まろねふの廊下からの呟き

中年オヂさんの呟き転じて、人生備忘録となる…

余剰客車活用策という名の下に…

2012年10月14日 | 工作室から
先日のオハ35に続いて、超常連さまの予想通りやはり購入してしまいました…



『余剰客車有効活用策』という、政治家と官僚が好きそうな名の下に、つい食指が…(笑)

考えてみれば、TR-40台車なんて今まで製品化されていないし、スハ42なんて決してメジャーではない客車なので、今後も製品化されることは無いでしょうからね~

あとで後悔したくありませんよね~(と、言い訳してみる)

ところで、このスハ42の加工に関連して、超久々にハンダ鏝を引っ張り出してハンダ付けをしたのですが大問題が発生!!

『ハンダ付けが出来ない!!』

本当に久しぶりなんで、えっとありもしない腕も落ちておりましたが、フラックスの匂いに耐えれません(汗)

これは由々しき事態で、工作が今後出来るのか、真剣に考えないといけません。

まだ、大丈夫ですが老眼の心配もあるし、どうしましょ…?



井笠鉄道バス事業廃止

2012年10月13日 | 廊下から
昨日、シンコーさまから緊急入電があり気が付いたのは夜遅く…
その内容に驚きが隠せませんでしたが、今朝の朝刊一面トップで改めて驚きました。

岡山県の井笠鉄道が今月末でバス事業廃止を発表しました。
井笠鉄道といえば、軽便好きにはお馴染みの会社ですが、鉄道廃線後も社名を変えずバス事業で地域の足として頑張っておりました。
突然の発表に地元では大騒ぎとなっているようですが、夏から給与の遅配があるなど深刻な状態だったそうで、遂に自主再建を断念し廃業を決めたようです。

これからの高齢化社会で移動手段確保の為には公共交通が絶対に必要で、それを維持するために、皆で知恵をださなければなりません。
公共交通を民間企業に任せている以上、行政の手助けも必要ですが、まずは皆で利用する事が大切ですね…



珍車2題…

2012年10月09日 | 廊下から
長距離鈍行や客車の写真を探すために、アルバムの写真をよ~く見直してみると、今まで気が付かなかったことが…


439列車 波子 59年2月か12月頃?

59年2月改正で、831列車のスジが439列車となりました。
とある日、学校から帰ってたまたま見た439列車に旧客が3両連結されていたので、慌てて駅へ上がり撮影したのが上の写真です。
この日は、山陰東部が大雪で運行が乱れ、足りなくなった客車を送り込んだと記憶します。
当時のメモ書きの写しには、オハフ33+オハフ33+スハフ42とだけ記されています…


これがオハフ33…? 

完全切妻車体なので、実はずっとメモの間違いだと思ておりましたが、よ~く見てみると鋼板屋根で台車はTR-23、末尾の番号は7…?

あれれ? もしかして、オハフ33-627?

627番は、東田子の浦事故で被災したスハフ32の事故復旧車で、晩年は米子にいました。
ピンボケなんで、確証が得られませんが、本当にそうだとしたら、ちょっと嬉しいことですね…

そしてもう1枚…



メモには『スハフ42車内』とだけ書かれた写真。

何処で撮ったのか全く記憶が無いのですが、コレを見て『ん?』と思った方は相当のフェチです(爆)

肘掛と背もたれの間に取っ手のような物があります。実はコレ『リラックスカー』と呼ばれた頃に設けられた簡易寝台の固定具です。
これまた走り書きしかしていないので番号が不明ですが、配置表から推測すると浜田区にいたスハフ42-2121の車内と思われます。

2121は、現役時代の姿をチラリと撮った事がありますが、車内は撮ってないと思っておりました。

記憶が無いという事は、もしかすると知人にお願いして撮って貰った写真かもしれませんが、これまた珍車の写真を見つけたので、またまた嬉しい事で…(笑)

以上、手元にあった珍車2題でした。

長距離鈍行の思い出…

2012年10月08日 | 廊下から
最近、模型で客車熱が復活してきましたが、そもそも何故に客車が好きになったのか…

それは、幼少の頃から客車列車を眺めていた事、そして、その客車列車は長距離鈍行が多く行先を見ても場所が判らない…つまり、それが何処に行くのか判らない列車に興味を持ったのが始まりではないのかと…(多分)

アタシが幼少の頃、慣れ親しんだ長距離鈍行は、その当時で全国屈指の長距離列車が何本もいました。

下り
829列車(出雲市→下関)
831列車(豊岡→門司)
543列車(福知山→浜田)
835列車(京都→浜田)

上り
726列車(浜田→大阪)
544列車(浜田→東舞鶴)
822列車(長門市→豊岡)
824列車(門司→福知山)
828列車(下関→米子)

でしょうか。


824列車と831列車(右側)の交換 昭和58年12月 田儀

これらの列車は、特徴があって面白かったですよ。

829列車はスユニとマニを連結した6両で、スユニと座席車4両は翌日の824列車、マニは浜田で解放され、その日の536列車で折返し、急行だいせん号に継送されていました。
831列車はマニ×2、スユニ、座席車4+1両の8両編成で、先頭のマニは山陰号からの継走で益田で解放、前2位は下関のマニで青いマニ36が時々入っていました。
543列車は、座席車2+4両で基本の4両は前日の824列車でした。
835列車は、マニ×2、座席車4両で座席車は福知山区の車両で時々10系が入っていました。

726列車は座席車2+4両、マニの編成でした。座席車2両は前日の543列車から、マニは前日の835列車で下って来た鳥取区のマニでした。
544列車は、座席車4両、マニ、スユニでした。マニは下関区のマニでスユニは米子区。座席車は福知山区で前日の835列車下って来た編成でした。59-2改正でスユニがオユ14(10)に変更となり、60-3改正でオユ11に変更となりました。
822列車は座席車4両のみでしたが、カンカン部隊のおばちゃんが多く利用しており、最後部の車両のデッキには常に多くの荷物が乗っておりました。また浜田までオハニが連結されていました。
824列車は、座席車4両にスユニ、マニの編成で当時日本一の走行距離を誇った列車でした。
828列車は、座席車4+1両、スユニの編成で前日の831列車でした。前1位のオハフのみ出雲市で解放されていました。

これら、慣れ親しんだ列車も57-11改正で、822列車と543列車が米子で分割され50系化。
59-2改正では、824列車が出雲市、831列車が米子で分割され50系化。544列車が福知山行に変更。
60-3改正では残りの長距離列車が米子で分割され、出雲市以西の旧型客車の運用が無くなりました。

この頃の懐かしい列車は、既に記憶の中にしかなく、また模型で再現するしかありません。
帰れるものなら、あの頃に帰ってこういった列車を完乗してみたいですね。

もっと欲を言うと、111・112列車を完乗してみたかった(爆)



四国のマニ36

2012年10月02日 | 工作室から
オハ35第2弾の発売で勢いの増した『四国客車シリーズ』ですが、初めての荷物車が完成しました!

トラムウェイのマニ36(オロ40改)をちょっぴり弄って、四コチの207番に仕立てました。



まず最初に行ったのが、ベンチレータをKATO製に交換し、カプラーをkadee5番に交換します。
カプラーの交換は、模型友の会のK野氏にご教示頂き、簡単に交換する事が出来ました。



一番手間が掛るのが、保護棒をFUJI製に交換する事で、家族が寝静まった夜中しか工作をする事が出来ません…(汗)
そして、荷物扉の窓に0.3のプラ板から切り出した中桟を貼り付け、GMカラーのぶどう2号をチョイチョイっと筆で色差し。



そして極めつけは、貫通扉を窓が大きいタイプに交換します。
このパーツをどうするか一番悩みましたが、同時に購入した同社製のオハ35(ぶどう色2号)の鋼製扉パーツの天地寸法を縮めて嵌めこみました。
ここの製品は、荷物扉を含め全ての扉が別パーツなので助かります。

これで、オハフ33が揃えば、土讃線の客車列車の再現が出来ます!



さ~て、次のマニ36は、アノ列車用なんで番号は…