鎌倉では正月、三日とも富士山がみえた。今朝の散歩でも、真白き富士の嶺を仰ぐことができた。荒天の正月を迎えている地方が多いのに、わるいようだ。
高台の青木神社が富士山のビューポイントで、3日つづけてみている。ここの神社は家から近いのだけど、うちの町内の鎮守さまではない。住所は、横浜市で笠間という地名なのだ。大船は、横浜市と鎌倉市の市境にあるので、大船駅を利用する両市民は、人には”大船に住んでいる”という。でも、鎌倉時代は、同じ山ノ内庄だった。現在の北鎌倉、大船、そして横浜市栄区、戸塚区の一部を占めていたのだ。
常陸の国、岩瀬城主だった岩瀬与一太郎が、敗軍の佐竹の輩下にあったにもかかわらず、きっぷのよさを買われ、頼朝に一人、召しかかえられた。そして、山ノ内庄の一部を領地とした。ぼくの住む岩瀬の地名はここから来ているのだ。隣接する笠間も、彼が現茨城県の岩瀬に近い、笠間を地名にしたという説がある。比較的最近、両県の、岩瀬町内会同士の交流会が開かれたと聞く。元茨城県民としては、うれしい話だった。
ぼくらの鎮守さまは、五社稲荷であるが、岩瀬与一太郎により創建された社である。ということで、初詣は、少し遠いが、まず五社稲荷でし、その帰りに、青木神社でお参りするのが、我が家の定例となっている。昨日午前中、ふたりでお参りしてきた。混雑する八幡さまと違って、どちらも数名の参拝客がいるだけで、ゆったりとした気分でお参りできた。そのあと、元旦の朝散歩で、ぼくはすでにお参りしているけど、ワイフはまだなので、一緒に富士山をみながら、青木神社にお参りした。
五社稲荷と与一太郎の子孫の方の名が刻まれた神社再建寄付者名の石碑と江戸時代からの庚申塚。
青木神社からみえた正月二日の富士山、そして、近くの江戸時代からの庚申塚。ついでに路上で見つけた市境標(笑)。
今日はこれから、ふたりで七福神巡り(汗)。