気ままに

大船での気ままな生活日誌

いたち川の夕陽

2010-08-16 21:53:01 | Weblog
三丁目の夕陽というと、なんだかロマンチックだけど、いたち川の夕陽というと、なんだかアンチロマンになってしまう。いたちの最後っ屁をつい連想してしまって(笑)、せっかくの夕陽もちょっと、可哀そうだ。

昨日は、上野と日本橋の美術館巡りで忙しくしていたので、今日は朝散歩のあと、昼はブログを書いたり、松坂の試合をみたり、本を読んだり、一日、家ですごした。そして、少し暑さが弱まった夕方、ぶらぶらと、いたち川方面へ散歩に出かけた。ちょうど夕陽が沈むときに出会え、真っ赤に沈む太陽を久しぶりにみることができうれしかった。我が家は朝日はよくみえる位置なのだが、夕陽はみえないのだ。夕陽のみえる家に住んでいる人がうらやましい。

こんなふうな、いたち川沿いを歩いた


もうすぐ夕陽が沈もうとしていた


しばらくすると、真っ赤な夕陽が沈んでゆく

アオサギも夕陽をみていた あかさぎにならないでおくれ

ひとつめ小僧も夕陽をみていた ゲゲゲの鬼太郎のモデルになったのかな、この辺の民話に出てくる妖怪だ。”ゲゲゲの女房”で、水木しげるが娘の愛子ちゃんに、この世は人間の目でみえるものだけが住んでいるんじゃないんだよ、妖怪もそのひとつだよ、とやさしく語っていた。本当だね、五感だけでは、何にもみていないと同じだねと、ぼくも思う。

おまえもひとつめ小僧だな

おまえは妖怪かな

おまえは風見鶏だな、日和見主義者のねずみ男だな。政界の風見鶏といわれた男もいつまでもでしゃばってるな、みっともない(爆)。 

お月さまは永遠の美だ。原節子さんみたいだな。

楽しい夕散歩だった。
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山下清とその仲間たちの作品展

2010-08-16 11:03:45 | Weblog

藤沢の小田急デパートで、”山下清とその仲間たちの作品展”が開かれている。山下清の絵はいろんなところでよく目にしていたが、ここに展示されていた作品は12歳くらいからの、世に出るまでのものが主体で、初見のものがほとんどだった。それに、彼の画家としての才能を見出し、育てた人々のことも、折々紹介され、まるで”龍馬伝”のような”清伝”で、面白くみさせてもらった。

山下清は12歳のときに千葉県市川市の知恵遅れの児童の教育施設”八幡学園”に入園する。ここの園長、久保田保久さんがえらい人で、自宅の90坪の庭に自費でこの施設をたて、9人の児童を呼びよせ、家族的な集団生活を行い、教育した。ここでは、あまり難しい授業はせず、とくに貼り絵を中心とした絵画に力を入れた。山下清はここで、才能を開花させたのだ。その頃の作品が沢山展示されている。

幼少の頃から、虫が好きで、ひとりで、屈んで、虫の行動を観察するのが好きだったようだ。だから、初期の貼り絵のモチーフにも虫が多く、蝶やかまきり、コガネムシなどがある。年を重ねるごとに上手になってゆくのがよくわかる。コガネムシなんか、八幡様のぼんぼり祭りの養老孟司さんのより上手なくらいだった(笑)。花火も大好きで(うちのワイフもそう)、15歳のとき描いた”江戸川の花火”など、のちの名作、”長岡の花火”、”両国の花火”につながる、素晴らしい作品だった。
(江戸川の花火)

この間、早稲田大学心理学教室の戸田行男さんが施設を訪れ、専門的研究を続けているうち、児童の貼り絵の素晴らしさに、感動し、大隅講堂で”特異児童作品展”を開催し、世間に知られるようになり、安井曾太郎や梅原龍三郎からも絶賛された。

有名になり、施設を訪れる人も多くなり、煩わしくなったのか、山下清は、18歳頃突然、龍馬のように”脱藩”し、放浪の旅に出るのだ。リックをしょって、生活用品のほか石ころも入れていたらしい。野犬がきたとき追い払うためだったという。ただときどき施設に戻ってきて、放浪の間、記憶した景色を、貼り絵にしたということだ。はじめは、総武線、横須賀線を使って、鎌倉や江の島方面に来たようで、江の島の絵も展示されていた。

貼り絵だけでなく、油絵の手法も、ある先生(メモが不明ですみません、堀川先生かな)から習い、”両国の花火”は油絵である。鉛筆画もやり、いわゆる山下清風ではない、建築物や植物の写実的細密画のすばらしい作品も並んでいた。

放浪生活は15年にも及んだそうだが、その自筆の放浪記が、ノートにきれいに書かれいた。知らない漢字が、多少あるだけで、えっ、この人が知能遅れ?と思うほどだった。ちょうど、開けていたページに、ぼくは戦争に行って、人をころすより、るんぺんしていたほうがいいな、と書いてあった。また、もう放浪しないという、学園への自筆の誓約書も残っている。ぼくはるんぺんするという病気なのだから、なるべく、回数を減らすようにしたいと、先生に言ったけど、それではだめと言われたので、もうぜったいるんぺんはしません、と書いてあった。でもきっと、その後も放浪の旅に出たのだろう。

”踏むな、育てよ、水そそげ”が学園のモットーだそうだ。

山下清(右上)と仲間たちの学園時代の写真。作品は、上からクレパス画の異才、石川譲二、原子芸術の風格、沼祐一そして幼くして絵画的天分の持ち主、野田重博の絵。




コメント (2)
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