みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

中電浜岡ショック/「原発」寄付講座に逆風/地震懸念で運転停止の浜岡原発=舟津進(毎日新聞)

2011-06-07 22:29:34 | 地震・原発・災害
大量にとれたエンドウの筋をともちゃんとふたりで取って、
今夜はエンドウ尽くしの夕ご飯です。


スナップエンドウはシンプルにゆでて、
赤花砂糖エンドウは卵とじ。

お腹もふくれたし、ブログをしようとパソコンを開いたら、
通信速度がいつもの10倍ものろのろでちっとも画面が開かない。
あげくに、フリーズ。
何度か立ち上げたけれど速度は遅いままなので、
予定していたお花の画像のアップはあきらめました。
だからもっと早くアップしといたらいいのに、という声が聞こえてきそう・・・(笑)。

とりあえず、いま満開のサラサウツギです。








NHKの「クローズアップ現代」は浜岡原発停止の番組。

ちょうどきょうの毎日新聞の一面から二面に続く特集も、
「記者の目」も、浜岡原発関連の記事です。

おりしも、静岡の弁護士と原告20人が、
浜岡原発の永久停止(廃炉)を求めて、提訴するとのニュースも流れてきました。

わたしは浜岡の停止は大歓迎、このまま廃炉にして欲しいと思っていますが、
電力会社はもちろん、原発推進派とか政治家とか、あちこちに波紋を広げているようです。

  記者の目:地震懸念で運転停止の浜岡原発=舟津進(掛川通信部)  

◇この際、地下構造の徹底調査を
 「原子炉が止まっても原発は安全ではない」
 中部電力浜岡原子力発電所(静岡県御前崎市)で、すべての原子炉が停止した5月14日。原発敷地内にある参観者用の展望台(地上37メートル)から、東海地震の想定震源域の真上にある5基の原発を眺めながら、私はこう考えていた。
 今回の「運転停止」は「冷温停止」のことだ。3~5号機の原子炉内の水温は100度未満に保たれているが、計2400体の燃料集合体がいまも装着されたままで、中部電は「当分の間その状態を維持する」と説明している。冷やし続けなければ再び発熱して破損し、水素爆発などの原因となることは東日本大震災で被災した東京電力福島第1原発事故が教えている。
 さらに使用済み燃料プールには5基で計6625体もの燃料集合体が水中保管されている。うち、廃炉の1、2号機にもまだ計1165体残っている。さまざまな作業で生じた低レベルの放射性廃棄物を詰めたドラム缶3万4810本も固体廃棄物貯蔵庫に保管してある。
 原発にはこうした放射性物質を外部に漏らさないための施設や冷却用のポンプなどがあり、運転停止中も機能維持が必要だ。1、2号機は09年1月に運転を終了したが、今も中央制御室が従来通り働き続け、運転員が廃炉前と同じ態勢で24時間勤務している。

 ◇冷温停止でも安全ではない
 私は「運転停止中も原発は生きている」と考えている。「停止」となったものの、今、大きな揺れや津波が来たらと思うとゾッとする。
 私と同じ思いの人と出会った。福島県浪江町の農業、山田義行さん(72)だ。
 自宅は福島第1原発から約10キロ。3月12日、避難指示で自宅を離れ、福島県内の避難所3カ所を転々とし、知人のつてを頼り4カ所目で御前崎市の公営住宅に入居した。夫婦2人、「やっと落ち着ける」と思いきや、原発の排気筒が見えるのに気づいた。約3キロ先の浜岡原発だった。
 浜岡原発の運転停止作業が始まった5月13日、山田さんを訪ねた。浪江町で地区の役員をしていた山田さんはもともと原発推進派だった。福島第1原発の交付金で潤う近隣自治体を見て、「わが町にも原発を」と電力会社に働きかけてきた。しかし、大震災で原発への認識は一変した。御前崎市に原発があるとは聞いていたが、こんなに近くとは思わなかったという。山田さんの「停止しても安心できない」という言葉は重い。
 私が浜岡原発から約20キロの掛川通信部に赴任したのは04年10月。5号機の運転開始(05年1月)から今回の全面停止まで、17冊のスクラップ帳の約4分の1は原発関連の記事で埋まっている。▽東海地震に備えた耐震工事開始(05年5月)▽プルサーマル計画公表(同9月)▽5号機タービン羽根脱落事故(06年6月)▽1、2号機廃炉と6号機新設計画の決定(08年12月)など節目を見続け、自治体や住民らの動きを追ってきた。
 事故が起きると浜岡原発に駆けつけ、防護服を着て原子炉建屋に入ったことは10回近い。定期検査の際に見た、燃料プールで光る青白い核物質の輝きを今も覚えている。原子炉格納容器下に潜り込み、配管にも触れた。放射性廃棄物処理工程で運搬容器が転倒した事故では、作業員の懸命な復旧作業を見守った。
 中部電がプルサーマル計画などの説明会を開くたび、危険性を訴える市民と主催者とのかみ合わない議論に耳を傾けた。一方、入社17年目で5号機の運転員になった30代職員の喜びと誇りを、炉心に近い中央制御室で聞いたこともある。

 ◇建設時見逃した特殊地層を発見
 地域にさまざまな影響を与えてきた浜岡原発だが、09年8月の駿河湾を震源とする地震(マグニチュード6・5)では、同じ敷地にある3、4号機に比べ5号機の揺れが大きかった。中部電は約7カ月後の昨年3月、付近の地下岩盤に地震波を増幅する特殊地層があることを公表した。建設時には見逃したが、最新のボーリング調査で明らかになったのだ。
 この際、中部電が運転停止の機会を利用して約1・6平方キロの原発敷地と周辺で地下構造を徹底して調査することを求めたい。津波も怖いがその前に、直下で起きる地震動の直撃で原発機器が破壊されて起こる重大事故を恐れるからだ。高さ約15メートルの防波壁建設は調査後でも遅くない。
 菅直人首相が中部電に運転停止を要請した直後、御前崎市役所には1日100件を超す意見が電話などで寄せられた。「要請を受け入れるべきだ」との内容が多かったが、中部電の停止決定後はぴたりとやんだ。しかし、停止で一件落着ではない。私は監視を続けていく。
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 ご意見をお寄せください。〒100-8051毎日新聞「記者の目」係/kishanome@mainichi.co.jp
毎日新聞 2011年6月7日 東京朝刊



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揺らぐ指針:中電浜岡ショック/1 「原発」寄付講座に逆風 /静岡 

◇福島事故後、衝撃の教授会否決
 三重大教育学部(津市)が先月11日に開いた教授会。担当教授が「賛成38、反対40、白票9」と投票結果を読み上げると、八木規夫学部長(57)ら一部教授からため息が漏れた。
 議案は、新講座「エネルギーと環境学」創設について。国の学習指導要領に今年度から原子力発電の知識習得が盛り込まれたのを機に、中部電力が来年4月から年3000万円を拠出して講師を派遣する「寄付講座」で、同学部初の本格的な産学連携の試みだった。
 講座開設を主導してきた内田淳正学長(64)=医学部出身=は「エネルギー問題の正確な知識を身につけることは10年、20年後の日本に極めて重要」と教授会の決定を残念がり、「将来、小中学校の教壇に立つ学生に最初から原子力アレルギーがあるのはよくない」と重ねて強調した。
 寄付講座の開設は当初3年間の計画。一部の教授によると、中電との間では10年継続の了解があったという。独立法人移行後、国からの予算削減に苦しむ大学にとって、計3億円の運営費が転がり込む提案は「干天の慈雨」と言えた。
 だが、東京電力福島第1原発事故で風向きは一変。複数の教授から「『原発宣伝講座』と受け取られかねない」「大学自体が原発を推進していると誤解を招く」と慎重論が噴出した。
 大きな伏線は2月末に発表した「経営ビジョン」にあった。この中で同社は、総発電量に占める原子力の比率を50%超に引き上げ、30年までに原発を2~3基新設する方針を示した。唯一の原発である浜岡原発(静岡県御前崎市)に、計画中の6号機以降の増設余地がないのは周知の事実だ。
 毎日新聞は、同社が三重県南部沿岸部を最有力候補地と位置づけ、松阪市に「環境・立地本部」の拠点を置いたことを報道。講座開設で窓口だった中電幹部が同本部所属だったこともあり、地元の不信は晴れなかった。
 議案の採決があったのは、同社が政府の要請を受け入れ浜岡の全号機停止を表明した2日後。内田学長の指示で講座開設の準備に当たった教授の一人は「(採決がこの時期になったのは)6月末の株主総会に決定を間に合わせたい中電の意向だった」と明かす。
 中電側の責任者だった宮池克人副社長(環境・立地本部、三重県担当)は教授会の決定について「学校の先生にもエネルギーのことを理解してほしいという以外の目的はないのだが」と冷静に語る。だが、原発への「理解活動の一環」(幹部)まで門前払いを受けた衝撃は極めて大きかった。
 ◇  ◇  ◇
 中電の全電源に占める原子力比率は10年末時点で約15%。原発を持たない沖縄を除き、全国の電力会社で最低水準だ。同社は1960年代、三重県南部沿岸部に「芦浜原発」建設を計画したが、漁業者らの激しい反対で00年、断念に追い込まれた。原発の新規建設は同社の悲願。しかし、唯一の原発である浜岡も政府の異例の要請を受けて全号機停止に追い込まれた。「原発がない電力会社」となった中電の苦悩と今後を検証する。=つづく

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 ■中部電力の原発事業の歩み■
1964年 7月 三重県南部の芦浜地区を原発建設候補地に決定
  71年 3月 浜岡原発1号機の建設着工
  75年10月 石川県珠洲市議会が原発誘致を決定。中電も検討開始
  76年 3月 浜岡1号機運転開始
2000年 2月 北川正恭三重県知事(当時)が芦浜原発計画の白紙撤回表明。中電が計画断念
  01年11月 浜岡1号機で緊急炉心冷却装置系配管で国内初の破断事故
     11月 三重県海山町(現紀北町)で原発誘致の是非を問う住民投票。反対多数で誘致を断念
  03年12月 中部、関西、北陸の電力3社が珠洲市での原発計画を断念
  05年 1月 浜岡5号機運転開始
  08年12月 浜岡1、2号機の廃炉と6号機新設計画を発表
  09年 1月 浜岡1、2号機が運転終了
  11年 2月 原発の新規立地を目指す長期経営ビジョン発表
      5月 菅直人首相の要請を受け、浜岡原発の運転を停止
毎日新聞 2011年6月7日 地方版 


 【浜岡原発停止】静岡の弁護士ら、廃炉求め提訴へ 原告20人を公募 
2011年6月7日 中日新聞

 中部電力が運転を全面停止した浜岡原発(静岡県御前崎市)をめぐり、同県弁護士会の弁護士有志は6日、中電に運転終了と安全な廃炉処理を求める訴えを7月1日に静岡地裁に起こすと発表した。
 廃炉手続き中の1、2号機を除く3~5号機の運転終了▽1~5号機の核燃料を最大限の安全を確保して保管、冷却▽1~5号機の解体撤去しない方法による廃止措置-などを求める。
 弁護団には弁護士102人が参加し、うち7人は原告にも加わる。静岡市内で会見した鈴木敏弘弁護団長は「政治には期待できず、司法に訴えていきたい」と話した。
 安全確保までの再開中止を求める訴訟を予定していたが、再開反対を明確にするとともに、原発訴訟で初めて廃止後の安全対策まで請求に盛り込むよう切り替えた。原告20人程度を公募する。
 浜岡原発をめぐっては、地元住民らが中電に1~4号機の運転差し止めを求めた訴訟の控訴審が東京高裁で争われている。全面停止後の5月下旬には、地元住民35人が中電に廃炉を求める訴えを同地裁浜松支部に起こした。



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