暑くて外に出られないので、家のなかで仕事をしました。
さちさんから、飛騨の桃が届きました。
ふっくら丸くておいしそうな桃。
いっこ食べたら、とても甘くておいしかったです。
さちさん、いつもありがとうございます。
お取り寄せした北海道の「くり豆」を食べたいと思い、
昨夜、寝る前に水に浸しておきました。
茹でこぼしてから、圧力鍋の弱で5分。
自然に圧力が抜けるまで待ってからふたをあけたら、
ホクホクでおいしいお豆が出来上がっていました。
うすあじののゆでたてをコーヒーのおともにして、
残りは、てんさい糖を大さじ2杯ほど入れて煮ました。
豆類は好きでよく煮豆を作るのですが、
ほくほくした食感は、桑の木豆に似た感じ。
同じくらい好きな豆ですね。
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ところで、
相模原市の障害者施設の事件について、
重複障害を持つ福島智さんから毎日新聞にメールが届いたということで、
28日の夕刊に、福島さんのメッセージが載っていました。
わたしは、福島さんの本を何冊か持っていて、
犯人が「重複障害者ばかりねらった」ことを知って、
「福島さんならどう考えるだろう」と思っていました。
個人の問題に矮小化されがちな、今回の事件の根の深さを、
社会の問題として的確に言葉にされていて、共感します。
最後まで読んでくださってありがとう
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ふっくら丸くておいしそうな桃。
いっこ食べたら、とても甘くておいしかったです。
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茹でこぼしてから、圧力鍋の弱で5分。
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相模原市の障害者施設の事件について、
重複障害を持つ福島智さんから毎日新聞にメールが届いたということで、
28日の夕刊に、福島さんのメッセージが載っていました。
わたしは、福島さんの本を何冊か持っていて、
犯人が「重複障害者ばかりねらった」ことを知って、
「福島さんならどう考えるだろう」と思っていました。
個人の問題に矮小化されがちな、今回の事件の根の深さを、
社会の問題として的確に言葉にされていて、共感します。
相模原殺傷 :尊厳否定「二重の殺人」全盲・全ろう東大教授 毎日新聞2016年7月28日 相模原市の障害者施設殺傷事件を受け、障害者の関係団体が相次いで声明などを発表する中、全盲と全ろうの重複障害を持つ福島智・東京大先端科学技術研究センター教授から「暗たんたる思いに包まれています」というメールが27日、毎日新聞に届いた。福島さんが「今回の事件から考えた原理的な問題」をまとめたという原稿を紹介する。 強者優先の社会を連想…福島智氏 「重複障害者は生きていても意味がないので、安楽死にすればいい」。多くの障害者を惨殺した容疑者は、こう供述したという。 これで連想したのは、「ナチス、ヒトラーによる優生思想に基づく障害者抹殺」という歴史的残虐行為である。ホロコーストによりユダヤ人が大虐殺されたことは周知の事実だが、ナチスが知的障害者らをおよそ20万人殺したことはあまり知られていない。 一方、現代の世界では、過激派組織「イスラム国」(IS)の思想に感化された若者たちによるテロ事件が、各地で頻発している。このような歴史や現在の状況を踏まえた時、今回の容疑者は、ナチズムのような何らかの過激思想に感化され、麻薬による妄想や狂気が加わり蛮行に及んだのではないか、との思いがよぎる。 被害者たちのほとんどは、容疑者の凶行から自分の身を守る「心身の能力」が制約された重度障害者たちだ。こうした無抵抗の重度障害者を殺すということは二重の意味での「殺人」と考える。一つは、人間の肉体的生命を奪う「生物学的殺人」。もう一つは、人間の尊厳や生存の意味そのものを、優生思想によって否定する「実存的殺人」である。 前者は被害者の肉体を物理的に破壊する殺人だが、後者は被害者にとどまらず、人々の思想・価値観・意識に浸透し、むしばみ、社会に広く波及するという意味で、「人の魂にとってのコンピューターウイルス」のような危険をはらむ「大量殺人」だと思う。 こうした思想や行動の源泉がどこにあるのかは定かではないものの、今の日本を覆う「新自由主義的な人間観」と無縁ではないだろう。労働力の担い手としての経済的価値や能力で人間を序列化する社会。そこでは、重度の障害者の生存は軽視され、究極的には否定されてしまいかねない。 しかし、これは障害者に対してだけのことではないだろう。生産性や労働能力に基づく人間の価値の序列化、人の存在意義を軽視・否定する論理・メカニズムは、徐々に拡大し、最終的には大多数の人を覆い尽くすに違いない。つまり、ごく一握りの「勝者」「強者」だけが報われる社会だ。すでに、日本も世界も事実上その傾向にあるのではないか。 障害者の生存を軽視・否定する思想とは、すなわち障害の有無にかかわらず、すべての人の生存を軽視・否定する思想なのである。私たちの社会の底流に、こうした思想を生み出す要因はないか、真剣に考えたい。 ふくしま・さとし 1962年神戸市生まれ。小学生で全盲となり、高校生のときに特発性難聴により聴覚も失う。母が、両手の指の関節を点字の突起に見立てた「指点字」というコミュニケーション方法を考案し、よどみなく会話ができるようになった。盲ろう者として初めて大学(現・首都大学東京)に入学し、金沢大助教授などを経て現職。全国盲ろう者協会理事、世界盲ろう者連盟アジア地域代表を務める。2003年に米週刊誌タイムの「アジアの英雄」に選ばれた。 |
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