気ままに

大船での気ままな生活日誌

明月院のタローとジロー 浄智寺の布袋さまと和の猫

2016-10-11 21:05:49 | Weblog

こんばんわ。

長崎おくんちをみたあとは、静かな北鎌倉の散歩。

明月院のタローとジロー。見慣れぬ小鳥と見慣れたリスくん。


明月院通りの緑の石垣。

浄智寺では見慣れた布袋さま。

布袋さまというと、仙厓さんの画賛を思い出す。

指月布袋画賛 を月さま幾つ、十三、七つ

布袋画賛 夜もすがら生死涅槃を見し夢は・・・

猫と和

では、おやすみなさい。

いい夢を。

(明月院のほととぎす)


(浄智寺の秋明菊)

 

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長崎くんち(2)2016

2016-10-11 17:43:47 | Weblog

2016年10月9日

長崎おくんちの掛け声がまた、なかなか面白い、すでに紹介しているモッテコーイ、ヨイヤーのほかに、フトーマワレというのがある。これは、傘鉾の廻るときに掛けられ、”大きく(九州弁で太く)廻れ”という掛け声である。また、ショモーヤーレというのもあり、何かというと”所望する、もう一度”ということで”モッテコーイ”と同じ意味だが、こちらは踊りのときに使用される。

さて、元舟町のあと、つづいて登場するのは今籠町の傘鉾と本踊

若鷲の飾りと蛇籠の輪をつけた傘鉾

フトーマワレ、フトーマワレの掛け声で大きく廻る。

傘鉾が下がると、本踊りの踊り子さんが入場してくる。

地方(演奏陣)も登場

そして、本踊りが始まる。

一旦終わるも、ショモーヤーレ、ショモーヤーレの掛け声で何度も踊る。

そして、三番目が油屋町。傘鉾と川船(かわふね)

傘鉾の飾りは、畳の上に三方を置き、熨斗を献上する意匠。その熨斗が落ちない様に宝玉で押さえてある。輪はしめ縄。

川船は総檜造り。飾りは”楓紅葉に魚籠と網を配し薄(すすき)を添える”。

座布団三枚の上に子供が。船頭さん役で網打ちもする。祇園祭の生人形のような感じ。

網打ちし、魚を引き揚げるところ。

そして、船頭が下りたあとは、豪快な引き廻し。

何度も、モッテコーイ、モッテコーイ、モッテコーイで戻され、引き廻し。

そして、最後の引き廻しを終え、石段を降りて行く。

次は、お待ちかね、筑後町の龍踊(じゃおどり)です。

(つづく)

(長崎・佐賀の旅#2)

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長崎くんち(1)2016

2016-10-11 11:39:05 | Weblog

おはようございます。二泊三日の九州旅行から帰ってきました。この旅行の一番のお目当ては、もちろん長崎おくんち。”土砂降りの雨の中”のグラバー園や出島等の見学の翌日、”長崎は今日も雨だった”ら大変だったが、諏訪神社でのおくんち観覧日は最高の天気になってくれた。”ある晴れた日に・・”の最高の思い出となった。

はじめての長崎おくんち。日本三大祭りの一つだと”長崎の女(ひと)”はいう。京都の祇園祭、大阪の天神祭、そしておくんち(神田祭と思っていた)。とすると、ぼくはこの夏に、祇園祭と天神祭に行っているので、同じ年に三大祭を制覇したことになる。えへん、えへん。

2016年10月9日

”三大祭り”といっても誰れも文句はいえない素晴らしいお祭り。380年つづく伝統のお祭りで、今年は六つの踊町が傘鉾と山車や踊りを諏訪神社前などの踊り場で披露する。現在、長崎市内に全部で59カ町が存在し、七つの組に分けられ、七年一巡の当番となっているそうだ。七年連続、通わなければ、全部の演し物をみられないということ。今年は龍踊もあるし、いいものが出ていますよ、とバスガイドさんの言葉にわくわく。

さて、朝早くから諏訪神社前の観覧桟敷席へ。最初の元船町の入場を待つ大勢の人々。

観客席には見番さんも、との紹介がある。前日はケネデー大使もごらんになったとか。

いよいよ、元船町 傘鉾・唐船祭(とうせんまつり)登場。まず、傘鉾から。

重い傘鉾を一人で!

傘鉾が下がると、町の親子連れが。

そして、唐船が登場

そして、その前で奉納舞が演じられる。

舞い人が去った後は、お待ちかね、豪快な山車の引き廻しが行われる。大歓声!

何度かまわして、帰ろうする。


すると、観客席からモッテコーイ、モッテコーイ、モッテコーイ(もう一度持ってこい、の意味)の大合唱。で、引き返す。

そして、また、元に戻り、豪壮な廻し。

アンコールを何度か繰り返し、ようやく、石段を降りるのだった。観覧席からヨイヤーヨイヤー(良かったの意味)の大合唱。この石段を降りというのがまたすごい!がたっ!がたっ!と。

そして、そのあとすぐに、今龍町の傘鉾が現れてきた。

(つづく)

それでは、みなさん、今日も一日、おくんち衆のように、お元気で!

(長崎・佐賀の旅#1)

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大仙厓展

2016-10-10 07:13:43 | Weblog

おはようございます。仙厓さんゆかりの九州からの投稿です。昨日の長崎おくんち、良かったですよ。さて、今朝の記事はおくんちではなくて、仙厓さんです。

10月1日からはじまた出光美術館の大仙厓展、二日目にみてきました。開館50周年記念ということで、出光コレクションだけではなく、仙厓ゆかりの地の福岡市美術館と九州大学文学部コレクション(中山森彦旧蔵)という、仙厓三大コレクションが勢ぞろいということで楽しみにしていた。それに、今年の二月に博多に行き、福岡市美術館で小・仙厓展(笑)を観てきているし、何ってったって、仙厓さんが住職をされた聖福寺にも参拝してきた。満を持しての(笑)、見学であった。

第一章 仙厓略伝/作品でつづる生涯

仙厓さん(1750~1837)は、岐阜の農家に生まれ、地元や横浜の東輝庵(宝林寺)で修行する。1789(寛政元)年、40歳で福岡の日本最古の禅寺、聖福寺の住持となる。62歳で住持職を弟子の湛元(たんげん)に譲り、虚白院に隠居する。しかし、湛元が罪を受けて遠島されたため、87歳の時、住持に返り咲く。翌年の天保8年(1837)、88歳にして没する。虚白院に隠棲して、ユーモア溢れる書画を通じて、禅の普及に努めた。書画を求める人が多く、一時絶筆を宣言した。

ここでは、東輝庵画賛、絶筆画賛、絶筆碑拓本(1833年、虚白院の片隅に絶筆碑をたてた)、不道明王図など関連の書画が展示されている。

第二章 仙厓の画賛/道釈人物画で画風の変遷をたどる。

若き日の比較的、精密画風から、自由奔放な”厓画無法”に至る変遷を、布袋さんや寒山拾得、観音さま、達磨さんの画賛を年代別に辿る。たとえば、布袋画賛(出光、1817)辺りから、流れるような線がみられるようになる。

第三章 仙厓代表作、指月布袋、円相、〇△□となる。
第四章 厓画無法の世界 

と、つづき、ここで、出光美術館、福岡市美術館、九大文学部の仙厓コレクションがずらりと。

出光美術館コレクション

福岡市美術館コレクション

九大文学部コレクション

これまでも、仙厓さんについては、いろいろ書いているし(たとえばこれ)、ぼくは、今、旅行中でもあるし、詳細は省かせていただきます(笑)。ただ一つだけ、出光佐三、病床中の最後のコレクション、双鶴画賛を付け加えておこうかな。『鶴は千年亀は万年我は天年』の賛がぼくもとても気に入ったので。

聖福寺

福岡市美術館

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!ぼくは、今日、一日、佐賀県で遊んで、夕方、帰宅の予定です。

 

 

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かまくら巨樹巡り

2016-10-09 05:45:05 | Weblog

おはようございます。旅先の長崎からの投稿です。長崎おくんちをみにきました。さて、今朝の話題はそれとは無関係のはなし(笑)。

先日、熱海方面の巨樹巡りをしてきたばかりですが、ここ数日、鎌倉の巨樹巡りもしていました。これまで、それぞれの巨樹については本ブログですでに発表済みで、新味はないのですが、一度にまとめてレポするというのは初めてで、それだけが売りという記事でありまする(汗)。熱海方面の巨樹の樹種は、湯河原の城願寺がびゃくしん(柏槇)、熱海の来宮神社が、そして三島大社は金木犀モッコクでした。さて、わが鎌倉の巨樹の樹種は?、そして、樹齢は?では、訪ねた順にご紹介いたしまする。

建長寺のびゃくしん(柏槇) 樹齢760年

安養院 槇(らかんまき) 樹齢700年

荏柄天神の大イチョウ 樹齢900年

大イチョウといえば、八幡さま。現在の姿。2010年3月10日、ご神木大往生を思い出す。

あの日。樹齢1000年の銘木が大往生。

在りし日の大イチョウ。



かまくらの巨樹というと、つい八幡さまの大銀杏を思い出してしまう。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で。

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瑞泉寺 白芙蓉、秋明菊、冬桜

2016-10-08 05:28:22 | Weblog

おはようございます。

昨日は瑞泉寺の白芙蓉と秋明菊を観に行ってきました。どちらも、見頃で、素晴らしい咲きっぷりでしたよ。おまけに、冬桜まで咲き始め、茶樹の花も一気に増えてきました。

10月7日 

白芙蓉

本堂側から

秋明菊は境内のあちこちで

冬桜

由緒ある冬桜です。

茶樹

水引

瑞泉寺、今が見頃ですよ。

では、これから九州方面へ。行ってきまぁす。旅行中も更新しますので、お立ち寄りください。
  

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創造と神秘のサグラダ・ファミリア

2016-10-07 09:06:48 | Weblog

おはようございます。

2014年秋にスペイン旅行をした。そのとき、一番、印象に残った建造物がバルセロナの、アントニ・ガウディ設計の大聖堂、サグラダ・ファミリアだった。何とも言えない、威厳に満ちたものだった。

その、サグラダ・ファミリアのドキュメント映画が近くのホールで上映されるというので、家内と一緒にみてきた。この聖堂は1882年に着工されたのだが、ガウディが生きている内には完成せず、あとの人に託された。いまだに未完成なのだが、この間の建築に携わった人々のインタビューを交えながら、その歴史を振り返ってみようというものである。

ぼくらが現地に見学に行ったときにも、聖堂内に建築に係る資料室もあり、ある程度のことは知っていたが、映画で得られた新知見も多い。ここでは、旅行のときの写真も入れながら、ドキュメント映画を紹介したい。

1889年~1893年の初期のサグラダ・ファミリア1882年に着工された、二年目に、まだ無名のガウディ(1852-1926)が二代目建築家を引き受け、設計図を書き直す。その後、1914年、ガウディはすべての仕事を断り、この建築にのみ、身を捧げ、10年後、73歳の生涯を終える。そのあとは設計図(模型とデッサン等)に従い、工事が続けられている。没後100年の2026年に完成の予定とか。かつて完成までには300年かかると言われたが、公式発表ではガウディ没後100周年にあたる2026年完成予定。

ガウディの死後、建設は続行したが、10年後の1936年にスペイン内戦が起き、このとき、ガウディの模型の大半が破壊され、設計図など紙資料も消失した。戦後、どうするかということになり、建設を中止し、博物館にしたらという意見が大勢で、最近、彼の建造物が世界遺産となったル・コルビュジエさえ建設中止を訴えた。

しかし、何とか有志により建築は、継続され、こわれた模型を復元し、わずかな残るデッサン、図面をもとに、ガウディならこうするだろうと、後継者たちが少しづつ、付け加えて行った。いろいろな建築家、彫刻家が協力していった。

西側の外装は”受難のファサード”↓を担当したジョセップ・マリア・スビラックス(彫刻家)の話。
"受難のファサード"を任せたいと言われた時、あまりにも思いがけなくて心から驚いた。ガウディのスタイルを踏襲するのではなく、自分が生きる時代に根ざした表現を求めるために、ガウディから離れて考えることにした。私は無神論者だがキリスト教文化圏にいる。キリスト教のモチーフを彫るのは、普通のことだ。ただしそうした作品は、私の宗教観を表してるわけではない(公式サイトより)。

受難のファサード モダンな彫刻↓

東側の外装は”生誕のファサード” ガウディー時代のファサード↓ 

プロジェクトには日本人も関わっている。外尾悦郎(彫刻家)の言葉。

かつて私は仏教徒だったが、カトリックに改宗した。なぜなら、ガウディが見たものを見るべきだからだ。ガウディ本人を見つめるのではなくて、彼の視線を追ってみよう。そう切り替えたのが大きな転機になった。ガウディの模型の破片を基に、模型全体を復元した。ガウディの模型やヒントが仕事の助けになる。ガウディがどんな線を思い描き何を求めたのか、私は毎分毎秒問い続けている。

 

マーク・バーリー(建築家) 設計にあたっては、通常建築で使用するCADソフトではなく、飛行機の設計者用に開発されたソフトを使用した。サグラダ・ファミリアの建築においては3Dからイメージを把握することが大切だ。ガウディの作品だが、仕上げはチームが行う。チームとは仲良しクラブではない。みんな貢献したくてここに参加している。そうした作業者や技術者の総合体としてのチームだ

(空地を残すようにと)、サグラダ・ファミリアの増築を反対していた団体が、のちに、その予定地に自分たちの住宅を建築していた、と関係者が怒りの発言をしていた。どこにでも身勝手なやからはいるものだ。いろいろな困難を乗り越えて、建築は進む。



2014年11月のサグラダ・ファミリア↓

 

ガウディー没後100年の2026年に完成の予定。10本の塔が未完成で、最終的には18本になる。さて、10年後、そのとき、ぼくは、どうなっているか(笑)。是非、行きたい!!

それでは、みなさん、今日も一日、ガウディー・スピリットで、お元気で!

 

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くりはまにシン・ゴジラ登場

2016-10-06 13:53:25 | Weblog

こんにちわ。くりはま花の国にシン・ゴジラ現る!

がおぉ!!!

でも、こどもたちはぜんぜんおどろかない。それどころか、ちんこからはいろう、とみんないっている。

ちんこ(入口)のむこうは滑り台だった。

シン・ゴジラは、くりはま花の国のアイドルだった。

シン・ゴジラだけではなく、シン・アジサイも登場!なんと、秋でも花盛り。タマアジサイならわかるけど。見た目は普通の紫陽花!


シン・アジサイは、エンドレスサマーという秋咲きで花期が長い品種らしい。

椿園に入ると、なんとシン・ツバキが登場!もう咲いている。シン種というわけではなかった。

11月から咲くはずの紅妙蓮寺。

こちらは、2月から咲くはずの曙!なんてこった曙関。まだ秋場所がおわったばかりなのに。

シン・ゴジラ級の花だけではなく、季節の花も。

キバナコスモス

イヌサフラン

シン・ネコサフラン

くりはま花の国は、コスモスだけではなく、シンセイブツがいっぱいの、おもろい国だった。

さて、今晩は横浜でミニクラス会。そろそろ、寄り道をしながら出掛けよう。

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夜明けのうた

2016-10-06 10:37:16 | Weblog

おはようございます。

台風一過、素晴らしい朝焼けとなりました。ふと、口ずさんでしまった歌が、”夜明けのうた”。昨晩、つい最後までみてしまった”昭和偉人伝/岩谷時子”のせいかもしれない。これは、岩谷さんの作詞で、はじめは、新聞少年ために書かれたもので坂本九ちゃんの持ち歌だったが、あまり歌われなかった。それを、岸洋子さんがカバーしたいと申し出て、大ヒット曲となったそうだ。作詞もちょっこと変えて、”ぼくの心に”を”あたしの心に”へ。この一言で大人の格調高いラブソングに生まれ変わった。この曲で、岸洋子はレコード大賞をとり、彼女の代表曲となった。岩谷時子も作詞賞を受賞した。

番組では、はじめ、作曲家、宮川泰やいずみたくとのコンビでつくられた、ぼくら世代には懐かしい和製ポップスの数々が紹介される、恋のバカンス、恋の季節など。ザ・ピーナッツの”ウナ・セラ・デ東京”の歌詞の”町はいつでもうしろ姿の悲しみばかり”はレコーディング直前に浮かんだ言葉だったとかの、エピソードも。そして、加山雄三との出会い、気が合って、何と149曲もの作詞を担当したとのこと。加山(弾厚作)が楽譜を渡すと、たちまち、自分が想像していた以上の素晴らしい詩が現れ、感激したとのこと。君といつまでも、お嫁においでよ、旅人よ、等。また、加山が借金で失意のどん底にあったときには、まるで自分の心を見透かしたような詩をくれて慰められたようだ。

番組の後半は、岩谷といえば、越路吹雪。彼女が宝塚から独立するとき、マネージャーとしてついていく。そして、エディット・ピアフの”愛の讃歌”を皮切りに、次々と越路が歌うシャンソンを自分流に訳詞し、好評を博する。ろくでなし、サン・トワ・マミーなど。後年、作詞家として著名になったときでも、職業を問われると、本業は越路吹雪マネージャーです、と応えていたという。

70歳過ぎてからも、ミュージカルの作詞も手がけた。ミス・サイゴンもそのひとつ。主役の本田美奈子を可愛がっていて、本田の代表曲のようになったアメイジング・グレイスも岩谷の訳詩。岩谷が骨折で入院した病院に、たまたま、本田が命の危機と闘っていた。ふたりは、励ましの言葉を録音し、互いの病室に届けたという。そのボイスメッセージが紹介された。アカペラで歌う本田美奈子の歌におもわずほろり。

生涯、独身だったが、歌の中でたくさんの恋をしましたからと語る岩谷さん。素晴らしい一生でしたね。

それでは、みなさん、今日も一日、岩谷時子スピリットで、お元気で!

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くりはま花の国のコスモスは五分咲き

2016-10-05 17:11:47 | Weblog

こんにちわ。

くりはま花の国のコスモスまつりが始まったようなので、偵察に行ってきました。まだ、ちょっと早かったですね。5分咲きといったところ。でも、奥の畑のキバナ系統のコスモスはばっちりでしたよ。

2016年10月5日

入口に”コスモス五分咲き”の表示。

これでは、ちょっとね。観客もまばら、三分の入りといったところ(笑)。

撮り方次第で・・・もう少し、花を咲かせてみましょう(笑)。

あっ!花の国の電車がやってきました

はなのくに駅

くりはま駅

幼稚園生の帽子も花みたい

色別に

そして黄色いコスモスも!レモンブライトという品種。

こんなに咲いています!こちらは満開!

階段を登って、高みの見物。

もっと上から。

満開の黄色いコスモスも見られたし、まずまずのコスモス見物でした。できれば、もう一度(汗)。

さて、まだ、このあとの散策も、たくさん収穫がありました。それは、のちほど報告するとして、ひとまず、こすもすソフトでひと休み。

今晩のノーベル化学賞発表が楽しみですね。こちらは、5年ほど、空いているので、可能性が高いのでは。

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