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無線充電の技術は韓国の亀尾市で既に実用化されている。

2015-08-19 | 科学最前線

走りながら充電できる電気自動車用道路、英で実証実験へ

2015.08.19 Wed posted at 13:13 JST

 

ロンドン(CNNMoney) 英政府は年内に、道路上を走行する電気自動車に無線で充電する新技術の実証実験に着手する。充電のため頻繁に停車しなければならない現状を打開して、二酸化炭素(CO2)の排出量が少ない電気自動車の普及を促す狙い。

ほとんどの電気自動車は、家庭に設置したコンセントを使ったり、路上で駐車したりして充電する必要がある。無線充電装置も登場しているが、それでも充電の時は停車しなければならない。

英政府が提案した無線充電道路は磁気誘導技術を利用する。実験車両には無線技術を搭載し、道路には専用の装置を埋設。路面下のケーブルで電磁場を発 生させ、車の受信装置でそれを受信して電力に変換する仕組み。通信システムも導入され、道路が車の接近を検知すると、充電の準備を開始する。

当面の間、一般車が実験用のレーンを走行することはできない。英政府は今後5年で同プロジェクトに5億ポンド(約970億円)を拠出する。英国内の充電ステーションの数も増やし、約32キロごとに設置する計画。

無線充電の技術は韓国の亀尾市で既に実用化され、

地下の電源ケーブルから充電できるシャトルバスが運行されている。

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朝鮮人徴用者などが離れた故郷を思い描いて岩壁に書いた「大邱(テグ)」という漢字を撮った写真が展示。

2015-08-19 | 戦争だけはやめてほしい

<光復70周年>日本の松代大本営を行く

2015年08月18日/中央日報日本語版

1944年末、日本の軍国主義勢力が工事を始めた長野市松代大本営の象山地下壕案内図。朝鮮人犠牲者平和追悼記念碑の建設を主導した塩入隆・長野県短期大学名誉教授が碁盤の形に建設された地下壕の構造を説明している。右側に戦争反対を誓う「不戦碑」が建っている。

  東京から北陸新幹線で北西に約1時間40分行けば長野駅に到着する。1998年冬季オリンピックが行われた長野には、有名な善光寺がある。百済王が送った仏像をまつったところだ。

  長野はこのように韓半島(朝鮮半島)と長年の縁があるが、日帝時代には強制徴用の悪縁がある地域でもある。長野駅で再び車に乗って東 南に10分ほど走れば、松代という地域になる。千曲川橋を渡ると目の前に皆神山、舞鶴山、象山などが400~500メートルの高さで屏風のように連なって いる。

  日帝が第2次世界大戦末期の44年11月11日から45年8月15日まで松代大本営を建設したところだ。大本営は、天皇が総動員戦争 を陣頭指揮した総司令部だ。日本の軍部は東京にあった大本営をここに移し、米軍主導の連合軍と本土決戦に備えようとしていた。海から遠く山で囲まれた天然 の要塞だったからだ。

  ◆故郷思い描き「大邱」の文字も刻む

  当時、軍部は国体護持(天皇を頂点とした国家体制維持)を名分に「持ちこたえれば勝つ」として決死抗戦を叫んだ。これに伴い大本営と 皇居を舞鶴山に、政府機関とNHK・中央電話局などを象山に、皇族の住居は皆神山の地下にそれぞれ建設した。1億~2億円を投じ総延長13キロの穴を突き 抜けた。約80%の工程率を見せたが45年8月15日、裕仁天皇が降参を宣言して全面中断された。

  先月25日訪ねた象山地下壕は、外の気温が33度を上回っているのに内部は冷気が流れていた。案内者は普段、真夏でも14度を超えな いといった。地下壕の長さは5853メートル。今は516メートルまで見学できる。壕の内部は高さ3メートル、幅4~6メートルで車両が通行できるほど広 かった。

  丈夫な岩盤にダイナマイトを設置して爆発させた跡があちこちに残っている。300メートル余り入ると朝鮮人徴用者などが離れた故郷を思い描いて岩壁に書いた「大邱(テグ)」という漢字を撮った写真が展示されていた。

  朝鮮人強制徴用労働者のチェ・ソアム氏(91年死亡)は生前「ダイナマイト発破中に友人4人が死んだ」と証言した。慶尚南道(キョン サンナムド)が故郷である彼は「トンネル内で飛び散った遺体を探したが頭一つ探せなかった。その人の頭が天井の木板の間に挟まっていた」と悲惨な場面を伝 えた。

  ◆発破事故、栄養失調で亡くなった朝鮮人

  地下壕入口右側に95年8月10日に建てられた「朝鮮人犠牲者平和追悼記念碑」がある。碑石の裏面を詳しく見てみると松代大本営で行 われた強制徴用の実体をさらに知ることができる。碑石には「地下壕掘削の中心的役割を果たした人々は当時、植民地の朝鮮から来た多くの強制連行者を含む 6000人余り」と記録されている。

  地下壕のそばにある恵明寺で会った中西智教住職(82)は「私が12歳だった45年当時、14歳の朝鮮の少年も連れられてきたし、その少年は同じ町内から10代の若者3人が共に連れられてきたと話していた」として「その少年は労働をとても苦しがっていた」と証言した。

  当時、徴用労働者の生活は悲惨だった。追悼碑文によれば工事は厳しい監視下で夜昼を問わず強行された。食糧不足と栄養失調、発破およ び落盤事故で死亡者が続出した。逃げたり自殺したりする労働者もいた。処遇改善を要求して射殺された人もいた。犠牲者数は300人と推定されているが 1000人という説もあると碑文は記録した。

  この追悼記念碑建設を主導した塩入隆・長野県短期大学名誉教授(81)は「当初は1000人余りが亡くなったとみていたが600人余りが帰国したらしく300人余りが犠牲になったと推定している」と話した。

<光復70周年>日本の松代大本営を行く(2)

 ◆秘密工事のため被害申告者は7人だけ

  しかし韓国政府(首相所属対日抗争期強制動員被害調査・国外強制動員犠牲者等支援委員会)にこれまで申告された松代大本営関連被害者 は7人だけだ。委員会のチョン・ヘギョン調査1課長は「国外労務動員の申告率が約20%であるのに比べ、松代大本営は0.1%」として「申告率がきわめて 低い理由は大本営が非公開工事のため被害当事者が関連内容を知らなかったと推定される」と話した。

  地下壕入口の右側の「もうひとつの歴史館」の場所に、日本軍が慰安所を運営していたという証言もある。この歴史館が発行した資料集に よれば「大本営の公使関係者たちのために松代に慰安所が建てられ若い朝鮮女性たちが性的搾取を強要されていた」として「44年秋に4人の女性が慰安婦とし て連れてこられたがみな20歳ぐらいの若い女性だった」と記録した。

  このように労働者でも慰安婦でも強制動員は否めない歴史的事実だが、安倍晋三首相の執権以降、強制動員を否定しようとする歴史わい曲 の動きが進行中だ。在日民団中央本部のペ・チョルファン副局長は「この頃、日本社会の雰囲気を排他的な右翼が導いている」として「強制徴用の文を入れた慰 霊碑建設を日本右翼が反対し、すでに建てられた慰霊碑をなくそうとする動きもある」と話した。

  ◆長野県も歴史わい曲に一役

  地下壕入口に最近建てられた案内看板でも、このようなわい曲の動きが見つかった。当初看板が設置された時は朝鮮人を強制的に動員した という表現が明らかにあった。しかし数年前から現地の右翼が「強制的に」という部分を白く塗りつぶした。今は「数多くの朝鮮人と日本人たちが強制的に動員 されたと言われている」とか「当時の資料が残っておらず、必ずしも皆が強制的ではなかったという多様な見解がある」というふうに長野県が表現をあいまいに 変えた。

  在日民団長野地方本部のキム・ミヘジャ副局長は「昨年8月に海外同胞と日本市民ら2万人が署名して『強制徴用』の事実を案内板に明示してほしいと請願したが長野市長が握りつぶした」と話した。

  しかし塩入名誉教授は「学者が閲覧した長野県庁の記録によれば、大本営の工事が始まった44年、建設業者である西松組側が長野県に人 不足だと建議し、長野県側が朝鮮総督府に連絡して人員を補充してくれと言った記録が長野県で発見された」として「松代大本営だけでなく当時日本の各地で似 たような強制動員があった」と強制性を重ねて証言した。

  松代は吉田松陰の師匠であり開国論者であった佐久間象山の故郷だ。吉田は明治維新の精神的指導者であり征韓論と大東亜共栄論を主に主 張して日本の帝国主義の膨張に影響を与えた。塩入名誉教授は「松代大本営は、戦争ではなく平和の発信地にならなければいけない」と力説していた。(中央 SUNDAY第440号)

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新連載 世直しご一緒に 24  市民の願いを受けて市政を動かす  議会論戦ダイジェストより

2015-08-19 | 「私がお話し」します。

     ■□ 京都市の高速道路とつなぐ第三京阪連絡道路計画は中止せよ

外環工事の中止が決まり、第三京阪連絡道路も計画がなくなりました。

 向日市の西側に広がる西ノ岡丘陵。西ノ岡の自然環境と緑を守るために日本共産党議員団は大きな役割を果たしました。 

 西ノ岡には、京都外環状線道路と第三京阪連絡道路建設(一九九〇年第四次京都府総合計画)の二本の大型道路が計画されていました。すでに、長岡京市では、友岡にできる阪急新駅から奥海印寺に向けて第二外環道路建設工事が行われ、住宅地の風景が一変しています。

 第三京阪連絡道路計画は、久世橋から府道久世北茶屋線の阪急洛西口駅までが二階建て道路になり、阪急高架線のさらに上から西側の田圃の上を物集女南条、出口を通り洛西ニュータウンに抜けるのというものです。こんな計画に共産党以外の党は、何も意見を出さなかったのですが、共産党の調査報告で、具体的なルートと工事計画を市民が知るところとなりました。他党議員も無関心ではいられなくなり、反対する人が増えていったのです。

 共産党議員団が「計画」を知ったのは、阪神道路公団に視察に行ったときにもらった、次年度予算と事業計画の中に第三京阪連絡道路の調査費が計上され、そうしてその調査予定ルートの地図が載っていたことからです。調査をすすめ、議会で明らかにし、向日市の将来のためにならず、自然環境を壊す「計画」の関係資料の提供と、計画そのものの中止を求めました。さらに私は次のように追及しました。

 

……向日市の将来のまちづくりを考えたときに全く不必要であるばかりか、むしろあってはならないのがこの道路計画であります。向日市の今後の基本構想について、現在、市民の代表を交えての話し合いが進められているようですけれども、市民の代表が正しい判断が下せるよう、この道路計画図を資料提供すべきであります。

 市長は、議会では今日まで第三京阪連絡道路計画の「資料がない、わからない」と繰り返しておられますが、不必要だと思われるのなら一日も早く態度表明し、具体的な行動を起こさなければストップさせることは不可能です。ましてや変更も不可能です。よく先を見越した決断を求めたいと思います。

 次に、第三京阪連絡道路は、第四次京都府総合計画にルートが、○○○○と○印で印刷されておりました。向日市の前の計画でも同じ予定図が載っておりました。

 ところが第五次京都府総合計画(新計画という名称)で予定図は消えてしまった。五府総で消えた今こそ、この計画が再浮上しないように、向日市長としての態度を明確にする必要があるのではないでしょうか。

 向日市が決めている新市街地地区の一番北側を通り、住環境が大変悪くなる、さらに、向日市のマスタープランの田園緑地地区、阪急の新しい駅の西側ですけれども、今度は真上を通る計画をつくるなど、とうていできないことであります。

 

 そして、市が、まちづくり計画をたてるときに、上位計画(府の計画)をよく検討し、住民の暮らしを害するようなことになっていれば、府にはっきり意見を言うべきだと迫りました。

 また、西ノ岡丘陵における自然景観の保全(緑を守ること)について、市のマスタープランでは向日市の最重要課題と位置付けられ、西ノ岡丘陵の保全をうたっているのに、都市計画道路の整備については、南北都市計画道路として緑地の真ん中に外環状線が入っている矛盾を追及しました。

 
 西ノ岡丘陵の緑を残すことと、真ん中に外環を造ることは、だれが考えても矛盾することであります。これは、 工法の工夫で解決できない問題であります。もし外環の建設と西ノ岡丘陵の保全が矛盾しないと言われるのなら、その具体的な説明を願いたいものでございます。

 私たちの主張を裏付けるように、京都府は、第四回京都府公共事業再評価審査委員会で、向日市内の外環状線を審査し、大幅な変更を決め、地元住民の十分な理解を得るよう決めております。市長の見解を求めます。

 

 その後、外環工事の中止が決まり、第三京阪連絡道路も計画がなくなりました。

     

   写真は記事とは関係ありません。向日神社の池です。

   

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