ムラサキハナナ(アブラナ科)
ムラサキハナナは、別名をショカッサイ(諸葛采)。
オオアラセイトウ,ハナダイコン(花大根)ともいう。
わたしは、このむらさきの花が大好きだったけれど、
2年前、「野に咲く一輪の花も市民」を読んでから、
早春に咲く花を心待ちにするようになりました。
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野に咲く一輪の花も市民。
名古屋市・坂東弘美
友人の寺町みどりさんの著書『市民派議員になるための本』(学陽書房)に、立候補したい人への率直な質問が載っています。
「あなたは議員になったらなにがしたいのですか? それとも議員になりたいだけですか? 当選さえすれば何とかなると思っていませんか?」
私は市民派議員を送り出したいと思っている市民として、どんな市民になりたいか自問してみました。「市民でいられれば何とかなる」とはとうてい答えられません。意思をきちんと表明する市民になりたいと思っています。
1996年から1998年までの2年間、私は中国の安徽省蕪湖市の中学・高校で日本語教師をし、1999年から2002年までの2年4ヶ月を、北京で中国国際放送局の日本語部アナウンサーとして過ごしました。ある日、北京の私のもとに友人が一冊の絵本、『むらさき花だいこん』を送ってくれました。読み終わるや、私は不覚にも子どものように、しゃくりあげて泣いてしまいました。
「むらさき花だいこん」は、諸葛采とも言われている花ですが、これはもともと中国に咲いていた花でした。南京虐殺事件の時、ある軍人が、紫金山のふもとで、野晒しのされこうべの傍らに咲く紫の花の清らかさに心打たれ、種をほんの少しそっと持ち帰って育て、長い年月をかけて日本中に広めたものです。中国の人々への贖罪と平和への強い願いをこめて「紫金草」と名付けられました。
この物語は合唱組曲になっていて、それを歌う「紫金草ネットワーク」という合唱団の組織が全国的にできています。このボランティア合唱団の人たちが2001年3月に南京市でコンサートを開くことを知った私は、仲間に入れていただき、取材を兼ねて南京へ出かけました。日本からの200人のボランティア合唱団の歌声は、南京市の人々の心に響くことができ、「日本鬼子」を信じていた人たちに、日本人も普通の心を持った人間であることを知ってもらうことが出来ました。
中国の女優さんと一緒に舞台の司会をさせていただいた私は、北京でもぜひやりたい、全中国の人々に知ってもらいたいという夢を抱くようになりました。そして、色々な困難がありましたが、2001年の12月に日本から90人の方たちを迎え、北京でのコンサートを主催することができました。すると精華大学の学生さんたちが、ぜひ大学にも来て下さいとリクエストされ、再び北京コンサートの準備が現在進められることになりました。
また、中央テレビの超人気番組「実話実説」からも出演依頼が飛び込んできました。紫金草を持ち帰った軍人のご子息と、友人の歌手のまのあけみさんと私の3人は、共に父親が日中戦争に参加したという共通のテーマで、100人の市民が参加する討論会のゲストとなったのでした。視聴率15%。1回の放送で6千万人が見るという番組は、3回再放送され、紫金草の物語や、まのあけみさんのお父さんが、戦時中平和を訴えて、投獄され、拷問をうけたけれども、強く優しく生きられたことを歌った「百日紅」の歌を全国の人たちに知ってもらうことができたのでした。
一輪の花の凛とした姿が、次々と日本と中国の人々の心を動かした、私はその目撃者になることができました。
花は花として、小さいながらあるがままの姿で、精一杯「命の尊さ」を訴えたのでした。
野に咲く花が、一人ひとりの市民であったら、決してもうその花びらを、されこうべの褥(しとね)にはしないでしょう。
(『む・しの音通信』23号より転載)
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たいせつにふやしたムラサキハナナで、
庭をうめつくしたいと思う。
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