どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

会いに行く!おまけの徘徊の話

2016年07月14日 | 日記
先日 友人と会うために月島まで行くことになったので その前に明石町を少し徘徊することにした

明石町にはあの日野原先生で有名な「聖路加病院」がある

「せいろか」と発音するけれど 正確に言えば「せいるか(聖ルカ)」である

設計者はアントニン・レーモンド

途中でバーガミニーに変更になった

日本におけるレーモンド設計のものには キリスト教系の学校や教会などが比較的多い

ちなみにミッション系と呼ばれる学校の幾つかは ここを発祥の地としている

レーモンドはライトの弟子であり 前川國男らを育てた

バーガミニーといえば 彼設計の教会を見るだけのために小浜に行ったことを思い出す


現在は旧病院棟のチャペル部分が保存修復されているだけだが それでも見たかった

明石町は銀座や築地に近く 大川(隅田川)に面した地域である

ちなみに 明石町という名前の由来は 兵庫県の明石と関係があるとか

明治になって居留地が設けられた場所でもあるけれど 当然江戸時代からの歴史もあり 私のように東京の西部 戦後に住宅地として発展してきた地域とはまるで異なる世界と感じる

久しぶりの徘徊で ひとたび歩き始めるとあの感覚と興奮が蘇り まだまだいけると感じた


 


明石小学校は1926年に 関東大震災後の復興校舎として鉄筋コンクリート製で建てられた

数年前に建替えられたが 昔の意匠はここかしこに残されている

反対運動も多かったというし その気持ちもよくわかるのだが 木造平屋の校舎では無いのだし ましてや将来のある子供を育てる場所である以上 これほどまでに美しく創りかえることができたのであれば 近代建築好きの私ではあるけれど これはこれで良かったのではないかと思う

円柱や外廊下のアーチ 屋根の角のアールが美しい

近くには歴史を感じさせるガス灯や煉瓦塀の一部などがモニュメントとして残してあり その説明などを読むのも楽しい


金網越しに撮った一枚


校舎入口


向かいには古い教会がある

「カトリック築地教会」とある

石造に見えるが 木造モルタルなのだそうだ

まだ門が閉まっていたので その隙間から写真を撮る




これも閉まった門の隙間から


確か聖路加病院の敷地内に 家があったはずだとうろうろして見つけた

「トイスラー記念館」

病院の宣教師の家として建てられたものを 移築復元したものだ

ハーフティンバー風の山小屋のような赤い屋根の家は こんもりと生い茂った木々に囲まれ 病院の一角にあることを忘れさせる




佃大橋を渡る前に 川沿いにある黒い建物を見に歩いた

「水炊き 治作」とある

入口からして 高いのだろうことは想像できる

運上所跡地の石碑があった

税関発祥の地でもある








佃大橋を渡って月島まで歩く

江戸時代から続く歴史 開国からの変化を見つめてきたこの川岸は 今ではウォーターフロントと呼ばれ 高層マンション群の町へと変化をし続けている

多くの人がマンション族であるこの地域の生活は 私のような普通の住宅地に住むものの生活と 現実的にはそれほど変わるものでも無いだろうと思う

それでも 私には まるで人種の違う 別の世界に住んでいる人々ではないのかと思わせるものがあった

どちらが良いとか悪いとか 好きだとか嫌いだとかいう価値判断からではなく 日常生活には無い風景に 以前から知っていたとはいえ あらためてこういう生活があるのだと実感し 環境で人は何かが変わるのだろうか あるいは 何も変わらないのだろうかと考えながら橋を渡った

大きな川にかかる橋が苦手な私は これを毎日渡る生活だけは遠慮したいなぁと思いながら





コメント (4)
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