気ままに

大船での気ままな生活日誌

細川家に残る江戸の天文学

2013-01-21 09:20:03 | Weblog
この展覧会は、昨年末に終了したものだが、記録だけはしておこうと書きはじめている。それより先だって、滝田洋二郎監督の映画”天地明察”を観ている。こんなあらすじだった。

算哲(のちに渋川春海と改名;配役/岡田准一)は、もともと碁打ちの名家に生まれたが、ひょんなところから、幕府の命で、北極星の高度を測定し緯度を定める北極出地隊の一員となる。そして、それを終えたあと、さらに大命が下る。現在、朝廷が管理している(800年間使われてきた)唐由来の暦がどうも、少しくるってきているようだ、我が国独自の暦をつくれと言われる。朝廷側の激しい抵抗もあるが、妻えん(宮崎あおい)の内助の功や天才数学者、関孝和(なんと猿之助)の支援、そして水戸光圀(中井貴一)の後ろ盾もあり、とうとうやり遂げる。算哲の親友に、囲碁界の革命児・本因坊道策(横山裕)がいる。”初手天元(ど真ん中に初手を打つ、めったにやらない手)”ではじまる、両者の緊迫した対決もみられる。(ぼくのブログ記事から)

この映画を観た方はぜひおいでください、といった展示内容で、とても楽しめた。天文学に興味をもったお殿様は、第五代細川網利で、彼の収集品が主な展示品となっている。何と言っても目玉は、渋川春海作の、銅製の天球儀であろう。1,673年作で、中球の半球を赤道部分でつなぎ合わせ、星座を金銅および銀鋲で打ち、星座名を金および銅象嵌で示している。さらに板台表面には中国と日本の天文器具の歴史と本作を考案するに至った経緯が印刻されている。実際の制作者、津田友正の名も裏面に記されている。これほど大きな(径63cm)天球儀の例はなく、重要文化財に指定されている。

永青文庫に伝わる”妙應公御家譜続編”には、”天文ハ安井三哲(割注・俗渋川助左衛門(渋川春海のこと)御傳受年々星のめくり御覧被成二星五星二十八宿之行御書付置被遊候”とあり、細川網利(妙應公)が渋川春海から天文学を伝授され、星々の観察を行っていたことを示している。天球儀が細川家所蔵というのもうなづける。

第八代細川重賢も天文に興味をもち、皆既月食、月や星の観測を日記に記している。彼が重用した秋山玉山が著わした(星座の位置をわかりやすく示した)”二十八宿図”も展示されている。以前、大雄山参道二十八星宿灯をすべて見付け(汗)、ブログ記事にしている。(そこから引用)星宿とは、江戸時代の星座のこと。西洋式星座体系でいえば、黄道十二宮に代わり、中国や日本の星座体系では、二十八の星宿が天の赤道の方向に沿って大空を分割していた。月、惑星は星宿の中を行き来し、太陽は一年で二十八星宿を一巡りするというわけ。日月惑星が星空の中を行く道だったのだ。28の星宿は、東方青竜領域の角から始まり、北、西、南と移動し、28番目の軫で終わる。

重賢手製の茶杓には”銀河”という銘がついている(笑)。三島大社から頒布される暦にその模様が似てる三島茶碗、銀の月と七つの星の模様の軍扇なども展示されている。さらに、囲碁関係として、うつくしい碁盤・芒菊桐蒔絵碁笥も鑑賞できる。これは千利休が所持していたものだが、彼は、本因坊算砂(本因坊一世)とも親交があったそうだ。映画でに出てくる本因坊道策は本因坊四世である。

細川コレクション永青文庫内に新しくできた展示室での展覧会、とてもよかった。現在は、”武蔵と武士のダンディズム”が開催されている(1/25~3/24)。刀剣も出ているというし、是非、行かねば。今日は海老蔵です(汗)。

展示品の数々。













なお、ついでながら、算哲役をした岡田准一は、2014年の大河ドラマ、「軍師官兵衛」の主役だそうですね。天文好きの官兵衛になるのかな。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする