気ままに

大船での気ままな生活日誌

鶴竜、横綱の資格なし!稀勢に”二度の変化”で勝つ

2015-09-26 20:30:33 | Weblog

全国の相撲フアンが目を凝らして、息をとめて、みつめていた大一番。稀勢の里対鶴竜戦。熱戦を期待していたのに、これを一瞬に、台無しにしてしまった鶴竜。なんと、前代未聞の二度の注文相撲。二度というのは、はじめ、(稀勢側からみて)左に変化、それは立ち合い不成立で、仕切り直し、そして、二度目の立ち合い、(今度はまともに立つと誰もが思ったが)今度は右に変化したのだ。稀勢、なんとか踏みとどまり、反転攻勢に出たが、態勢がくずれていて、あっけなく土俵を割る。

場内は騒然。テレビ観戦していたフアンも大ブーイング。普段は、おとなしいぼくも、おまえ、それでも横綱か!恥を知れ!と罵声(汗)。ほんとに、しばらく腹の虫が納まらなかった。五郎丸のまねをして、前日、稀勢が照に勝利したときと、同じルーチンで臨んだのに。すなわち、シャワーを浴びて、仏壇にお線香をあげて、江ノ島たこせんべいをつまみに、キリン一番搾りをぐっと飲み干し、テレビ画面を凝視する(汗)。

対栃煌山戦のときに引き続き、稀勢の里戦でも変化技(それも二度)。はっきりいって、鶴竜に横綱の資格はありません。横綱審議会が引退勧告をしてもおかしくないほど。

全治一か月の怪我をしながら、出場して、正々堂々と立って、豪太郎に負けた照ノ富士の方が、余程、えらく、みえた日だった。明日の千秋楽結びの一番は、照ノ富士コールが国技館にこだますることだろう。でも、無理しなくてもいいよ、たぶん、休場かもね。

 

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マルモッタン・モネ美術館所蔵/モネ展

2015-09-26 10:48:09 | Weblog

三年ほど前、パリのマルモッタン・モネ美術館を訪れ、モネの名作”印象、日の出”を目の前にしたときの感激は忘れられない。その”日の出”が同美術館の所蔵品90点と共に、東京都美術館に来られるというので、楽しみにしていた。もちろん、初日(9月19日)に出掛けてきた。

いつかも書いたことがあるが、ぼくはモネの作品はすべて好きだが、連作の多い睡蓮、積みわら等より、”日の出”と”日傘の女”がとくに好きである。だから、今回の展覧会でも、お目当ては”日の出”。その作品は、別格の待遇で展示されていた。間近で見たい人の為には、ロープが張られ、行列が出来ていた。でも、ロープの外でも、十分、鑑賞できるので、ぼくは並ばず、その代わり、ゆっくりと見た。その絵は、まるで、絵そのものが”日の出”のように輝くような照明があてられていた。朝もやの立ちこめるル・アーブル港の風景。そこに朝日が昇り始める。空と水面が朱色に染まり始めている。ぼくがこの絵を好きになった、若き日のことを思い出したりもしながら、しばらく、画中の人となった。

それでは、その他の作品を各章ごとに巡ってみましょう。画像はちらしに載っているものばかりです。画題はぼくが勝手につけています。

家族の肖像
この美術館は、モネが亡くなるまで手元に置いていた作品ばかりを所蔵している(ジョルジュ・ド・ベリオ・コレクションを除いて)。モネは、最初の妻カミーユと再婚したアリスの子を合わせ8人の子供たちと共に生活した。家族の肖像画はたくさん描かれ、ここにも10数点、展示されている。

海辺のカミーユ 本作品を制作した1870年夏、モネはカミーユと正式に結婚し、このトゥルーヴィルに滞在したとのこと。


ミシェル・モネ(カミーユとの子)

新聞を読むクロードモネ(ルノワール筆)

若き日のモネ
子供の頃から絵を描くのが好きで、ノートには似顔絵、風刺画(カリカチュア)がいっぱい。そのうち、それが評判となり、カリカチュアが一部、10フランか20フランの値がつき、2000フランほど稼いだという。それを元手にしてパリへ行き、本格的な画家への道を目指すことになった。

劇作家の似顔絵



モティーフの狩人
モネはよく旅をした。モーバッサンは彼のことを画家と言うより狩人のようだと述べたそうである。フランス北西部のノルマンディー沿岸やブルターニュの島、南フランスの光輝く海辺、テムズ川の流れるロンドンや水の国オランダなど。モネは各地で季節や天候によって異なる表情を見せる水辺の風景を描いた。

オランダのチューリップ畑


睡蓮と花/ジヴェルニーの庭
ジヴェルニーの庭は、モネ自身が庭師と相談しながらが造り上げた。邸宅前の花の庭だけではなく、敷地を広げ、睡蓮の咲く池を造った。そこから、200点を超える、睡蓮の連作が生まれた。また、第一次世界大戦が勃発する1914年、モネは「睡蓮」の大作に取り組み始める。オランジュリー美術館の大装飾画となる”睡蓮”だ。本展では、その下絵ともいうべき作品が6点も展示されている。

睡蓮

最晩年の作品
モネは晩年、白内障に罹り、視力が著しく落ちてきていた。画風もまるで抽象画のようになってきている。睡蓮の池には日本風の太鼓橋が架けられ、池のほとりには菖蒲やカキツバタ、柳や竹も植えられている。これらの風景を、最晩年まで描き続けた。

バラの小道

収集家としてのモネの章もあり、モネが敬愛したドラクロワの作品や10代のモネに戸外制作を勧めたウジェーヌ・ブーダンの水彩画なども展示されている。また、本展には、ジョルジュ・ド・ベリオ・コレクションが4点、《印象、日の出》、《ヨーロッパ橋、サン=ラザール駅》、《テュイルリー公園》、《雪の効果、日没》、特別出展されている。このうち、”日の出”は前期のみ、”サン=ラザール駅”は後期のみの展示となる。後期にもう一度、覗いてみたいと思っている。

”サン=ラザール駅”のちらし

”日の出”のちらし

三年ほど前に訪ねたパリのマルモッタン美術館

 

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稀勢、照を撃破 逆転初優勝の目も

2015-09-25 21:52:02 | Weblog

秋場所13日目。今場所随一の大一番。優勝争いのトップをいく照ノ富士に対戦するのは、稀勢の里。もし、稀勢が勝てば、照に一差となり、逆転初優勝の目も出てくる。わくわくどきどき。

さあ、いよいよ対決!両雄、土俵に上がる!

時間いっぱい!立った!右のど輪で起こして、得意の左四つ。

照のすくい投げをこらえて、前に寄る。そして、崩れる照を寄り倒す。バンザイ!バンザイ!バンザイ!!!

照、仰向け!連敗のショックか、なかなか立上がれない・・・どうも、怪我をしたようだ。

付け人の肩を借りて退場・・・明日は大丈夫か

今日の稀勢の勝利は特別な価値がある。これで照と一差となり、明日、稀勢が鶴竜を破り、照が豪栄道豪太郎に負ければ、三者が千秋楽を前にして、同星で並ぶことになるノダ。稀勢は鶴竜には対戦成績で優位だし、照は今日の怪我の影響で豪太郎に負ける可能性は高くなっている。2日前は考えもしなかった、稀勢の逆転優勝の目が出てきたのだ!

12日目の照撃破をみて、栃煌山を相撲界の五郎丸と讃えたが、今日の稀勢はW五郎丸といっても良い快勝だった。W杯ラグビーのスコットランド戦の、前半戦終了間際にあわやトライを決められるところを、五郎丸のタックルが、追加点を阻止した。照の優勝を”トライ”に例えて、果敢にタックルして阻止した両力士を讃えたい。

稀勢の里はW五郎丸!

鶴竜も2敗を死守。横綱初優勝に夢を繋ぐ。豪太郎は7敗、あとがない。

最高の秋場所になりそうな気配。今度こそ・・・

 

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小出川の彼岸花は遠目美人

2015-09-25 08:51:57 | Weblog

おはようございます。金木犀の香りが漂いはじめましたね。さて、今朝の話題は、色香が落ち始めた彼岸花について。

シルバーウイークも終わり、お彼岸のお中日も過ぎると、彼岸花もお役目が済んだのかと、お化粧を落とし始めたようだ。毎年のように楽しんでいる小出川の彼岸花、昨日(25日)、訪ねてきました。辻堂駅から慶応大学行のバスに20分ほど揺られると、小出川沿いに3キロにわたって群生する彼岸花のスタート地点に着く。午前10時頃なので、まだ見物客はいくらもいない。

そこから、下流方面を眺めると、両岸と畑側の彼岸花がどこまでもつづいている。うつくしい景色だが、近づいてみると、もう盛りをすぎているものが多い。いわば、遠目美人だ(笑)。でも、川縁を歩き進んでいくと、遠目美人の中に混じって、若々しい美人彼岸花の群落も、たびたび見かける。カメラマンもつい、こちらに集まる。もちろん、ぼくもその一人。それでは、小出川の遠目&近目美人彼岸花のお姿を紹介いたしまする。

スタート地点から遠目美人を眺める

少し歩くと、こんな風に。小出川の両岸にびっちり群生する彼岸花

田畑側にも

稲穂の前にも



ほら、こんな美人彼岸花も!

川面に太陽を写す、太陽娘!

白萩美人とツーショット

彼岸花だけではない。芸術作品も!かかしコンクールがあったらしい

モダンアートの作品も!こういうの展覧会でみたことがある。廃虚の美。

くねくね流生け花。

これで、富士山が見えてくれたら最高だったのに。

では、もう一度、美人彼岸花で。

今日も一日、お元気で!

 

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栃煌山は相撲界の五郎丸だ!

2015-09-24 20:36:51 | Weblog

大相撲秋場所12日目、栃煌山が全勝の照ノ富士を撃破。ここで負けたら、照の優勝がほぼ決まるところだった。昨夜のW杯ラグビーで前半戦、終了間際にあわやトライを決められるところを、五郎丸のタックルで、追加点を阻止した場面を思い出した。そうだ、栃煌山は相撲界の五郎丸だ!

よくやった、栃煌山!これで、俄然、秋場所終盤戦が面白くなった。二敗の鶴竜と勢の優勝の可能性が高まったし、場合によっては、今日、勝って、三敗組に残った稀勢の里にも初優勝の目が出てきた!

明日、13日目の稀勢の里対照ノ富士戦が今場所の行方を決める、大一番となった。稀勢が第二の五郎丸となって、照のトライを猛タックルで阻止さえすれば、もう、照の優勝はない!優勝ラインは三敗まで落ち、千秋楽の優勝決定戦で稀勢の初優勝

でも、明日も、♪いつものように幕が開き、恋の歌唄う私に届いた報せは 黒い縁取りがありました♪ 、あるいは、♪うれしがらせて泣かせて消える♪ ということになる可能性も大きい。

吉と出るか凶とでるか、いずれにしても、相撲界の五郎丸のおかげで、稀勢の初優勝!の夢を、13日目までは、みさせてもらいやしたた。ありがとうござんす、栃煌丸どの!

栃煌山、照ノ富士を撃破

稀勢、勝ち名乗り

五郎丸 稀勢の勝星のためにお祈り

 

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瑞泉寺 秋分の日

2015-09-24 08:43:45 | Weblog

おはようございます。昨晩のラグビー、残念でしたね。前半を凌げれば、後半はスタミナの日本といっていたのに、逆に、スタミナ切れしたのは日本。スコットランドに大差で負けてしまった。でも、ラグビーって、面白いゲームですね。次戦も必ず、みるぞゾ。ベスト8目指し、がんばれ日本、がんばれ五郎丸!

さて、昨日の秋分の日に久し振りに訪ねた瑞泉寺。人影はお墓詣りの人くらいなのに、境内の花はいっぱい。ちょっと奥まった山の麓にあるせいか、たいていの花は、よそより遅めに咲く感じ。

総門

総門をくぐって、まず目につくのが白芙蓉。本堂への道の両側。

そして、秋明菊

冬桜の初花二輪!元禄年間、水戸黄門さんのお手植え。秋彼岸から咲き始め、翌春までと、案内板が。

水引草が本堂裏の石庭前に

そこには、もちろん、今が旬、彼岸花も。

もちろん、本堂前の梅林の中にも。

花と石

花と蝶

白萩も見頃に

総門を出て女坂を下る。玉紫陽花が見頃に。

シダも見頃

男坂と女坂

平地に降りると、そこも彼岸花が花盛りだった。

そうそう、ラグビーをみていて、スコットランドのエジンバラ城のミリタリータトゥーを思い出した。むかし、1週間ほど仕事で滞在したときに、家内と見学した。この写真は先日のテレビから。

 

 

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秋分の日 茅ヶ崎&鎌倉散歩

2015-09-23 22:32:35 | Weblog

今日、9月23日は秋分の日で、そして、お彼岸のお中日でもある。お墓詣りは昨日、済ましたので、家内と一緒に、茅ヶ崎と鎌倉散歩を楽しんだ。まず、茅ヶ崎で美術館とランチ。どちらも、この日にふさわしいものだった。

茅ヶ崎美術館では、”棟方志功、萬鉄五郎に首ったけ展”。予想した以上の素晴らしさだった、質量共に!感想文は、のちほどとして、お彼岸のお中日にふさわしい作品をひとつ。

二菩薩釈迦十大弟子(棟方志功)


そして、お昼は茅ヶ崎駅前でインドカレーを。これも、お中日にふさわしく、ナムナム (ナン)とても、おいしかった。

午後からは、鎌倉の瑞泉寺に。ここでは、お中日にふさわしく彼岸花、秋分の日にふさわしくシュウメイギク。詳しくはのちほど。

夢窓国師作の石庭前の彼岸花。この裏山を登ると徧界一覧亭があり、そこから秋分の日にはダイヤモンド富士がみえるという。

境内に咲く、秋の花、シュウメイギク

帰宅する途中、大船の砂押川でカルガモ家族に出会う。お彼岸のお中日の集いだろうか。久し振りの出会いで、ほのぼのした気分に。


空を見上げると、白いお月さまが。上弦の月を二日ほど膨らませていた。中秋の名月もあと4日。

もう、そろそろ夕陽が沈む時間。そうだ、うちのマンションから夕陽と富士をみてみようと、富士山のみえる棟の最上階に上った。10分ほどすると、夕陽が沈み始め、同時に、その右側に富士山の影が浮き上がってきた。夕陽は富士山のてっぺんではなく、裾野辺りに沈んだ。ダイヤモンド富士とはならなかったが、”エメラルド富士”くらい。

エメラルド富士くらいの夕陽!

我が家に着くと、ちょうど稀勢の里と宝富士戦がはじまるところだった。なんとか仕留めて、勝ち越しを決める!秋分の日を最高の形で〆てくれた。

これから、W杯ラグビー観戦。勝ってくれれば、これ以上ない、最高の秋分の日になるのだが。がんばれ日本!がんばれ五郎丸歩!

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勢、さあ初優勝だ 稀勢は援護射撃へ

2015-09-23 08:50:32 | Weblog

いよいよ、今日から、秋場所も終盤戦に入る。前半戦、照に一差で追走していた稀勢が後半戦に入るやいなや失速。全勝をつづける照に三差をつけられ、念願の初優勝は絶望的となった。

一方、平幕で連戦連勝をつづける勢、昨日も遠藤を破り、1敗を堅持。鶴竜も二敗になったから、照に一差で追うのは、勢、ただ一人となった。終盤は上位陣と当てられるだろうが、この勢いをつづけ、ぜひ、14勝1敗で優勝賜杯を手にしてほしい。

日本人力士、久しぶりの初優勝のために、稀勢は援護射撃をしなければならない。照には、くらいついて、なんとかねじ伏せてほしい、もう、照に勝てるのは、稀勢と、もう一人くらいしかいない。また、もし、勢と対戦が組まれたら、わざと勇み足をして負けてあげて欲しい。

似たような状況が、2011年の九州場所にもあった。一時、十両まで落ち、這い上がってきた豊ノ島が、平幕で1敗のまま、千秋楽で稀勢の里に当てられた。これを撃破し、14勝1敗。そして、結びの一番で、白鵬が負ければ、初優勝となるところだった。ところが、相手の琴欧洲がほとんど無気力相撲で、白鵬が完勝し、優勝決定戦となる。ここで惜しくも破れ、豊ノ島は優勝を逃したのだ。

勢も、先場所、左肩の故障で大敗して、平幕下位に落とされた。場所後、治療をして痛みもなくなり、こうして好成績を上げている。もともと三役の力のある勢、平幕下位では敵なし。ただ、これからは、好調の力士と当てられる。終盤戦は全勝で乗りきって!

勢関は今年の、大船観音の豆まきにもこられた。観音さまも応援されている!

勢関は身体や所作が白鵬そっくり。白鵬のお面をかぶれば、白鵬そのもの。とくに、今場所、白鵬はお休みだし、チャンス!白鵬関も応援します!

白鵬マスク 先日、稀勢にかぶせようと、出したばかりですが、もう一度。勢の方が似合いそう。

2横綱2大関2関脇を撃破した、嘉風関も、是非、勝ち越し、二桁勝利で、殊勲、技能賞をとってほしい。上野公園でお会いしているので。


稀勢関は気楽な立場で、カクテル(鶴照)を飲んでいただければそれで結構です。
期待しないと、意外と終盤5連勝、照が負けはじめ、優勝ラインが3敗となるかも。そして、優勝決定戦で稀勢、初優勝。ほんとうは、これを期待しています。がんばれ稀勢の里!







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英勝寺の彼岸花 2015

2015-09-22 08:46:19 | Weblog

昼に、鎌倉芸術館で友人と鎌倉彫展をみた。すばらしい作品群で十分、楽しめた。このグループが長谷の光則寺の本堂格天井の天井絵を鎌倉彫で作成した。たしか海棠の花咲く頃に、初公開があって、午前早くに、訪ねたのだが、午後からということで、みられなかった。この展覧会でも、その格天井の写真などが展示されていた。花の寺、光則寺に咲く花がモチーフになっている。この秋、11月に公開日があるようなので、友人と訪ねる約束をした。友人は定年退職後、鎌倉彫をはじめて、もう先生格の腕前になっているが、生涯生徒でいたいという。彼は大のビール好きなので、帰りに、ビール専門店に入り、ソーセージ盛り合わせをつまみに、何種類ものビールを飲んで、最後はハイネケンの瓶飲みで〆た。

時計をみると、もう3時を過ぎていた。まだ、間に合うと、出掛けた先が、前日の彼岸花巡りで、ひとつ残していた英勝寺。鎌倉駅西口から、急いで駆け付け、滑り込みセーフ。4時閉門に間に合って、ほっ!もう、観客は少なくなり、最高の彼岸花見学となった。

ジンジャーの花と彼岸花

復興した山門と彼岸花

素晴らしい、英勝寺の彼岸花だった。

萩も、竹林も、

新種の蝶も、

何もかもすばらしかった。

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エリック・サテイとその時代展

2015-09-22 06:21:17 | Weblog

もう会期は終了しているが、メモ帳をみながら、思い出してみよう。8月23日に行った、ブンカムラ・ミュージアムの”エリック・サテイとその時代展”。音楽家を主役にするという随分と珍しい展覧会だった。会場内にはサティの音楽が、静かに流れていたっけ。

20世紀への転換期に活躍した、フランスの作曲家エリック・サティ(1866-1925)。”音楽界の異端児”と言われたが、彼の作曲技法は、その後の印象主義の音楽家たちに大きな影響を与えたという。一方、モンマルトルで、画家、写真家との交流もあり、互いに影響しあった。写真家マン・レイによって”眼を持った唯一の音楽家”と評されたように、同時代の芸術家たちに高く評価され、没後も彼の芸術は受容されていった。こんな彼の人生史を、交流をもった画家たちの作品と共に紹介していく、そんな展覧会だった。

キャバレーから前衛へ/異端の作曲家サティ(東急本店のショーウィンドーから)

サティは、眼を持った唯一の音楽家(ポスターの一部)

第一章モンマルトルでの第一歩
ノルマンディ地方の港町生まれ、長じて、パリ音楽院に入るが、身が入らず、1886年に軍隊へ志願。そこにも飽きたらず、除隊。その後は、パリのモンマルトルへ。そして、当時の芸術家たちがたむろしていた、キャバレー、”シャ・ノワール”に入りびたり。ここで上演される影絵芝居の伴奏者にもなった。

本章では、”シャ・ノワール”を中心に、世紀末モンマルトルのキャバレー文化が紹介される。見慣れたロートレックの”ムーランルージュ”や”ディヴァン・ジャポネ”などのポスターが迎えてくれる。ジューリ・グリュンのポスターも。そして、シャ・ノワールの黒猫のポスター、フランス国立図書館蔵のサティの楽譜、影絵劇のための手稿譜、ユトリロのサティの肖像画などが並ぶ。

ジューリ・グリュン ”外国人のためのモンマルトル案内”

第二章 秘教的なサティ
モンマルトルでサティは秘教主義の思想家、ジョゼファン・ペラダンと知り合う。そして、彼女が主宰する薔薇十字会の聖歌隊長に任命される。1892年には第1回薔薇十字展を開催され、絵画展のほか、サティの音楽も演奏された。しかし、ほどなく、ペラダンと袂を分かち、自分だけが信者の”メトロポリタン芸術教会”を設立した。この頃、画家のシュザンヌ・ヴァラドン(ロートレックやルノワールなどのモデルも務めた、ユトリロの母)とつきあったが、間もなく破局。本章では、薔薇十字会のポスターや資料等が展示されている。

第三章 アルクイユにて
1898年、サティはパリ郊外のアルクイユへと居を移す。そこで、音楽教室を開いたりしていたが、高級モード雑誌の”ガゼット・デュ・ボン・トン”からシャルル・マルタンによる挿絵入りの楽譜集を出版する話が舞い込む。展示室には、その楽譜集”スポーツと気晴らし”が並ぶ。ピアノのための21の短い曲で、楽譜には皮肉を含んだ言葉も。

スポーツと気晴らし(サティ作曲、マルタン挿絵)

第四章 モンパルナスのモダニズムのなかで
コクトーが脚本、ピカソが衣装と舞台装飾、そしてサティが音楽を担当した、1917年のバレエ・リュスの公演”パラード”は、大きな反響を呼んだ。これでサティの評価は一段と高まった。さらに、1924年にはスウェーデン・バレエの公演”本日休演”を手がける。これを通じて、サティはコンスタンティン・ブランクーシ、ジョルジュ・ブラック、マン・レイなど多くの芸術家と交流する。本章では、舞台作品に関する貴重な下絵やデッサンなど、交流した芸術家たちの作品も紹介される。

ピカソ バラードの舞台衣装”中国の奇術師”


そして、最終章、第五章サティの受容へと。
サティが没した後も、彼の作品は幅広く評価され、後代の人にその精神が受容されていった。没後発見されたサティの楽譜《ジュヌヴィエーヴ・ド・ブラバン》がマリオネットによるオペラとして上演される。ここでは、アンドレ・ドランによる舞台美術と衣装のデザインやマン・レイの”エリック・サティの眼”や”エリック・サティの梨”などが展示されている。

なかなか面白い展覧会だった。

東急本店では”寺山修司劇場展”が行われていた。

著作

ポスター

舞台衣装のデザイン


寺山修司は、青森県生まれで、47歳で没。短い人生だったが、多彩な活動で、人の10倍、100倍は生きた人だった。

渋谷駅前のスクランブル交差点の賑わい。ここが外国人の人気写真スポットになっているというので、撮ってみた。こんな大勢の人が四方から、よくぶつからずに渡ると、驚くのだそうだ。ついでながら、日本最初のスクランブル交差点は、昭和43年の熊本市の子飼交差点だそうだ。家内もむかし使っていた。えへん、えへん。

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