくは狂喜し(汗)、30分近く、お神輿をみていた。ワイフはあきれて、その間、運河の日陰のベンチで休んでいた。とにかく、威勢がいい。それに何より気に入ったのは、大揺れの神輿の上に人が、それも、一基には女性が乗っていたのだ。感動してしまった。神輿渡御はこれでなくてはいけない。
やっぱり地方には、まともな心が残っている。浅草の三社祭は、これくらいののことで、一昨年、永年続いた浅草神社の三基の神輿を出さず、中止してしまったのだ。まともな神経ではない。神様だって、年に一度の祭りのときくらい、はめをはずして人と一緒に騒ぎたいのだ。全く、最近の日本人は、上から下まで、了見が狭く、屁理屈ばかりこねる、ちまちました人間ばかりになってしまった。あれ余計なことまで言ってしまった(汗)。
とにかく、お神輿との出会い、それと美女との出会い(汗)等で、この小樽の一日は、思い出に残るものとなった。
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運河と倉庫


手宮線跡地 明治13年、貨物線として開業、昭和60年廃線。跡地で催しものが開かれていた。ワイフが小樽雪あかりの路に来たとき、ここでもやっていたと言っていた。

小樽のメイン商店街。はじめて来た。あの榎本武揚が小樽市民に慕われている。函館戦争で土方歳三らと共に闘い、敗れ、のちに赦免され、新政府に採用された。北海道の開発に力をつくし、とくに小樽の発展に寄与したそうだ。榎本武揚の垂れ幕が商店街の真ん中にさがっていた。

神輿渡御



うれしい出会いがあった。歓迎式典に出席されていたミス小樽のお嬢さん。写真を撮らせてもらった。

♪逢いたい気持ちがままならぬ 北国の街はつめたく遠い 粉雪まいちる小樽の駅に ああ一人残して来たけれど 忘れはしない愛する人よ♪ 懐かしい歌謡曲”小樽の人よ”を思い出した。
石原裕次郎記念館には今回は行かなかった。裕ちゃんは父親の勤務地の関係で、”小樽の人”(小学校)だったこともある。そのあと、”逗子の人”になった。
♪赤いハンカチ♪はどこにもなかったけれど、”虹色のハンカチ”が道に落ちているのを、小樽の街角でみつけた。
