屋島といえば古くは源平合戦の舞台となり、現在でも観光地として有名でありますが、つい最近までケーブルカーが走っていたことでも知られています。
この屋島ケーブル(正式名:屋島登山鉄道株式会社)は戦前から営業を開始しており、戦時中に休止されるも戦後復活、屋島観光の足として活躍しましたが、近年は利用者が大幅に減少し施設の老朽化もあり、平成16年10月16日を持って営業休止、翌年8月に廃止となりました。
琴電撮影の折に、数回このケーブルに乗ったことがありましたが、四国の知人の紹介もあり、休止前の10月13日に屋島ケーブルの施設を見学させていただく機会に恵まれ、初めて見る施設にはただ圧倒するばかりでした。係の方の説明では、巻揚げ機は開業当初からのもので、全て手動で制御するシステムは現役最古と聞き、大変驚きました。
琴電屋島駅から案内に沿って歩くと、約10分で登山口駅に到着しました。駅前の上り坂から見上げると、山腹を往復する白いケーブルカーが印象的でした。
1号車『義経号』、2号車『辧慶号』と名付けられた車両は、昭和25年の営業復活時に新製された車両で、この車両に揺られて眺める高松市街の町並みは、いつもと違って見えました。
約10分程で山頂駅に到着。この日は、お名残乗車をする市民の姿も見られ、いつもより賑っていた様にも見えました。この小さなお客様にはどんな思い出が残るのでしょうかね? (駅舎の写真は2000年撮影)
運行時間の合間に、山頂駅の巻揚げ機を見学させていただきました。この巻揚げ機は、開業時にスイスのギーセライベルン社から輸入されたものだそうです。直径3m以上の大歯車が回転する姿には圧倒されました。モーター軸に取り付けられた赤いドラムがブレーキ装置で、真上の制御室からワイヤーで制御しておりました。例えどんな機械でも、日々の点検を欠かせないもので、機器室の黒板からもその点検内容を伺う事が出来ます。こういった人々の努力が運行を支えているのですね。
この日の最終便の山頂行電車。
10月16日の運行をもって営業を終了する予定でしたが、当日の早朝の試運転時に原因不明のトラブルに見舞われ、途中で車両が停止したままとなり終日運休したそうです。本当に寂しい幕引きだったそうです。車両達も最後を知っていたのでしょうか…
高宮今日子さまの屋島に行ったお話しから思い出した、ケーブルカーのお話でした。
(参考資料:琴電-古典電車の楽園 JTB刊)
この屋島ケーブル(正式名:屋島登山鉄道株式会社)は戦前から営業を開始しており、戦時中に休止されるも戦後復活、屋島観光の足として活躍しましたが、近年は利用者が大幅に減少し施設の老朽化もあり、平成16年10月16日を持って営業休止、翌年8月に廃止となりました。
琴電撮影の折に、数回このケーブルに乗ったことがありましたが、四国の知人の紹介もあり、休止前の10月13日に屋島ケーブルの施設を見学させていただく機会に恵まれ、初めて見る施設にはただ圧倒するばかりでした。係の方の説明では、巻揚げ機は開業当初からのもので、全て手動で制御するシステムは現役最古と聞き、大変驚きました。
琴電屋島駅から案内に沿って歩くと、約10分で登山口駅に到着しました。駅前の上り坂から見上げると、山腹を往復する白いケーブルカーが印象的でした。
1号車『義経号』、2号車『辧慶号』と名付けられた車両は、昭和25年の営業復活時に新製された車両で、この車両に揺られて眺める高松市街の町並みは、いつもと違って見えました。
約10分程で山頂駅に到着。この日は、お名残乗車をする市民の姿も見られ、いつもより賑っていた様にも見えました。この小さなお客様にはどんな思い出が残るのでしょうかね? (駅舎の写真は2000年撮影)
運行時間の合間に、山頂駅の巻揚げ機を見学させていただきました。この巻揚げ機は、開業時にスイスのギーセライベルン社から輸入されたものだそうです。直径3m以上の大歯車が回転する姿には圧倒されました。モーター軸に取り付けられた赤いドラムがブレーキ装置で、真上の制御室からワイヤーで制御しておりました。例えどんな機械でも、日々の点検を欠かせないもので、機器室の黒板からもその点検内容を伺う事が出来ます。こういった人々の努力が運行を支えているのですね。
この日の最終便の山頂行電車。
10月16日の運行をもって営業を終了する予定でしたが、当日の早朝の試運転時に原因不明のトラブルに見舞われ、途中で車両が停止したままとなり終日運休したそうです。本当に寂しい幕引きだったそうです。車両達も最後を知っていたのでしょうか…
高宮今日子さまの屋島に行ったお話しから思い出した、ケーブルカーのお話でした。
(参考資料:琴電-古典電車の楽園 JTB刊)