昨日の朝日新聞beの【悩みのるつぼ】の回答者は上野千鶴子さん。
相談は「迫る上司に、不快感じない私」。上野さんの回答は「セクハラが増長していきますよ」。
上野さんの回答を読むとスカッとします。
【悩みのるつぼ】2012.8.11 朝日新聞be
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岡野八代さんの新刊、『フェミニズムの政治学―― ケアの倫理をグローバル社会へ』を読みました。
大著です。
とても分厚い本なのでさすが読むのに時間がかかりましたが、
おもしろかったです。
「ケアにおいて他者との非暴力的な関係を実践してきた女の経験こそが、
新たな政治の領野を切り拓く」に共感します。
岡野さんの書かれている「非暴力の政治」は、
わたしが考えてきた「弱者の政治~政治はいままで強者のものだった。
わたしが実現したいのは弱者の政治だ」に共通するものです。
「暴力の連鎖を断ち切る」、というけれど、
弱者(女性たち)は、他者との関係で(自己のとの関係においても)、
ケアをじっせんすることで、非暴力の経験をつないできた。
地方政治にかかわる人、関心のある方は、ぜひ読んでみてください。
『フェミニズムの政治学―― ケアの倫理をグローバル社会へ』
(岡野八代/みすず書房/2012年)
内容紹介
近代国家は「自律した個」を理想像とし、子育てや介護などケアする者を政治的に二流の存在とみなしてきた。
男を公的領域、女を私的領域に振り分けるその力学を、フェミニズムは公私二元論として鋭く批判してきた。
そして、公的領域で“男並み”になることがゴールではないことも指摘した。
フェミニズムはその先どこへいくのか。
本書は母・家族・ケアという概念と格闘してきたフェミニズム理論の立場から、
プラトンからロールズまで政治思想を貫く公私二元論を徹底的に検討する。
そこで明らかになるのは、自律的主体が隠蔽するもの、すなわち、ひとは傷つき依存して生きるという事実だ。
依存する存在は自律的主体の下位概念ではない。
それこそが「人間の条件」であり、政治学の基礎単位なのだ。
「ヴァルネラブルな存在が世界の代表である」(H・アーレント)。
国家暴力に傷つけられながら抵抗し、
ケアにおいて他者との非暴力的な関係を実践してきた女の経験こそが、
新たな政治の領野を切り拓く。女であることの絶えざる葛藤を理論に鍛え上げ、
非暴力の社会を構想する、フェミニズム理論の到達点。
上野千鶴子さんが書評を書かれていて、「ちづこのブログ」にアップされているので紹介します。
他に読んだ本。
先日観た映画 『ヘルタースケルター』が、『ユリイカ』で特集されていました。
『ユリイカ 2012年7月号』
蜷川実花 映画 『ヘルタースケルター』 の世界
『ケアの絆―自立神話を超えて』 『奪われた人生―18年の記録』
『続・悩む力』
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相談は「迫る上司に、不快感じない私」。上野さんの回答は「セクハラが増長していきますよ」。
上野さんの回答を読むとスカッとします。
【悩みのるつぼ】2012.8.11 朝日新聞be
迫る上司に、不快感じない私 相談者 女性 20代 20代の女性会社員、未婚・彼氏いない歴2年です。 以前仕事で一緒になった上司と、2人で夕飯を食べて以来、親しくなりました。30代で既婚、愛妻家で子供の面倒も良くみる「良い旦那・父親」の一方、仕事もできる人です。 以前から上司は「○○さん(私)みたいな可愛い部下を持つことができて幸せだ」と冗談めかしていたのですが、最近では職場で2人きりの時に「困らせるだけだけど○○さんが好きだよ」などどと言います。酔うと女性へのボディータッチが増える人だったのですが、職場で2人きりの時に後ろから抱きつかれる有り様です。 ここまではよくある「都合のいい女」の話だと思うのですが、私が悩むのは、告白されたり触られたりしてもまるで何も感じず、ひとごとのように事態を傍観する自分自身です。 頼まれたら嫌と言えない性格なのと仕事で頼れる上司を失うことを恐れて、明確に拒絶することができません。セクハラに嫌悪感を抱いていれば、断る強い意志を持つことができると思うのですが……。より深刻な事態になれば、断るつもりでいますが、現状に対する自分の能天気さが心配です。無意識のうちに上司に尊敬以上の気持ちを抱いていて、アピールを喜んでいるのでしょうか。悩みが何か分かりにくい相談ですが、一番の問題点は何だと思われますか。 -------------------------------------------- 回答者:社会学者・上野千鶴子 セクハラが増長していきますよ あなたが経験していることはセクハラです。なぜってあなたは相手からの好意の告白やボディタッチを少しも喜んでいないからです。セクシュアル・ハラスメントの定義は、「本人がのぞまない性的アプローチ」。同じ愛の告白でも、好きな人ならうれしく、そうでない人からなら迷惑なだけ。「何も感じない」のはうれしくない証拠。「無意識」なんぞ、信じないことです。 反対にあなたはご自分の状況をクールにとらえておられます。「イヤと言えない性格」「頼れる上司を失う恐れ」からノーが言えないと。これこそセクハラの典型的状況です。セクハラ加害者は、自分の職業上の地位を濫用(らん・よう)して、「ノーが言えない」相手を選んでアプローチすることをご存じですか? 横山ノック元大阪府知事のセクハラ事件のとき、曽野綾子さんが新聞のコラムで、その場で騒ぎ立てなかったのに、「後から裁判を起こしたりするのは女性の甘え」と書いておられましたが、セクハラに無知な証拠。セクハラとは、「ノー」を言わない、言えない相手と状況下で発生することは、よーくわかっています。 あなたの「一番の問題」は、イヤなことをイヤと感じられない、反対にうれしいこともうれしいと感じられない、感覚遮断ですね。自分の身の上に起きていることを、他人ごとのように傍観する。しかも好き嫌いの告白やボディタッチのような踏みこんだ経験まで、うれしいのかうれしくないのか、わからない……これは「能天気さ」なんかではありません。冷静さとも違います。 たぶんこれまで他の環境においても、あなたは自分の身の上に起きることを他人ごとのようにやりすごす術を身につけてきたのじゃないでしょうか。おそらく何か耐えがたい状況があってそれを生きのびるための知恵だったのかもしれません。哀(かな)しいことに人は抑圧されればされるほどその抑圧に耐えるようになるという、逆境にすら適応する生きものです。それに男というものが状況を自分に都合よく解釈する特技を持っていることは覚えておいてください。このままだとあなたは、ますますエスカレートする上司のアプローチに、何も感じないまま、どんどん応じていくことになりますよ。 あなたに一番必要なことは、喜怒哀楽の生き生きした感情を取り戻すこと。それにはどうしたらいいんでしょうねえ。根は深そうです。 (題字・イラスト きたむらさとし) |
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岡野八代さんの新刊、『フェミニズムの政治学―― ケアの倫理をグローバル社会へ』を読みました。
大著です。
とても分厚い本なのでさすが読むのに時間がかかりましたが、
おもしろかったです。
「ケアにおいて他者との非暴力的な関係を実践してきた女の経験こそが、
新たな政治の領野を切り拓く」に共感します。
岡野さんの書かれている「非暴力の政治」は、
わたしが考えてきた「弱者の政治~政治はいままで強者のものだった。
わたしが実現したいのは弱者の政治だ」に共通するものです。
「暴力の連鎖を断ち切る」、というけれど、
弱者(女性たち)は、他者との関係で(自己のとの関係においても)、
ケアをじっせんすることで、非暴力の経験をつないできた。
地方政治にかかわる人、関心のある方は、ぜひ読んでみてください。
『フェミニズムの政治学―― ケアの倫理をグローバル社会へ』
(岡野八代/みすず書房/2012年)
内容紹介
近代国家は「自律した個」を理想像とし、子育てや介護などケアする者を政治的に二流の存在とみなしてきた。
男を公的領域、女を私的領域に振り分けるその力学を、フェミニズムは公私二元論として鋭く批判してきた。
そして、公的領域で“男並み”になることがゴールではないことも指摘した。
フェミニズムはその先どこへいくのか。
本書は母・家族・ケアという概念と格闘してきたフェミニズム理論の立場から、
プラトンからロールズまで政治思想を貫く公私二元論を徹底的に検討する。
そこで明らかになるのは、自律的主体が隠蔽するもの、すなわち、ひとは傷つき依存して生きるという事実だ。
依存する存在は自律的主体の下位概念ではない。
それこそが「人間の条件」であり、政治学の基礎単位なのだ。
「ヴァルネラブルな存在が世界の代表である」(H・アーレント)。
国家暴力に傷つけられながら抵抗し、
ケアにおいて他者との非暴力的な関係を実践してきた女の経験こそが、
新たな政治の領野を切り拓く。女であることの絶えざる葛藤を理論に鍛え上げ、
非暴力の社会を構想する、フェミニズム理論の到達点。
上野千鶴子さんが書評を書かれていて、「ちづこのブログ」にアップされているので紹介します。
書評『フェミニズムの政治学』 ちづこのブログNo.32 岡野八代2012『フェミニズムの政治学』(みすず書房)の書評が、ようやく文章になりました。「熊日」書評欄に掲載されましたので、ご紹介します。 「非暴力を学ぶ実践」(ちづこのブログNo.25)で、書評シンポでのハンドアウトをご紹介したもの。メモがどんなふうに文章になったか、そのプロセスもごらんください。 編集者がつけたタイトル、「未開地」とは「政治学・政治思想」のことです(笑)。書評誌のpdfをアップしたかったのですが失敗(泣)。 9月には東大で岡野さんを招いて書評シンポが計画されているとか。こちらも期待してくださいね。 ********************* 未開地にジェンダー概念持ち込む 書評 岡野八代2012『フェミニズムの政治学』(みすず書房) 久しぶりに密度の濃い読書経験をして、知的興奮を味わった。女性学とは「女の経験」の言語化・理論化の実践だが、その直観を分節するという緻密な作業に耐えて、考え抜かれた書物である。フェミニズムには「個人的なことは政治的である」という命題があった。近代リベラリズムの個人観は、「個人的なことは個人的である」と宣言する。政治は公的なことだから、個人的なことを持ち込むな、と。本書はその前提に果敢に挑戦する。個人的なことはなぜ、いかに、政治的なのか?その理路を解き明かす「政治学」なのである。そして同時に、リベラリズムに対する根深い疑い、なぜリベラリズムとフェミニズムは共闘できないか?リベラリズムとフェミニズムとはどこで分岐するか?という問いにも、答えようとする。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(以下略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2012年08月11日 WAN上野千鶴子web研究室 |
他に読んだ本。
先日観た映画 『ヘルタースケルター』が、『ユリイカ』で特集されていました。
『ユリイカ 2012年7月号』
蜷川実花 映画 『ヘルタースケルター』 の世界
『ケアの絆―自立神話を超えて』 『奪われた人生―18年の記録』
『続・悩む力』
【著者は語る】東大大学院教授、政治学者・姜尚中氏 「続・悩む力」 ■切実な響き伴って 「時代の呼び声」と共振 前作の刊行から4年もたつわけですよね。担当編集者に確認したところ、累計部数は、94万部にまで達したといいます。 自分でも戸惑うほどのベストセラーとなった前作が出された2008年は、果たしてどんな年だったでしょうか。まず思い浮かぶのは、リーマン・ショックと、オバマ政権の誕生です。福田康夫から麻生太郎への首相交代劇もありました。『悩む力』発売直後に、秋葉原通り魔事件が起こったことも衝撃でしたね。今にして思えば、「悩む」というキーワードと時代が、予期せぬ結晶作用をもたらしたのかもしれません。 正直、続編を書くつもりは、ありませんでした。読者の方々の手紙を読むうちに、生半な気持ちでは2作目に手を出してはいけない気持ちになってきたのです。にもかかわらず、今回、『続・悩む力』にとりかかろうと思ったのは、3・11と欧州危機という、4年前に比しても、巨大な出来事があったからです。「悩む」というキーワードは、ますます切実な響きを伴って、「時代の呼び声」と共振しているように感じられました。 前作のラストでハーレーに乗って、世界を旅したいという夢を述べましたが、それは、まだ実現していません。今回、私はあえて、空元気をやめました。続編全体を覆っているのはどこか沈鬱なトーンです。にもかかわらず、『続・悩む力』は、発売後2週間で、4刷累計14万部を超えたそうです。 これら2つのテキストの一貫性を支えてくれているのは、相も変らず、夏目漱石です。彼は、一世紀の時を超えて、いまなおアクチュアルな驚きを読み手に与えてくれます。来る2016年は、漱石没後100年という節目の年です。漱石との内的対話を継続していれば、もしかしたら4年後にもう一作だけ、続編ができ上がっているかもしれません。これをもって三部作の完結となる予感がしています。(777円 集英社) ◇ 【プロフィル】姜尚中 カン・サンジュン 1950年生まれ。政治学者。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了。東京大学大学院情報学環教授。著書に『マックス・ウェーバーと近代』『日朝関係の克服』『姜尚中の政治学入門』『ニッポン・サバイバル』など。自伝的作品に『在日』『母-オモニ』。 |
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