気ままに

大船での気ままな生活日誌

シャルダン展/静寂の巨匠

2013-01-08 13:32:31 | Weblog
シャルダン展みてきました。1月6日の最終日、滑り込みセーフ。

シャルダンという画家を認識したのは最近のこと。国立西洋美術館の(こちらは初日に出掛けた)”ベルリン国立美術館展”で、フェルメールの”真珠の首飾りの女”と一緒に観た、 ”死んだキジの静物”がシャルダンの作だった。モチーフのユニークさと写実性が印象に残る作品だったので、このシャルダン展は見逃すわけにはいかなかった。

第1章の”多難な門出と初期静物画”で、早速、これに類似した絵が出てきた。”死んだ野兎と獲物袋”2点。それぞれフィラデルフィア美術館とルーブル美術館蔵。隣りの”すももの鉢と水差し”は、フィリップスコレクション。いずれも昨年、訪ねた美術館なので親しみがわく。その他、ワシントンナショナルギャラリーやフリックコレクションなどもあり、あちこちの美術館から、現存作品数238点のうち、38点もの作品がここに集合している。すごいことだと思う。

第2章”台所・家事の用具と最初の注文制作”では、”肉のない料理”と”肉のある料理”が並んでいる。この頃から注文制作がはじまり、この絵も、同じ部屋に並べて、飾るためにつくった”対作品”なんだそうだ。シャルダンは生前は評価が高く、社会的にも成功した画家だったが、没後、急速に忘れられていった。それが、19世紀半ばに、フェルメール再評価で名高い評論家、トレ=ビュルガーの目にとまったのがこの作品で、即、彼の所蔵品となった。シャルダンも彼によって再発見され、”18世紀のフェルメール”とまで評価が高まる。そういえば、そのあとの章に出てくる作品は、モチーフも、やわらかい光と影も、フェルメール風だといえなくもない。

第3章”風俗画/日常生活の場面”。ちらしを飾る絵、”食前の祈り”。祈りを捧げるのは男の子だと音声ガイドさんが教えてくれた。その頃は男の子もスカートをはく習慣だったとか。心を平和にさせてくれる絵だ。この絵は、ルイ15世が所蔵したもの。この絵の(シャルダンによる)複製品も展示されている。いつもは、エルミタージュとルーブルに別れているから、同時展示は30年振りのことらしい。得をした気分。”羽根をもつ少女”もふたつあった。バトミントンの羽根とラケットをもつお人形さんのような少女が、すべて円錐形の構図の中に納まっている。絵ハガキがなかったのは残念。1737年作だが、この頃、シャルダンは相次いで、愛する妻と娘を亡くしている。この少女は娘さんではないかと、ふと思った。

フリックコレクションの”セリネット(鳥風琴)”。歌を忘れたカナリア(笑)に音楽を聞かせている情景。これは1752年前後の作。シャルダンは1744年に、裕福な未亡人と再婚して、さらに、1752年以降、国王の年金を受け、55年からはアカデミーの会計官をつとめ、57年にルーヴル宮内にアトリエ兼住居を授かっている。こうした安定した生活の中で制作された作品がつづく。

第4章”静物画への回帰” 1750年代の半ばに入り、シャルダンは風俗画を突然止め、再び、はじめの、静物画に専念するようになった。初心に帰る、だろうか。ここには、この展覧会を企画した方が最も推奨する、”木いちごの籠”がある。イチゴだけでなくコップの水にも感嘆。そして、”銀のゴブレットとりんご”と”桃の籠”もこの章に。80歳の生涯をルーブル宮で終える。

”静寂の巨匠”の作品を鑑賞するには、この美術館はぴったりだと思う。小部屋も多く、暖炉の上に飾られたりすると、どこかの邸宅内で鑑賞している気分になる。ただ、最終日ということあり、たくさんの人が押し寄せ、例の靴音も響き(笑)、ざわついていた。できれば、もっと前に来て、静かな雰囲気で観られれば、より印象が良かったかもしれない。

それと、ミレーやセザンヌまでシャルダンの影響を受けたこと、ディドロが大のシャルダンフアンであったことを知ったのも、この展覧会のおかげである。とにかく、見逃すに済んで、ほっとした。

食前の祈り


セリネット(鳥風琴)


木いちごの籠


銀のゴブレットとりんご、桃の籠



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シャルダンという名の薔薇。 ぼくのブログから探索。そうそう、花といえば、”カーネーションの花瓶”も良かったですね。

コメント
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