気ままに

大船での気ままな生活日誌

ミケランジェロとシスティーナ礼拝堂

2011-01-21 09:19:41 | Weblog

先日、NHKBSHiの”アートサスペンス/バチカン・シークレット~ミケランジェロの謎を解け”を観た。もう、だいぶ昔になってしまったが、バチカンにあるシスティーナ礼拝堂のミケランジェロの巨大な天井画をみて度肝を抜かれたことを憶えている。そのとき、4年の歳月をかけてミケランジェロが、ほぼひとりで描いたと聞き、もうそれだけで、感服してしまったものだ。

その後、同時代のルネッサンス盛期のレオナルドダビンチのことは、日本で展覧会もあったし、それなりの理解もしていたが、考えてみると、ミケランジェロについては知らないことばかりであった。それに、修復をすべて終えている(ぼくは修復途中の頃にみている)、その天井画を鮮明な画像でみてみたいとも思った。この番組で、ミケランジェロの”人生”を知ることができたし、また、ハイビジョンのクリアーな天井画の画像にも堪能した。

その後、図書館で、日本テレビがシスティーナ礼拝堂の天井画と祭壇画”最後の審判”の修復作業を記録した写真集や、”システィーナのミケランジェロ”(青木昭著)、フィレンツェ美術散歩(宮下孝晴・佐藤幸三著;とんぼの本)などを読んで、ミケランジェロについて少しは理解を深めることができた。忘れないうちに(汗)いくつか、彼のエピソードを記事にしておこうと思った。

ミケランジェロは頑固である。はじめ教皇ユリウス2世は天井にはキリストの十二使徒を描かせようとしたが、頑として断った。自分の意志を盛り込んだ作品にしたい、と。旧約聖書の物語を中心に描いているが、ギリシャ神話の五人の巫女や七人のユダヤの預言者の姿も入れている。

ミケランジェロは多才である。画家、彫刻家、建築家、詩人でもある。でも、自分は彫刻家が本業と思っている、実際、天井画の契約書のサインは”彫刻家ミケランジェロ”としている。この天井画がはじめての絵画作品である。彫刻家らしく、天井から飛び出してくるような立体的な画に仕上がった。ダイナミックな絵は、制作現場をみていた八歳年下のラファエロの画法にも影響を与えた。23歳上の、レオナルドダビンチもみているはずだが、何のコメントは残していない。ただ、彼も多才であったが、彫刻家を見下したようなところがあり、それをミケランジェロがかみついたことがあるらしい。

ミケランジェロは同性愛者であった。だから、若い男の裸像が多く、女の裸像でも筋肉質の男のような身体つきのものが多い。後世、礼拝堂の中に裸の男女ばかりの絵はいかがなものかと、腰布をつけさせられたが(爆)、現代になって、修復時、その腰布をはがしたところ、男だと思っていた裸像は女であった。ちなみにレオナルドダビンチも女嫌いであった。その点は共通している(笑)。ただ自分の作品”モナリザ”だけは大好きで、終生、そばに置いておいていたのは有名な話である。

ミケランジェロは母親が病弱で、生後、フィレンツェ郊外の石工の家に預けられるという不幸な少年時代を送っている。その後、メディチ家の当主、ロレンツオに出会う。サンマルコ修道院庭園の多くの古代彫刻に魅せられ、ここで彫刻の勉強をする。また、プラトン・アカデミーに通い、古代ギリシャ哲学をも吸収する。人体の解剖にまで興味をもち、その後の人体の裸像の彫刻、絵画に(筋肉の動きなど)生かすこととなる。

”最後の審判”を描いたのは、天井画を描いてから23年、60歳の頃であり、レオナルドダビンチも亡くなり、ラファエロも夭折している。宗教改革の嵐が吹き荒れていて、ローマも戦乱のさ中にあった。最後のルネサンスの輝きといえる。この中に自分の顔を、聖バルトロマイの剥がされた皮で描いている、己の背信的罪深い人生(メディチ家を裏切る等)の罪におののきながら、この絵を描いたようだ。66歳で完成した。そして90歳近くまで生きた。

こういうふうな、ミケランジェロの人生を知り、作品の画像をみていると、また、システィーナ礼拝堂や、フィレンツェに行きたくなってしまう。日本では”ミケランジェロ”に会うことがほとんどない。ただ、恵比寿駅から山種美術館に行く途中、実物大のダビデ像があります。黒いダビデ像ですが、誰が何のためにつくったのだろうか、いつも不思議に思ってみています(笑)。

では、最後にテレビ映像からのシスティーナ礼拝堂の天井画と祭壇画”最後の審判”をご覧ください。首は上げなくても結構です。寝転がってみてください。(でも眠らないでください)

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天井画

最後の審判

 

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