まろねふの廊下からの呟き

中年オヂさんの呟き転じて、人生備忘録となる…

クモハ42 006

2006年07月17日 | 廊下から
今夏最大の一大思いつきプロジェクト、『プロジェクトU』も佳境に入り、OやKと言った邪念が周辺から入り計画完遂が危ぶまれてきたので、初心に帰るべく私が唯一触れ合う事の出来た旧型国電の画像を貼り付け、士気を奮い立たせ計画完遂への誓いを新たにしました…?

私が車掌時代に“そのスジ”の先輩運転士の方々(若かりしシンコーさまもおられました…多分)に強制連行…いや、誘われて青春18切符で、宇部線方面に撮影に行った事があり、夕方の本山線にクモハ42を尋ねた事がありました。
中学生の頃から旧型国電に興味があり、特に元関西急電のグループは、ずらりと並んだ狭窓に美しさを感じておりました。しかし、当時は飯田線の車両にしか興味がなく、『宇部線にもクモハ42がいたなぁ…』程度にしか思っておりませんでした。しかし、この時初めてお目に掛かった時には、人の温もりが感じる造作、年輪を重ねても失われていない美しさに、ただ心を奪われたのでした。
しかし、クモハ42と接したのもこの時限り。その後にアクセントだった警戒色も消され、イベントに借り出されたりもしましたが、単なる客寄せパンダと化した姿に寂しさを感じ、二度とこの目で見る事はありませんでした。
一部では、前面警戒色は邪道とも聞きますが、なんら変哲の無い風景に電車の存在感を知らしめる、良いアクセントだったと思います。
しかし、やはりデータが無い。見に行ったのは昭和63年だったか平成元年だったか…切符収集の中から探し出すにも、大変だなぁ…



夕陽を背に佇む 長門本山駅にて


時代を映す銘板… あれ? 製造銘板が無い…


一体、どれだけの人々を運んだのか…


おまけ… この日、車内で買い求めた車補

いやぁ、いいですね。旧型国電も… 客車や気動車に明け暮れていた私には、一服の清涼剤になる…訳ないか(笑)

『で、またクモハ42を買うんじゃろ?』
私『うっ…(汗)』

Fおぢ『♪お~ちてゆきましょ 奈落のそ~こへ…』