気ままに

大船での気ままな生活日誌

ウクライナの歌姫

2010-08-06 12:07:00 | Weblog


今度の船旅で、ウクライナの民族弦楽器バンドウーラ(60本も弦がある)を演奏しながら、水晶のように透き通った歌声を聞かせてくれる”ウクライナの歌姫”ナターシャ・グジーさんのコンサートが二度ほどあった。”キエフの鳥の歌”等故国の歌のほか、秋桜、涙そうそう、防人の詩、見上げてごらん夜の星を、等日本の歌も、バンドウーラと彼女の声に合い、とても良かった。

日本語もとてもお上手で、演奏の合間にトークもされ、ご自分のことも語ってくれた。6歳のときに(1986年4月6日)、父親が勤務していたチェルノブイリ原発事故が起こった。3.5キロほどしか離れていない場所に住んでいて、はじめ、たいした事故ではないと知らされていた。しかし、次第に事の重大性が分かり、3日後に住民は遠方に避難させられた。今もって、故郷には誰も帰れないそうである。3日間も被爆し続けたわけだから、それが原因で亡くなる人も多数出たし、身体の不調が続いている人も多い。自分も被爆者なんですよ、と悲しそうな顔をされた。

今日は、広島原爆投下の日で、平和記念式典が開催され、ぼくもテレビでみていた。犠牲者のみなさまに1分間の黙祷もした。これまで一度も出席していなかった米国大使や国連総長が顔をみせたのは、良かったことだ。広島、長崎と人類史上最悪の一般人無差別殺人を二度も起こしながら、反省もしなかった米国をはじめとする、数々の”痴呆国家”の、これまでの核兵器の保有数競いには開いた口がふさがらなかった。ようやく、核廃絶への方向性が示されたことは、ほんの少し、1ナノメートルほど前進したということだろうか。

管総理大臣が挨拶で、原爆と言うところを”原発”とうっかり間違えて言ってしまった(すぐ訂正したけれど)。工学部出身の首相、思わず本音を言ってしまったのではないだろうか。ぼくは、先のチェルノブイリの前例があるにも関わらず、さらにまた、長期的にみてもリスクの高い原発の保有数競いをしている国々の考えには、どうもついていけない。

ウクライナの歌姫がアンコールで歌ってくれた”故郷”を聞いて、もう帰れない故郷をもつ彼女のことを想い、胸がいっぱいになってしまった。
。。。。。

故郷

作詞:高野辰之
作曲:岡野貞一

兎追ひしかの山、
小鮒釣りしかの川、
夢は今もめぐりて、
忘れがたき故郷

如何にいます、父母、
つつがなしや、友がき、
雨に風につけても、
思ひいづる故郷

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ゲゲゲの法話

2010-08-06 07:45:53 | Weblog
昨日も暑い日だった。午後2時半から始まる川崎の菩提寺の盂蘭盆施餓鬼会に出席してきた。去年は、母さんの新盆だったので、今回のような一般の施餓鬼会とは別の日に新盆を迎える家族だけで行った。だから、通常のお施餓鬼ははじめての参加となる。毎年、一番暑いときに、母さんが出席していて、いつか熱中症になったことがあった。先ず、お墓に参り、仏花と母さんの好きだったワンカップ大関を供えて、本堂に着くと、もう大勢の人が集まり、開会していた。

はじめの30分が法話で、この日は、別の天台宗のお寺の住職さんが担当だった。とても、分かりやすい法話で、楽しく聞かせていただいた。このご住職は調布の天台宗の深大寺に縁のある方で、やはり深大寺がよく出てくる朝ドラ、”ゲゲゲの女房”の話から入った。自分が最初に読んだ漫画は水木しげるの”ゲゲゲの鬼太郎”なんですよと言う。実際、鬼太郎が幽霊族の最後の家族の子供で、お父さんは身体が溶ける病気になって、最後は目玉だけが残り、目玉親父になるとか、鬼太郎が赤いちゃんちゃんこを着ているとかやたらと詳しい。

この状況が、実はとても仏教的なのだそうだ。鬼太郎は、目玉親父にいつもやさしく見守られている、そして赤いちゃんちゃんこに織られている赤い糸は、幽霊族の先祖代々から伝わってきているもので、しっかりとご先祖さまと鬼太郎はつながっている。鬼太郎はひとりではないのだ。

そして、水木しげるさん自身についても、ほめられておられた。よく知られているように(知らない人は知らないだろうけど;笑)、先の戦争で、大激戦地のラバウルのそれも最前線で戦い、部隊のほとんどの兵隊さんが亡くなったが、九死に一生を得た。しかし、マラリヤに罹り、片手を切断して戦後、帰国する。この経験が、どんなに苦労しても、明日の飯さえないほど貧乏しても、戦地で死んでいった人たちの事を思えばなんでもない、といつも語っている。そして、いつも、死んでいった仲間たちの顔を思い浮かべているという。ご住職は、これこそが亡くなった人への最大の供養だという。”偲”という字は人を思うと書くでしょ、と。水木しげるには戦記ものも多いが、それらは、はでな戦勝物語ではなく、傷つき、死んでいく、兵隊さんの描写ばかりだ。これも、あの人の顔、この人の顔を思い出しながら、涙ながら描いているので感動を呼ぶのだ。

今日の施餓鬼会は、みなさんの身近で亡くなられた方々のことを偲ぶ日です。そして、さらに、それだけではなく、無縁仏になられた方々、たとえば、最近ニュースになっている行方不明の高齢者の中にも、誰も偲んでくれない方もいらしゃる方もおられるでしょう。そうゆう方のことも心に浮かべて、これからの盂蘭盆施餓鬼会におのぞみください、と締めくくった。

7、8人の正装したお坊さんの、お経が始まった。みなさん、とても声がよくて、またハーモニーもすばらしく、堂内に快く響いた。声明のようだった。去年亡くなった母の顔、そしてずっと前に亡くなった父の顔、母と同じ頃、世を去った小学校の先生の顔、三十代の若さで夭折した親友の顔、いろいろな人の顔を思い浮かべて、供養した。

ここに来る前、早めに武蔵小杉駅に着いたので、冷房の効いた中原図書館で時間調節をした。そのとき、たまたま手にした芸術新潮の今月号は水木しげる特集だった。だから、ご法話に水木しげるさんのことが出てきて、びっくりした。もうひとつ、びっくりしたことがある。向かい側の席に母さんとそっくりな人をみつけたのだ。その方もぼくをみつめているようだった。水木しげるさんが天国から母さんを呼んでくれたのだろうか、と一瞬思った。

母さんのあとを継いで、元気な間は、毎年、お施餓鬼会に参加しようと思っている。

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