ぼくが弁天小僧菊之助を知ったのは、子供の頃。えっ!その頃から歌舞伎へ?なんて、若い人なら思うかもしれない。そうじゃなくて、歌謡曲からです。三浦洸一の”弁天小僧菊之助”。
牡丹の様なお嬢さんシッポ出すぜと浜松屋
二の腕かけた彫物の桜にからむ緋縮緬
しら ざァいって 聞かせやしょう
オット俺らァ 弁天小僧菊之助
当時はわけもわからず歌っていたが、その弁天小僧菊之助の故郷の近くに住むようになるとは夢にも思わなかった。次は歌舞伎の”青砥稿花紅彩画(白浪五人男)”鎌倉稲瀬川の場より。
さてその次は江ノ島の
岩本院の稚児あがり 普段着慣れし振袖から、髷も島田に由比が浜
打ち込む波にしっぽりと、女に化けて美人局 油断のならぬ小娘も、
小袋坂に身の破れ悪い浮き名も龍の口、土の牢へも二度三度、
段々超える鳥居数 八幡様の氏子にて、鎌倉無宿と肩書きも
島に育ってその名せえ、弁天小僧菊之助
弁天小僧菊之助といえば、尾上菊五郎。サライの最新号は”歌舞伎と文楽”を特集しているが、それによると、荒事を始めた市川団十郎家に対し、尾上菊五郎家は怪談や白波(盗賊)物を当たり役としている、とのこと。
平成11年(1999年)に”江の島歌舞伎”が開催された。演目は”弁天娘女男白波”で、五代目尾上菊之助が弁天小僧菊之助を演じ(その3年前、歌舞伎座でこれを演じ、五代目を襲名、現在に至る)、七代目菊五郎も共演したという。菊之助が、そのとき、手植えした枝垂れ梅が元気に育っている。お二人の手形も。
その横に枝垂れ桜もある。これは昭和60年、菊五郎のお手植え。
案内をみると、江の島と江戸歌舞伎の深いつながりが見えてくる。もちろん弁天小僧菊之助のおかげである。だから、菊五郎のお手植えなのだ。天明二年(1782)に江戸歌舞伎を代表する中村座の寄進による石灯籠の200年の歴史を記念して植樹したという。
中村座の石灯籠。
市村座のもある。
江の島神社の中津宮の石灯籠である。
菊五郎親子の弁天娘女男白波を是非、観てみたいですね。
ますます、雪が降り積もってきている。今日はトーハクの円空さんを観にいく予定だったが、これでは無理かな。近場の雪景色を撮るくらいにしよう。