京都の人は北野天満宮を親しみをこめて、天神さんと呼ぶ。お寺さんだけでなくデパートまでさんづけだそうだ。ぼくもこれから鎌倉の八幡さまを八幡さんと呼ぶことにしよう(笑)。その天神さんの”初天神”が1月25日に開かれているというので、京都の初日、訪問トップバッターは天神さんにすることにした。一度、訪れたことがあるが、その日は、普通の日だったから、人影はほとんどなかったように記憶している。
この日はすごかった。天満宮方面行きのバスも超満員だったし、鳥居からの参道は人人人で溢れていた。さすが、三大天神のひとつだ、それに受験シーズンということもあるだろう。まず、参道の出店や屋台の多さにびくっりした。それにお店の種類が多い。干柿、金平糖、若狭の小鯛のささ漬け、京の漬物等の食べ物から和装品、骨董品、各種道具類、射的まで、まるで出店のデパートといった感じ。これだけ見学していても楽しくなる。ワイフは好物の干柿を買っていた。ぼくは、古唐津風のぐい飲みにちょっと心を動かされたが、高いのでやめた。
ここには見事な梅園があると聞いていたので、楽しみにしていたが、開園は2月に入ってからとのこと。でも境内にも梅の木があちらこちらにあり、早咲きのがいくつか開花していた。咲きそろったら見事なものだろうと思った。社殿にお参りし、宝物殿に入った。国宝の北野天満宮縁起は、鎌倉後期の作ということだが、色もきれいで、見事だった。重文の、蒔絵の硯箱や太刀、日本書紀(兼永本)、等泊の絵馬、北野曼荼羅図、日本地図鏡など、たっぷり目の保養をさせてもらった。ついでながら、社殿も国宝である。慶長12年の造営だそうだ。どちらからみてもうつくしい。中門、東門は重文。また、何匹かの牛がいて、皆に撫でてもらっていた。
そして、祇園に次ぐ花街、上七軒の通りを歩く。室町時代、天満宮の造成で余った木材を使って七軒の茶屋をつくったのが地名の由来になっている。残念ながら芸妓さん舞妓さんには出会えなかった。華やいだ風情の街を抜けると、千本釈迦堂の、華やいだお顔(笑)のおかめ像が迎えてくれる。本堂の建築を担当した大工の棟梁がかけがえのない柱の寸法を誤って切ってしまい、困り果てていたが、妻の、おかめの、”いっそ枡組にしたら”との助言で、無事完成した。しかし、このことが知られては夫のためにならないと上棟式を前に自害した。こんな伝説があるのだ。
本堂は応仁の乱にも焼けず、創建当時の趣きを残す京都最古の木造建築で、国宝である。霊宝館には重文の十代弟子像(快慶作)や六観音像(すべてそろってあるのはこの寺だけとのこと)、千手観音等の仏像や、国宝の本尊厨子と天蓋、本堂棟木と棟札などがある。
ワイフは二度目だからいいわ、とおかめさんの横で待っていた。遠くからみると、よく似ているな、と思った。 でも心はどうか、大いなる疑問符がつく。
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北野天満宮 (写真は拡大可能です)
参道の出店
境内
上七軒
千本釈迦堂(正式名は大報恩寺)