気ままに

大船での気ままな生活日誌

終わらない夏

2010-08-31 19:31:30 | Weblog
8月31日。夏の終わりの日のはずだが、今日も猛暑、明日も猛暑で、モウショうがない、と思うしかない。終わらない夏になってしまった。今日は、ふたりで三菱一号館美術館に行ってきた。あの、曜変天目が展示されているので、お茶をやっているワイフも是非にというので、一緒に行ってきたのだ。これだけだはなく、他にも、すばらしい展示物が山ほどあり、さすが、三菱だと思った。これについては、のちほど感想文を書いてみたい。

三菱は、”龍馬伝”ではみっともない男に描かれているが(爆)(前回も、見回り組に拷問を受け、薩長連合策に龍馬がかかわっていることを白状してしまう、という情けない場面があった)、岩崎弥太郎によって明治に入って創建された。そして二代目社長、弥之助が、英国の建築家、コンドルに設計を依頼し、丸の内に三菱一号館を建てたのだ。その頃は、あたり一面、草ぼうぼうという感じだったらしい。その頃の丸の内の風景画も展示されていた。

そのとき、丸の内に美術館を建築する予定もあり、設計図が残っているそうだ。ようやく、110年ぶりにその夢が実現したというわけだ。だから展覧会も”三菱が夢みた美術館”と銘打っているのだ。今回は開館記念第2弾となる。もちろん、第1弾も行っている。

というわけで、8月おわりの日は、我が家の電化製品は、クーラーは3台ともナショナルで、冷蔵庫は日立で、三菱のは15年前買った扇風機だけだけど(汗)、こんなりっぱな美術館をつくってくれて、三菱さん、どうもありがとう、と頭を下げた、”終わらない夏”の一日だったのだ。
。。。。。

旧一号館の面影


(一号館中庭風景)

腰かける女 ムーア作


弁当を食べる女


本を読む女


(日比谷界隈)
両手を挙げる女


ゴジラな女
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軽井沢での文士と画家たちの交流

2010-08-31 09:01:11 | Weblog

先日、軽井沢で遊んだときに、中軽井沢方面にある”軽井沢タリアセン”という名の文学館や美術館の集まった公園がある。その中のひとつ、軽井沢高原文庫があるが、その休憩室に置かれている”感想ノート”を何気なく開いた。最初のページに、こんな感想文が書かれていた。

私は立原道造さんが好きで、軽井沢に来るようになりました。また深沢紅子さんの絵も好きでした。堀辰雄さんの別荘で紅子さんが絵を描き、岩手県の紅子さんの家で立原さんが療養されたと伺い、私の好きな人が、皆、軽井沢で交流があったことを知り、軽井沢に家をたてて良かったと思います。

立原道造の記念館が、東大の弥生門の近くにあり、訪れたことがある。そこで知ったことだが、彼は、東大建築科を出て、建築の辰野賞を3年連続受賞するなど、建築家として将来を嘱望されていたが、堀辰雄に才能を見出され、詩人として活躍した。さらに画才もあり、その絵も展示されている。だが、24歳の若さで夭折してしまうのだ。

さきほどの感想文を読んで、軽井沢での堀辰雄そして画家の深沢紅子との交流があったことを知り、しみじみとした思いがした。ここに堀辰雄の山荘もあり、深沢紅子の美術館もある。

堀辰雄山荘:堀辰雄没後、深沢紅子夫妻が住み、その後、ここに移築された。

立原道造詩碑:”のちのおもひに”の冒頭部の詩文が刻まれている。


軽井沢タリアセンには、野上弥生子、有島武郎らの別荘も移築されている。

野上弥生子山荘:自ら”山姥”と称し、”鬼女山房”と名付けた(笑)。

有島武郎の別荘、内部は資料室になっている。



睡鳩荘(旧朝吹山荘)も面白かった。元三越社長の別荘で、長女の仏文学者、朝吹登水子が別荘として使用した。資料室となっている。サルトル夫妻との写真なども展示されていた。




子供たちはこんな遊びをしていた。

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