気ままに

大船での気ままな生活日誌

網走監獄物語

2010-08-03 22:14:32 | Weblog


網走といえば、刑務所。高倉健主演の”網走番外地”で有名になった。現在の刑務所は少し離れた所にあるが、明治時代当時の網走監獄施設を移築復元、再現構築し、博物館として公開されている。むかし、一度訪れたことがあるが、本年2月、開設120年を記念して一部、りニューアルしているので、はじめての訪問のような感じがした。

上沼恵美子のようなおもろいガイドさんが、暗いイメージの刑務所を、面白く説明してくれた。はじめて知ったことも多くあった。明治のはじめ、囚人たちが、網走から旭川までの道路をつくった話は知っていたが、その囚人たちが、西南戦争で敗れた薩摩の侍たちであったことを知り、驚いた。1日3時間ほどしか睡眠をとらせず、またお風呂も3分間、働きづくめの毎日だったらしい。途中で亡くなった人も多数いたらしい。勝てば官軍、負ければ賊軍、厳しいものだ。北海道開発の礎となった人々なのだ。





五寸釘寅吉の話も印象に残った。この男は脱獄の名人で、何度もほかの刑務所から脱走していて、警戒厳重な網走監獄に入れられた。しかし、ここからの脱獄にも成功した。わずかな面積の鉄製の窓を、毎日の食事の味噌汁の塩分を毎日、窓枠に塗り、とうとう錆びつかせ、そこをはづし、抜け出したのだ。そして、関東にわたり、生き延びたが、ある日、道端で一人の警官に会う。その警官が、寅吉にタバコを半分に割り、それをくれた。おいしく吸って、その警官の情に感じ入り、あなたの手柄にしてやると、一部始終を話した。最後は、府中刑務所に入り、模範囚として生涯を終えた。この話は映画にもなり、緒方拳が寅吉役だったそうだ。



映画というと前述の”網走番外地シリーズ”だが、同じく健さん主演の”幸福の黄色いハンカチ”も忘れられない。網走で刑期を終え、妻の待っているかもしれない夕張の家に向かう。まだ、ひとりでいるなら、黄色いハンカチを物干しにつけておいてくれと葉書を出す。途中で武田鉄矢と桃井かおりと出会い、彼らの車に乗り、妻、倍賞千恵子の待つ家に近づく。そして、車窓から、高く掲げた物干し竿いっぱいに、何十枚の黄色いハンカチが風にたなびいているのがみえる。目がしらのあつくなるシーンだった。

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オホーツク海の夜明け

2010-08-03 13:32:01 | Weblog
網走に向かう、オホーツク海の夜明けから日の出までのうつくしさも忘れられない。

♪夜明けの唄よ わたしの心のちいさな幸せまもっておくれ

♪夜明けのスキャット ルルルルル ルルルルルル ルルルルルル

♪朝だ朝だよ

♪朝日が昇る

♪空にまっ赤な 日がのぼる

♪みんな元気で 元気で起きよ

・・★ ぐぐぐーの女房はまだ寝てた


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オホーツク海上の満月

2010-08-03 10:05:00 | Weblog
”奥の細道”で、芭蕉は中秋の名月を敦賀でみようと、旅行日程を調節している。前日、敦賀に着き、その夜、すばらしい満月真近の月をみた。”明日の夜もかくあるべき”と言うと、亭主は、越路の天気はあてになりませんから、どうなることか、と答える。”十五日、亭主の詞(ことば)にたがわず雨降”そして詠んだ句が、”名月や北国日和定めなき”

ぼくは、三鷹の天文台のホームページで、今月の満月が、7月26日であることを知り、その日は利尻島停泊の日だったので、利尻島の満月を楽しみにしていた。しかしながら、前日、小樽で聞いた天気予報は曇りだった。それで、ぼくは、利尻島の満月は諦め、芭蕉が前日に遊行二世上人ゆかりの明神で詠んだ”月清し遊行のもてる砂の上”でいいやと、小樽沖の海上の、ほぼ満月の月を楽しんだ。

その日は夕焼けもきれいで、デッキでうっとりとながめ、日が沈んだあと、こんどは反対側のデッキに回ったら、すばらしいお月さまが、東の空から昇ってきていたし、その海上に映る月影もすばらしかった。まさに、”月は東に日は西に”だった。リメイク(迷句)も浮かんだ。”月清し小樽の海に影うつし”(汗)

西のデッキから




東のデッキから





翌26日は、晴れ間も少しはある曇り空だった。ただ、強風という予想外の天候だった。もともと利尻島、礼文島には大きな港がなく、大型客船が接岸できる大桟橋もない。だから、なるべく近くに寄って、錨を下ろし、そこから小型船で島に渡る予定だった。みんなをがっかりさせたアナウンスが、朝食時にあった。強風のため小型船を出すことができません、残念ですが、礼文島との間を抜けて、利尻島を一周し、オホーツク海に入り、網走に向かいます、とのことだった。礼文島に渡り、夏の草花を観たかったのだが、この天気ではしようがないとあきらめた。デッキからみえる、利尻富士がなぐさめてくれた。

利尻富士

礼文島


船はオホーツク海に入った。次の寄港地、網走に向かっている。夕食を終え、空を見上げる。曇り空だが、雲の切れているところがある。ぼくは、お月さまを尊敬しているから、去年の中秋の名月のときも曇り空からちらりとだけ顔を出してくれた。もしかしたらと、ぼくは7時40分頃、デッキに出て、月明かりをさがした。満月なので、うすい雲なら、その部分が明るくなっているのだ。一か所、少し、明るい地点をみつけた。ここだ。30分、待った。すると、なななんと、ちらりと顔を出してくれたのだ。もっと、みせて。 

そして、5分後、雲間から、7,8分のお月さまが。そして、わずか2分間くらいだけど、全裸(汗)をおみせくださったのだ。ぼくはシャッターを押し続けた。ついに観た。オホーツク海上の満月。ぼくにとっては中夏(ちょうどその日の夕食は中華だった)の名月だ。もちろん、こんな時間にデッキに出ている人はいない。やっぱり、ぼくにだけに、お月さまは顔を出してくれたのだ。そして、すぐ姿を消した。ありがとう、お月さま。

7時半頃の夕空

8時頃、雲間から、姿を現したお月さま。あと一息。

そして、満月。


満月や北国日和定めなき 

うれしい誤算だった。オホーツク海上の満月。一生忘れないだろう。あと10年ほどだろうけど。
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