11月10日に開催する「議員と市民の勉強会」の
参加者にだした課題のレジメの提出の最終期限が今日。
ここ数日、その対応に追われていて、やっと一息ついたところ。
これから当日までは、届いた課題のレジメを元に、
勉強会をどのように構成するのか、
講師のふたりで話し合って、内容の詳細をつめていく作業だ。
翌11日の私が担当するオプション講座Aは「KJ法」のワークショップ。
12月2日の上野千鶴子さんの講演会にさきがけて、のプレ企画と位置づけている。
テーマ(主題)が重要なので、まず参加者でテーマ決めをして、
「さまざまなマイノリティが生き延びるために」の問いを共有してのぞみたい。
わたしがなぜ、この問いを、問い続けているのか。
上野さんが『ことばは届くか』(岩波書店)
の往復書簡のなかで、わたしの文章を引用してくださっているが、
その出展になっている記事を紹介したい。
【私の市民論 第10回】
個人的なわたしの、市民「論」
寺町みどり(女性を議会に 無党派・市民派ネットワーク
アリシアさんとハルちゃんのこと
「妊娠8カ月の外国人女性と3歳の男の子が路頭に迷っている。岐阜県に住んでい
た人だけど、受け入れ先を探してもらえないだろうか?」
3年前の7月、アジア女性を支援する活動をしている友人から電話があった。
「ほんとにどこにも行く所はないの?」
アリシアさんとハルちゃんという名の母子は、パスポートもビザもお金もなく、もう何日もロクに食べていないという。ハルちゃんは日本人を本人を父とする無国児だった。わたしは迷わず母子を受け入れることに決めた。翌日、わが家にやってきたふたりは疲れはて、ハルちゃんはやせておびえた目をしていた。8カ月と開いていたが、知人の肋産婦さんに診てもらうと「もういつ産まれてもおかしくない」という。紹介してもらった公立病院の女医さんは、アリシアさんの事情を了解した上で、「この状態で断ったらどこにも行くところがないでしょう。ここで産んでください」と言われた。
平行してメールやファクスで友人や知人にカンパや生活用品の支援を頼んだ。ハルちゃんは、日一日と元気になった。笑顔のかわいい男の子だった。ハルちゃは、県女性相談センターに頼み込んで「緊急保護」ということで、出産がすむまで預かってもらえることになった。「超法規的」な唯一の措置。最初に相談した県庁の責任者は「どんなケースにも対応します」と言っていたけれど、けっきょく公的援、扶助、措置も含めて、救済する制度が何もないと回答を受けていた。町役場や警察にも椰談したが、法律も条例も皆無。法の谷間にいる彼女たちはそもそも、いまここに、いないはずの布在だった。
どこへ相談に行っても「母子はきわめて幸運なケース」と言われた。じょうだんじゃない。他の無権利状態の人たちは、どこでどのように暮らしているのか。外国人を生かさず殺さずはたらかせ、法的に存在しない人たちに支えられて成り立っているわたしたちの社会。あまりに冷たい法制度やシステムの不備こそ、大きな問題だと、わたしは憤りを感じていた。
8月、赤ちゃんはぶじ産まれた。解決できない問題は山積していて先は見えなかったが、一人ひとりが少しずつできる力を出しあって、彼女たちを「いまここで」支えた。9月、たくさんの人の善意に支えられて三人は国に帰って行った。家に友人が迎えに来るまで、彼女とわたしは抱きあってすごした。「ずっとここにいたい」という彼女を「またいつか会おうね」と送った。ハルちゃんの笑顔がまぶしかった。わたしは彼女を救おうと思ったけれど、救われていたのは、わたしだった。
「無党派・市民派とはなにか?」--上野さんへの手紙
同じ夏、上野千鶴子さんがひょんなことからわが家にあらわれた。その夜、上野さんに「無党派・市民派とはなあに? わたしにわかるよう伝えて」と問われたが答えられなかった。数日後、とりあえずお返事を書いた。
「わたしは5歳のとき、社宅でエリちゃんという友人と遊んでいて、日本人の友に取り期まれ『ちょ-せんかえれ!』と石をぶつけられた。男の子も女の子もいて、悲しいことにみんなわたしの友だちだった。わたしはエリちゃんをとっさにかばい、あちこちから飛んできた石はわたしの背中に当たった。もろともに差別れ、怒りにふるえ、でもわたしたちから投げ返す石も、投げ返すどんな言葉もなかった。わたしたちはただ抱きあってじっと耐えていた。
・・・・そのときわたしは石を投げる側にはけっして立たないと思ったにちがいありません。なぜなら、わたしはこの記憶を忘れてしまったけれど、強い側、差別する側にはけっして立たないという一念だけは、なぜか忘れませんでした。今日までのわたしの生きかたや、市民運動は、弱者の側から強者の側に発する問いでり、投げかけであり、異議申し立てでした。わたしは力を持たない弱者のまま、十全に生きようとすることにより、強者の論理を突き返してきました。
・・・・『無党派・市民派』は、女たちが暮らすそれぞれの場でかたちをかえ、拡散し、とてもひとつにはくくりきれません。しいていえば、力を持たない 『弱者の論理でする政治』でしょうか。
わたしたちの、政治のかかわり方が新しいのは、利権や既得権を持つことを望まず、ただ弱い立場の人に共感し、当事者として、その思いを実現したいと働いていることです。わたしたちは、議会で地域で、強者の論理をまず突き崩し、弼者の論理を、ゆずらず主張します。わたし自身は、〈権力・権成>にかわる、新たなどんな<ちから>もほしくありません。とりあえずいまある権力を、強者の論理を、生きているあらゆる場面で〈無化>していきたい。その先にあるものは、少なくともいまよりはフラットな、いまよりはましなものではないでしょうか。
・・・・わたしは人生をかけて、ぶつけられた石に対して石を投げ返すのではない、やられたらやり返すのではない、弱者が投げかえすことのできる言葉を探しています。わたしはいまの政治の、すべての強者の既得権を疑い異議を申し立て、支配され差別される側からの 『弱者の政治』をつくりたい」と。
「わたしのことは私が決めたい」すべての人が市民
わたしは、家族から「いらない子」と言われ、存在を杏定されて育った。たったひとりのの友人だったエリちゃんとは幼いころに引き裂かれるように別れた。アリシアさんとハルちゃんは、たしかに存在し、わたしといっしょに暮らした。3年前の夏、わたしは、自分の子ども時代を思い、在日のエリちゃんを思い、アリシアさんと子どもたちのことを思い、市民ってなんだろうと考えつづけた。
その年の12月、わたしは一冊の本を書いた。上野千鶴子さんプロデュースの 『市民派議員になるための本』(学陽書房・2002)。この本のなかで「市民とはだれか?」という問いに、わたしはこう答えている。
「自治体の当事者は、すべてのわたし。この本では 『わたしのことはわたしが決めたい』すべてのひとびとを『市民』と呼ぶことにします」
幼かったわたしも、エリちゃんも、アリシアさんもハルちゃんも、みんな「市民」だ。彼女とわたしをわけたものはなんだったんだろう。彼らとわたしをわけたものは、なんだったんだろう。
わたしはいま、2冊目の本を書いている。『市民派政治を実現するための本-わたしのことはわたしが決める』(発行‥コモンズ)。この4月刊行予定で、上野千鶴子さんとごとう尚子さんとの共編著である。「市民派政治」は、わたしが問いつづけたものへの、ひとつの答えのような気がする。
ひとの唯一のお仕事は、ただ「生きる」ことだと思う。人を人として生きさせない政治があるなら、変えるべきは、人ではなく政治である。
Volo(ウォロ)2004年4月号(No.394)
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