今度の旅行で、網走から知床半島へのバスツアーもあった。知床五湖のひとつの湖の見学と途中の大滝がみるコースだった。車窓からは、北海道らしい広い畑地が広がっていた。ジャガイモが白い花を咲かせていた。そして麦は”麦秋”を迎えていた。もうひとつ、青々としているのは甜菜だそうだ。そして、畑の回りには主として落葉松の防風林が植えられている。道はどこまでもまっすぐで、気持ちのよい車窓風景だった。ガイドさんが、エゾシカかキタキツネがみえるかもしれませんよ、と言ったそばから、向かいの席の御婦人が、鹿だと大声をあげていた。


しばらく走ると、大滝に到着した。オシンコシンの滝という名で、アイヌ語で”そこにエゾマツが群生するところ”という意味というそうだ。北海道はアイヌ語由来の地名が多いが、ふと、我々の先祖が先住民族を追いつめていった歴史を想い、複雑な思いにかられる。轟々と流れ落ちる滝は見事なものだった。


そして、バスは知床岬方面に向かって、海沿いを走る。空気の澄んでいるときには国後島までみえます、という。ここは歴史的にも日本の領土なのに、終戦後ロシア(当時はソ連)が入り込んで不当占拠してしまった。そして、現在までロシア人が住み続け、実効支配している。たまたま、昨日のNHKのクローズアップ現代でも、その問題をとりあげていた。図々しい国だと思う。このクルージングでNHKのモスクワ支局長だった小林和夫さんの講演会があり、北方領土返還の話もされた。
ロシア人は領土問題にはうるさいらしい。その原因はクリミア戦争で負け、アレクサンドル2世が、財政難によりアメリカにアラスカをわずか約100億円で売却したことにあるという。このことが、あとあとまでロシア人にとって悔やまれることとして教育され続けているのだそうだ。だからいったん手に入れた”領土”は簡単には手離さないだろう、とのことだった。ついでに面白い話しも聞いた。ロマノフ王朝のエカテリーナ二世のことである。無能な夫ピョートル三世をみかぎり、クーデーターを起こし、自分が皇帝になってしまった。そして愛人をたくさんつくり、彼らに要職を与えた。生涯に百人以上、愛人がいたとの説もある。孫のニコライ一世から”玉座の上の娼婦”と罵倒されたそうだ。サンクトペテルブルグに建つ、たくさんの愛人たちを従えたエカテリーナ二世の銅像の映像もスクリーンでみせてもらった。うらやましかった(爆)。
余計なことに話が行ってしまったが、もとに戻そう。僕の従妹の夫は知床の出身だと聞いていたが、昨年、母の新盆の集まりのときに、自分の家族はもとは国後島に住んでいて、戦後、ロシアが攻めてくるという、うわさがあり、自分の父がリーダーとなり、多くの島民と一緒に知床に引き上げたいう話しをはじめて聞いた。そういう人々にとっては、故郷を返せと、心から願っていることだろう。これまでの我が国の弱腰な外交も情けない。
知床五湖の一湖だけ探索した。すばらしいところだった。エゾ鹿も、雄、雌合わせて3頭みることができた。湖だけではなく、遠くの知床の連山もまた、うるわしかった。



。。。。。
森繁久弥作詞・作曲
知床の岬に はまなすの咲くころ
思い出しておくれ 俺たちのことを
飲んで騒いで 丘にのぼれば
遥か国後(くなしり)に 白夜は明ける


しばらく走ると、大滝に到着した。オシンコシンの滝という名で、アイヌ語で”そこにエゾマツが群生するところ”という意味というそうだ。北海道はアイヌ語由来の地名が多いが、ふと、我々の先祖が先住民族を追いつめていった歴史を想い、複雑な思いにかられる。轟々と流れ落ちる滝は見事なものだった。


そして、バスは知床岬方面に向かって、海沿いを走る。空気の澄んでいるときには国後島までみえます、という。ここは歴史的にも日本の領土なのに、終戦後ロシア(当時はソ連)が入り込んで不当占拠してしまった。そして、現在までロシア人が住み続け、実効支配している。たまたま、昨日のNHKのクローズアップ現代でも、その問題をとりあげていた。図々しい国だと思う。このクルージングでNHKのモスクワ支局長だった小林和夫さんの講演会があり、北方領土返還の話もされた。
ロシア人は領土問題にはうるさいらしい。その原因はクリミア戦争で負け、アレクサンドル2世が、財政難によりアメリカにアラスカをわずか約100億円で売却したことにあるという。このことが、あとあとまでロシア人にとって悔やまれることとして教育され続けているのだそうだ。だからいったん手に入れた”領土”は簡単には手離さないだろう、とのことだった。ついでに面白い話しも聞いた。ロマノフ王朝のエカテリーナ二世のことである。無能な夫ピョートル三世をみかぎり、クーデーターを起こし、自分が皇帝になってしまった。そして愛人をたくさんつくり、彼らに要職を与えた。生涯に百人以上、愛人がいたとの説もある。孫のニコライ一世から”玉座の上の娼婦”と罵倒されたそうだ。サンクトペテルブルグに建つ、たくさんの愛人たちを従えたエカテリーナ二世の銅像の映像もスクリーンでみせてもらった。うらやましかった(爆)。
余計なことに話が行ってしまったが、もとに戻そう。僕の従妹の夫は知床の出身だと聞いていたが、昨年、母の新盆の集まりのときに、自分の家族はもとは国後島に住んでいて、戦後、ロシアが攻めてくるという、うわさがあり、自分の父がリーダーとなり、多くの島民と一緒に知床に引き上げたいう話しをはじめて聞いた。そういう人々にとっては、故郷を返せと、心から願っていることだろう。これまでの我が国の弱腰な外交も情けない。
知床五湖の一湖だけ探索した。すばらしいところだった。エゾ鹿も、雄、雌合わせて3頭みることができた。湖だけではなく、遠くの知床の連山もまた、うるわしかった。



。。。。。
森繁久弥作詞・作曲
知床の岬に はまなすの咲くころ
思い出しておくれ 俺たちのことを
飲んで騒いで 丘にのぼれば
遥か国後(くなしり)に 白夜は明ける
