気ままに

大船での気ままな生活日誌

上野は今日も猛暑だった

2010-08-22 22:12:00 | Weblog
今朝、歌謡曲の記事をのせたので、夕方のも、やっぱりタイトルくらい歌謡曲に因んだものにしようと考えた。歌謡曲に詳しい人なら、ピンとくると思うけど、元歌は”長崎は今日も雨だった”なのだ(汗)。”ああ上野駅”という手もあったんだけど、これでは、話題が上野駅構内に限定されてしまい、1000円床屋が猛暑で空いていたとか、行きつけの、おいしい立ち食いそば屋さんが閉店してしまったとか、それくらいしか、書けないので却下したのだ。

今日は上野の芸大美術館にシャガール展を観に行ったのだけれど、それはのちほど報告するとして、公園内の”猛暑風景”をつづってみたい。

芸大美術館に向かう途中、公園内には結構、彫刻とか銅像がある。ぼくは石にも心があると信じているから(笑)、石の彫刻でも、きっと、口には出さないけど、この暑さには相当、参っているのではないかと思っている。

この彫刻は日傘を差していて、涼しそうだった。この彫刻家も、石にも心があると、雨や日差しをさえぎるために、傘をさしてあげてるのだろう。きっと末は、偉い彫刻家になるだろう。


この彫刻は”ただそこにある”という題名がついているように、もう悟りを開いている。だから、信長の焼討ちにあった、塩山・恵林寺の快川紹喜の辞世の言葉”心頭滅却すれば火もまた涼し”の心境だろう。

これは彫刻でないけれど、シャガールのポスター絵だが、”目には目を、歯には歯を”と真っ赤な太陽にまけないくらい、華やかな色で対抗していた。攻撃は最大の防御なのだ。ぼくも暑い時には、まけずに歩くのだ(汗)。

東博にも寄ってきたが、ここは、冷房がよく効いていて、みな仏像さんも涼しげな顔をしていた。 このあたり目に見ゆるものは皆涼し(芭蕉)

ただ火焔縄文土器だけは、自ら炎をあげ、暑苦しそうだった。  

常設展を観て、上野駅の帰り道、野口英世像に出会った。暑さにめげず、実験をしていた。さすが黄熱病の権威、熱中病なんかこわくない。

国立西洋美術館のカレーの市民は、西日にあたり、暑そうだった。暑いときには、かえってカレーライスがいいかもしれない。

考える人は日陰で、ゆっくり考えるふりをして、うとうと居眠りしていた。

猛暑に頭にきて、ヘラクレスの弓矢の先は西日だった。それだけは止めて。天照大神が天の岩戸に御隠れしてしまったら、世の中、なにもかも真っ暗闇でござんす。♪何から何まで真っ暗闇よ 筋の通らぬことばかり 右を向いても左を見ても 馬鹿と阿呆(あほう)の絡み合い どこに男の夢がある♪ たしかに。また歌謡曲になってしもうた。



上野駅に着いたら、むかしの美女が和服姿で涼やかだった。
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思い出のメロディー”歌がある明日がある”

2010-08-22 09:40:05 | Weblog
今頃、毎年放映される”思い出のメロディー”は、歌謡曲好きなぼくとしては、はずせない番組だ。今は暮れの紅白より、よっぽどいいと思っている。今回も2時間半に渡り、約40曲近くが歌われたが、知らない歌がひとつもない。ああ、昭和の歌はいいなと、つくづく思う。

はじめは、出演者全員の合唱による”いつでも夢を”。”歌がある明日がある”のテーマに相応しい歌でスタート。この曲は小百合ちゃんのヒット曲でもあるし、ぼくの最も好きな歌のひとつだ。小百合ちゃんは出演しなかったが、この歌をデュエットした、歌手生活50周年を迎えた橋幸夫が登場したときに、小百合ちゃんからお祝いのメッセージが届いた。そしてデビュー曲の”潮来笠”が歌われた。

50周年を越えるベテランの歌手も何人もいて、いまだ現役なのはうれしかった。82歳になったという三浦洸一は”落葉しぐれ”、ペギー葉山は”学生時代”そして、初代コロンビアローズは”東京のバスガー”。この番組の常連、二葉百合子は来年3月引退の予定なので、この番組は最後の出演となる。”岸壁の母”、浪曲家出身だけに歌の合間のセリフが決まっている。歌い終え、目に涙があふれそうになっていて、ぼくも目頭があつくなった。

20年振り、NHK出演という久保浩の出演も嬉しかった。魅惑のロマンティックボイスといわれた、吉田正の門下生だ。たしかぼくと同い年だ。”霧の中の少女”をしみじみ聞いた。千賀かおりの”真夜中のギター”。この歌も好きだった。昭和44年の歌だ、まさにぼくの青春時代。あの娘(こ)をつい思い出してしまったよ(大汗)。

途中、植村直己さんと共に、日本人エベレスト初登頂に成功された松浦さんが出演、当時の話をしてくれた。アタック隊として選ばれたふたりが、頂上を目前にしたとき、お互いにおまえが先にと譲り合った話には感動した。結局、ふたり一諸に足をかけたとのことだ。シェルパーをはじめ多数の援護隊によりなしえた偉業だが、松浦さんが歌集をつくり、キャンプでよく歌ったという。一番人気の歌は、”若者たち”だったという。♪君の行く道は 果てしなく遠いだのになぜ 歯をくいしばり君は行くのか そんなにしてまで♪登山隊にぴったりの歌詞ではないか。布施明と早稲田大学グリークラブが歌ってくれた。この歌はぼくら世代の、応援歌でもあった。

いずみたくコーナーでも、いい歌が目白押しだった。九ちゃんの”見上げてごらん夜の星を”。ここでは、司会をしていた”ゲゲゲの女房”の松下奈緒さんがピアノ演奏してくれた。うちの女房が彼女、音大でピアノをやっていたのよ、と教えてくれた。ますます好きになった(汗)。恋の季節(今陽子)、太陽がくれた季節、夜明けのスキャット(由紀さおり)、ふれあい(中村正俊)、そして”ゲゲゲの鬼太郎”(熊倉一夫)もいずみたく作曲だった。♪ゲ、ゲ、ゲゲゲのゲー昼はのんびりお散歩だ 楽しいな楽しいな おばけにゃ会社も仕事もなんにもない ゲ、ゲ、ゲゲゲのゲー♪ (大汗)

”戦争を知らない子供たち”(杉田二郎)は大阪万博のテーマ曲だったそうだ。万博公園からの中継だった。太陽の塔がみつめていた。アダモの出演にはびっくりした。一時病気されたがお元気なお姿をみせてくれた。大の日本好きで、通算すると滞在期間は3年間になるということだ。名曲、サン・トワ・マミー(岩谷時子訳詞)と”雪が降る”(安井かずみ作詞)を歌ってくれた。そして、いよいよ、名残おしいが、終盤に。川口松太郎も好きだった(ぼくも大好き)、八代亜紀の”舟歌”、森進一の”襟裳岬”と、そして、エンディングは、全員合唱で、NHKの歌番組”ステージ101”で生まれたヒット曲”涙を越えて”。

こんないい歌がいっぱいの時代に、生きて幸せな一生だった。まだ、こんなこと言うのは早いけど。


















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