今日午前中、3カ月ごとの、歯医者さんのケアーがあったので、そのあと鎌倉駅に向かった。近所の百日紅が真盛りになってきたので、本覚寺のも、もう見頃だろうと思ったのだ。予想通り、花盛りだった。日蓮上人分骨堂前のも、鐘楼前のも、そして、何よりも、昭和51年に檀家の方の庭から移植された本堂を前にした大きな百日紅が、ことのほか見事な咲きっぷりだった。
分骨堂前
鐘楼前
本堂に向かって
近くの妙本寺にも寄ってみた。ノウゼンカズラがまだ咲いているかもしれないと思ったからだ。残念ながら、もうすべて終わっていた。その代わり、その木の下の水引草が紅い蕾を膨らましていた。前回、仲良くしていた黒猫と白茶模様の猫は、どこにも見つけることができなかった。この暑さで、どこか涼しいところに身をひそめているのだろうか。
鎌倉飯店で五目焼そばと生ビール(汗)をいただき、鎌倉中央図書館に行った。月刊誌”新潮45”の8月号をめくっているうち、脚本家、石堂淑朗氏のこの記事に目が止まった。”安楽死”も命懸け「川崎協同病院事件」須田セツ子氏の著書に接し”。石堂淑朗氏同様、ぼくも、この事件に対する最高裁の判決に非常な疑問をもっていたからだ。それにこの病院は、妹家族の近くで、家族がお世話になっているところなのだ。ほとんど死にかけて、苦しんでいる患者に延命治療せず、気管内チューブはずしただけで、殺人罪で起訴されたのだ。家族には、あうんの呼吸で了解はとっていたはずだ。それが、なんと執行猶予付きではあったが、懲役刑の判決がなされたのだ。全く理不尽な判決である。”私がしたことは殺人ですか”須田せつ子著(青志社)が最近、出版されたそうだ。ぜひ読んでみようと思う。
ぼくの母も昨年、間質性肺炎で亡くなったが、医師から気管内チューブ挿入による延命治療をするかどうか、尋ねられた。ぼくは、これ以上、母を苦しませるのは、母のためにも、家族のためにも、何の益にもならないので、はっきりお断りした。ぼく自身も、そういう事態になったときは、延命治療は絶対しないように、ワイフには以前から話してある。
石堂淑朗氏の文章の中に、ぼくが敬愛する小林秀雄さんのことも紹介されていた。小林さんは腎不全で入院し、いよいよ管が繋がれそうになったとき、彼はこれは治療のためか、それとも延命のためか、聞き、延命のためだと聞かされ、即刻、装置をはずさせ、あっという間に亡くなったそうだ。さすが、小林秀雄さんだ。
自分の死に方くらい、自分の決断で決めたいし、まして、こんな馬鹿げた裁判沙汰は起こしてもらいたくないものだ。
分骨堂前
鐘楼前
本堂に向かって
近くの妙本寺にも寄ってみた。ノウゼンカズラがまだ咲いているかもしれないと思ったからだ。残念ながら、もうすべて終わっていた。その代わり、その木の下の水引草が紅い蕾を膨らましていた。前回、仲良くしていた黒猫と白茶模様の猫は、どこにも見つけることができなかった。この暑さで、どこか涼しいところに身をひそめているのだろうか。
鎌倉飯店で五目焼そばと生ビール(汗)をいただき、鎌倉中央図書館に行った。月刊誌”新潮45”の8月号をめくっているうち、脚本家、石堂淑朗氏のこの記事に目が止まった。”安楽死”も命懸け「川崎協同病院事件」須田セツ子氏の著書に接し”。石堂淑朗氏同様、ぼくも、この事件に対する最高裁の判決に非常な疑問をもっていたからだ。それにこの病院は、妹家族の近くで、家族がお世話になっているところなのだ。ほとんど死にかけて、苦しんでいる患者に延命治療せず、気管内チューブはずしただけで、殺人罪で起訴されたのだ。家族には、あうんの呼吸で了解はとっていたはずだ。それが、なんと執行猶予付きではあったが、懲役刑の判決がなされたのだ。全く理不尽な判決である。”私がしたことは殺人ですか”須田せつ子著(青志社)が最近、出版されたそうだ。ぜひ読んでみようと思う。
ぼくの母も昨年、間質性肺炎で亡くなったが、医師から気管内チューブ挿入による延命治療をするかどうか、尋ねられた。ぼくは、これ以上、母を苦しませるのは、母のためにも、家族のためにも、何の益にもならないので、はっきりお断りした。ぼく自身も、そういう事態になったときは、延命治療は絶対しないように、ワイフには以前から話してある。
石堂淑朗氏の文章の中に、ぼくが敬愛する小林秀雄さんのことも紹介されていた。小林さんは腎不全で入院し、いよいよ管が繋がれそうになったとき、彼はこれは治療のためか、それとも延命のためか、聞き、延命のためだと聞かされ、即刻、装置をはずさせ、あっという間に亡くなったそうだ。さすが、小林秀雄さんだ。
自分の死に方くらい、自分の決断で決めたいし、まして、こんな馬鹿げた裁判沙汰は起こしてもらいたくないものだ。