気ままに

大船での気ままな生活日誌

鏑木清方の生きた時代

2010-08-24 09:06:29 | Weblog
鎌倉の鎌倉清方記念会で、”鏑木清方の生きた時代”(8月22日が最終日だから昨日で終わりです)を先日、観てきた。明治、大正、昭和の時代に生きた、清方は幾多の戦争の時代を経験している。これら戦争時代に描かれたものを中心に展示されている。

清方は、当然ながら戦争が嫌いで、そうはいっても国の要請があれば、ぎりぎりのところで、妥協している。たとえば、軍国女双六をつくったり、戦艦に飾る絵を描いたりしている。でも、その場合でも勇ましい戦闘の絵ではなく、”蕪”とか”稚児桜”など中性的な男の絵などを描いて、提出している。

前回、ちょっと述べたが、太平洋戦争のときは、茅ヶ崎と、終戦の8月には御殿場に疎開している。そのときのスケッチ画も展示されていて、どちらにも富士山が描かれている。清方の美人画には人物の背景に景色がよく描かれるが、景色だけの絵というのは珍しい。

昭和18年に描かれた、朝鮮の(当時は日本領)名優、崔承喜の下絵もはじめて観た。彼女が帝劇に出演したとき、観にゆき、それをもとに描いている。しかし、未完で終わったとのことだ。大正8年には、中国の京劇の名女形、梅蘭芳が大倉喜八郎により日中友好のために招聘されたときに、自宅に二、三度呼び、スケッチをした。そのスケッチ画がいくつも残されている。

あとは、よく観る作品で、密かに自宅で書かれ、それぞれの時代の平和に戻ったとき表に出されたものであろう。

戦争が、画家に与える影響は大きい。展覧会がよく開かれている現代は、なんだかんだいっても、画家にとっても、我々にも、まだまだ幸せな時代といっていいのだろう。



山百合と虫の音

崔承喜

御殿場からの富士 (スケッチ)

。。。

今日から二泊三日で避暑地であそんできます。”避暑地の出来事”は、明後日以降に報告します。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする