まろねふの廊下からの呟き

中年オヂさんの呟き転じて、人生備忘録となる…

長距離鈍行の思い出…

2012年10月08日 | 廊下から
最近、模型で客車熱が復活してきましたが、そもそも何故に客車が好きになったのか…

それは、幼少の頃から客車列車を眺めていた事、そして、その客車列車は長距離鈍行が多く行先を見ても場所が判らない…つまり、それが何処に行くのか判らない列車に興味を持ったのが始まりではないのかと…(多分)

アタシが幼少の頃、慣れ親しんだ長距離鈍行は、その当時で全国屈指の長距離列車が何本もいました。

下り
829列車(出雲市→下関)
831列車(豊岡→門司)
543列車(福知山→浜田)
835列車(京都→浜田)

上り
726列車(浜田→大阪)
544列車(浜田→東舞鶴)
822列車(長門市→豊岡)
824列車(門司→福知山)
828列車(下関→米子)

でしょうか。


824列車と831列車(右側)の交換 昭和58年12月 田儀

これらの列車は、特徴があって面白かったですよ。

829列車はスユニとマニを連結した6両で、スユニと座席車4両は翌日の824列車、マニは浜田で解放され、その日の536列車で折返し、急行だいせん号に継送されていました。
831列車はマニ×2、スユニ、座席車4+1両の8両編成で、先頭のマニは山陰号からの継走で益田で解放、前2位は下関のマニで青いマニ36が時々入っていました。
543列車は、座席車2+4両で基本の4両は前日の824列車でした。
835列車は、マニ×2、座席車4両で座席車は福知山区の車両で時々10系が入っていました。

726列車は座席車2+4両、マニの編成でした。座席車2両は前日の543列車から、マニは前日の835列車で下って来た鳥取区のマニでした。
544列車は、座席車4両、マニ、スユニでした。マニは下関区のマニでスユニは米子区。座席車は福知山区で前日の835列車下って来た編成でした。59-2改正でスユニがオユ14(10)に変更となり、60-3改正でオユ11に変更となりました。
822列車は座席車4両のみでしたが、カンカン部隊のおばちゃんが多く利用しており、最後部の車両のデッキには常に多くの荷物が乗っておりました。また浜田までオハニが連結されていました。
824列車は、座席車4両にスユニ、マニの編成で当時日本一の走行距離を誇った列車でした。
828列車は、座席車4+1両、スユニの編成で前日の831列車でした。前1位のオハフのみ出雲市で解放されていました。

これら、慣れ親しんだ列車も57-11改正で、822列車と543列車が米子で分割され50系化。
59-2改正では、824列車が出雲市、831列車が米子で分割され50系化。544列車が福知山行に変更。
60-3改正では残りの長距離列車が米子で分割され、出雲市以西の旧型客車の運用が無くなりました。

この頃の懐かしい列車は、既に記憶の中にしかなく、また模型で再現するしかありません。
帰れるものなら、あの頃に帰ってこういった列車を完乗してみたいですね。

もっと欲を言うと、111・112列車を完乗してみたかった(爆)