みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

届け!脱原発/東京で「さようなら原発5万人集会」/名古屋で、各地で、同時イベント

2011-09-20 15:03:21 | 地震・原発・災害
秋晴れの昨日、9月19日。
東京の明治公園で「さようなら原発5万人集会」が開催されました。
東京の集会と連動して、全国でも反原発集会やデモなどのイベントがあり、
名古屋でも2000人が集まったそうです。

   【youtube】9・19「さようなら原発集会」~6万人が参加

  脱原発集会:「さよなら原発」訴え行進 3県から名古屋に2000人集結 /愛知  

◇東京の大規模集会に協調
 東日本大震災から半年が過ぎたのを機に、速やかな脱原発を訴えようと、名古屋市中区栄の白川公園で19日、「さよなら原発1000万人アクションinあいち」が開かれた。この日、東京都新宿区で大規模な脱原発集会が開かれるのに合わせ、東海3県で環境問題や平和運動、子育て支援などに取り組む団体・個人による実行委員会が主催し、約2000人が集まった。
 集会では、静岡県や福井県、福島県で脱原発運動に関わる人々のメッセージを読み上げた後、「次の世代に命をつなげるために原発のない未来をみんなでつくろう」とのアピールを採択した。
 続いて横断幕やプラカードを持った参加者が約1時間、周辺をデモ行進し「すべての原発を止めよう」「人を犠牲にするエネルギーはもうやめよう」と呼び掛けた。
 参加した名古屋市西区の二上巌さん(70)は「子孫のためにこの世代で原発を停止させなければと、いてもたってもいられなくなった。多くの人が声を上げてほしい」。同市北区の学童保育指導員の女性(50)は「人間がつくった原発は人間の手でなくすしかない。名古屋から自然エネルギーへの転換を訴えたい」と話した。
 実行委員の一人、安楽知子さん(49)は「福島第1原発事故をきっかけに脱原発への関心が確実に広がっている。原発は速やかにやめよう、とみんなで新政権に求めたい」と話した。【高木香奈】
毎日新聞 2011年9月20日 


名古屋の集会には、わが家から宣伝カーのみ参加(笑)、
集会アピールを友人の坂東弘美さんが読み上げた、とのこと。
坂東さんのブログに乗っている集会アピールを転載させていただきます。

 名古屋2000人、東京6万人デモ(2011年09月19日 がま口塾)

さよなら原発パレード」集会&パレードin愛知は2000人で問題なく終了。猛暑。東京は6万人で福島からも約500人が訪れたそうですが、NHKの夜7時のニュースでは1ミリも報道しませんでした。6時台でやったのかしら? こちらのローカル局では2局ほどチラッと放送したようです。2000人のデモや6万人のデモが大々的に報道されないのは、不思議でたまりません。(後記:さすがにNHKもTV朝日、TBSも全国報道した)
 東京で経産省ハンスト中の関口詩織さんからの電話アピールもあって、迫力満点。私は実行委員ではないのだけど、「集会アピール文」を読めと言われて、大きな声で頑張りました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<9.19さよなら原発1000万人アクションinあいち> 集会アピール
 3月11日の東北地方太平洋沖地震の発生から半年余りが経ちました。被災地では、今も4千人を超える方の行方が分からないままですが、一方で復興に向けた取り組みも少しずつ始まっています。 しかし、大事故を起こした福島第一原子力発電所では、今なお数千人の作業員の方が、日々被ばくを強いられながら、事故の収束作業にあたっています。原発事故は、まだ終わってはいません。
 環境にまきちらされた放射能は、放射性セシウムだけで広島原爆168個分と言われ、福島の大地や海だけでなく、日本全土に降り注ぎました。チェルノブイリ原発事故の時に強制移住の対象となった1平方メートル当り55万5千ベクレルを超えた地域の面積は、琵琶湖の1.2倍にも達し、現在も数十万人の住民が、何の避難の手だても与えられずに留めおかれています。更に、下水汚泥やガレキ、腐葉土やリサイクル堆肥など、既に二次汚染、三次汚染の問題が深刻になっています。私たちはこれから、終わりのない放射能汚染の時代を生きていかねばならなくなったのです。
 この「原発震災」は決して天災などではありません。国策の名の下で、原発に対する国民の批判や懸念をお金と力で押さえ込み、利益追求のために地震列島に54基もの原発を建設してきた国と電力会社、原子力産業の責任であることは明らかです。
 この半年の間、東京電力をはじめ国や御用学者の楽観的な判断はことごとく裏切られ、その無力さ、無能さを国民の前にさらけ出しました。にも関わらず、その責任をとることも、それを恥じることもなく、いまだに原子力行政を取りしきり、福島原発事故の真の原因を隠蔽しようとしています。そして、地元の不安を解消できず既に8割が停止している全国の原発に対して、再び根拠のないストレステストで安全のお墨付きを与え、運転再開を急ごうとしているのです。
 原発事故の被害の広大さ、深刻さを目の当たりにし、放射能でふるさとを捨てざるをえなくなった人びとの痛みに触れてもなお、原発に固執する国は、本当に国民を守る気があるのでしょうか。
 この夏、あれだけ大仰な電力危機キャンペーンが展開されたにも関わらず、結局、どこにも停電は起きませんでした。原発がなくてもやって行けることが明らかになったのです。過剰な電気のために原発が必要だと言いつのることは、もはや無意味です。
 原発のウソは、もうたくさんです。
 原発がなくても、私たちは豊かに暮らせる知恵をもっています。
 子どもたちにこれ以上被ばくの危険と原子力の負の遺産を押し付けたくはありません。
 次の世代にいのちをつなげていくために、「原発のない未来」を皆で選びとりましょう。
 私たちは今日ここに集い、野田新総理に対して速やかな脱原発政策への転換を求めるとともに、改めて「原発はいらない」という思いを共有し、ここに原発との決別を宣言します。
「さよなら、原発!」
2011年9月19日  9.19さよなら原発1000万人アクションinあいち 参加者一同
 


   「さよなら原発1000万人アクション」HP

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今朝の新聞各紙には、脱原発集会の様子が、大小の記事で掲載されました。

 2011年9月20日(火)付「天声人語」 
朝日新聞
 41年前のイタリア映画「ひまわり」が再上映されると聞いて試写を見た。ご存じ、戦争から還(かえ)らぬ夫を捜し、若妻が旧ソ連を訪ねる悲話である。切ない調べが流れるタイトルバック。風にそよぐヒマワリ畑を、カメラはゆっくり左に動いていく▼地平線に至る黄色の海は、ウクライナで撮影されたという。花は500年前、北米から欧州に渡り、油の原料として広まった。最大の産地が旧ソ連で、映画には異郷を語る景色として登場する▼チェルノブイリ原発事故の汚染域にも、菜種と共に植えられた。土壌の放射能が油に移りにくいためだ。ただ除染の力は定かでなく、福島で実験した農水省の判定は「ほぼ効果なし」。根を深く張るので、地表近くの放射性物質は吸収しづらいらしい▼除染の早道は表土の除去だ。4センチまで削ると、セシウムの75%が除かれたという。森口祐一東大教授の試算では、除染対象の面積は最大で福島県の7分の1にもなる。気が遠くなる労力と費用に、改めて原発事故の罪深さを思う▼昨日、東京での「さようなら原発」の集会と行進には、大江健三郎さんらの呼びかけで大勢が参加した。壇上から作家の落合恵子さんが訴えたように、平仮名しか読めぬ子が「ほうしゃのうこないで」とおびえる現実、捨て置けない▼孫の将来を案じてか、敬老の日を脱原発にあてたお年寄りも多かった。大切な誰かを本気で守ろうと思えば、人は街に繰り出す。黄色を身につけた群衆が、波打つヒマワリ畑に重なった。


 大江健三郎さんら脱原発訴え 都心で6万人参加デモ
毎日新聞 2011年9月20日 朝日新聞

 脱原発を訴える「さようなら原発集会」が19日、東京・明治公園で開かれた。ノーベル賞作家の大江健三郎さんらが呼びかけた。主催者側によると、全国から約6万人が参加し、東京電力福島第一原発の事故に関連した集会では、最大規模になったという。
 集会では大江さんのほか、経済評論家の内橋克人さんや作家の落合恵子さんらが登壇。大江さんは「原子力は荒廃と犠牲を伴う。私らは原発に抵抗する意志を持っているということを政党の幹部に知らせる必要がある」と呼びかけた。
 参加者は集会後、のぼりやプラカードを手に渋谷や新宿の繁華街を3コースに分かれてデモ行進。7歳の娘と初参加したという都内の女性(49)は「原発に無関心で無知だったことを反省した。子どもの世代に、原発に依存しない社会を残したい」と話した。
 集会は脱原発への政策転換を求める署名運動「さようなら原発1000万人アクション」の一環。原水爆禁止日本国民会議(原水禁)などが支え、これまでに100万人を超える署名を集めたという。
     ◇
 名古屋市中心部でも19日、「脱原発」を訴える集会とデモがあり、約2千人(主催者発表)が参加した。
 東日本大震災後半年にあわせ、ノーベル賞作家の大江健三郎さんらが全国で呼びかける「さよなら原発1千万人アクション」の一環として、東海地方の実行委員会が同市でも企画した。参加者らは「原発さようなら」などと声を合わせ、中区の白川公園から東区の中部電力本店まで歩いた。
 インターネットで開催を知った北区の会社員田中秀之さん(47)はデモ初参加。「最初は少し怖かったが、いろいろな人が参加していて心強かった。デモだけで終わらず、考え続けたい」と話した。(畑宗太郎)
     ◇
 九州各地でも連帯の声を上げようと、集会やデモがあった。
 福岡市博多区の公園で開かれた集会には、主催者によると、労組や市民グループを中心に約千人が参加した。福島市から福岡県福津市に娘と避難している主婦宇野朗子(さえこ)さん(39)もマイクを握った。
 原発事故から半年。影響を過小評価する政府などの発表から、福島から避難できずにいる人もおり、「コミュニティーが引き裂かれている」と訴えた。さらに「除染して復興を」という掛け声のもとで「被曝(ひばく)の危険を伴う除染作業に留め置かれた住民が駆り出されようとしている」と指摘。「福島の現実を見つめ、二度と繰り返してはならないと決意しましょう」と呼びかけた。参加者は集会後、繁華街の中洲から天神を経て福岡市中央区の九州電力本社まで約2キロを「原発はいらない」などと声を上げながら歩いた。
 長崎市でも集会があり、主催者によると約600人が集まった。脱原発を願う歌を歌い、被爆者団体や労組の代表が思いを述べた。


さようなら原発5万人集会(毎日新聞,写真特集)

東京電力福島第1原発事故を受け、原発依存からの脱却を訴える「さようなら原発5万人集会」が19日、東京都新宿区の明治公園で開かれた。集会やパレードには主催者発表で約6万人が参加。原発事故後では、最大規模とみられる。
 原水爆禁止日本国民会議(原水禁)や有識者らで構成する「さようなら原発1000万人アクション」主催。呼びかけ人の一人で作家の大江健三郎さん(76)は「原子力のエネルギーは必ず荒廃と犠牲を伴う」と語った。
 参加した俳優の山本太郎さん(36)は「今の日本の政治は一人の命や安全を無視している」と脱原発を訴え、参加者とともに「原発反対、子供を守れ」とシュプレヒコールを上げた。その後、参加者はプラカードや旗を掲げながら、明治公園から新宿や原宿など3コースに分かれて約2~4キロをパレードした。
 警視庁によると、集会やパレードには約3万人が参加した。【長野宏美、山田奈緒】
 2011年9月19日 毎日新聞

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脱原発:東京で大規模集会 避難者も叫び 

◇日本全体で考えて/まだ隠しているのでは/「安全」うそだった
 東京都内で19日午後開かれた原発依存からの脱却を求める「さようなら原発5万人集会」やパレードには多くの市民が参加した。故郷の福島を離れて避難している人や、事故をきっかけに初めて問題意識を持った人も目立った。【長野宏美、山田奈緒】

 福島県南相馬市を離れ、川崎市に妻と娘、孫の4人で避難している元教師の山崎健一さん(65)は「福島に暮らしている人以外にも、原発問題にもっともっと関心を持ってほしい。原発政策、脱原発を日本全体で考えてほしい」との思いで集会に参加した。南相馬に戻りたいが「1歳の孫を思うと、除染が完全に終わらない限り安心して暮らせないので戻れない」と訴える。
 福島に残っている消防士の娘婿の内部被ばくも心配という。「この年で故郷を追われて暮らすなんて考えたこともなかった。不安だらけで悲しいが何か行動しなければ何も変わらない」と話し、パレードに出発した。
 同県飯舘村から避難し、福島市の借り上げ住宅で暮らす女性(40)もバスで東京に駆け付け、パレードに参加。飯舘村で生まれ育ったが、第1原発のことは「小学生か中学生のころに社会科見学で行ったことがあるが、その後の日常生活で意識することは全然なかった」と振り返る。
 原発事故後、夫と一緒に勤めていた村内の会社を「100%安全と言い切れない場所では働けない」と夫婦そろって退社。「原発に無関心だった自分への戒めの意味もあってデモに参加した。悔しさをぶつける場所はどこにもないが、せめて今日は大声で『原発はもういらない』と叫びたい」と話した。
 同県郡山市から近所の主婦仲間と訪れた女性(72)は「街から子供の姿が消えた。公園や校庭に子供の元気な声が響く街に戻ってほしい」と参加。「国も東電も信じられない。都合の悪い情報をまだ隠しているのではないかと思える。こんなにも大勢の人が集まったのは、不信感の表れだと思う」と話した。
 一方、東京都練馬区のパート、小川美樹さん(40)は「行動しないのが一番悪い」と思い、初めて参加。実家は静岡県富士市で浜岡原発は身近な問題。3月11日以降「原発は安全というのはうそだった」と不信感を募らせた。
 埼玉県戸田市に住む妹が6月に女児を出産したが、外で遊ばせることにも不安を感じている。「子供の将来を考えると、原発を止めてほしい。同じ思いの人がたくさんいるのを見て、止められるんじゃないかと思った」と話した。
毎日新聞 2011年9月20日   


脱原発6万人集会 
2011年9月20日 東京新聞

 脱原発を目指して作家の大江健三郎さんらが呼び掛けた「さようなら原発五万人集会」が十九日、東京・明治公園で開かれ、参加した約六万人(主催者発表)が原発依存社会からの脱却を訴えた。集会で、大江さんが「私らには民主主義の集会や市民のデモしかない。しっかりやりましょう」と呼び掛けると、会場からは地鳴りのような拍手が湧き起こった。 
 作家の落合恵子さんは参加者に「あなたたちに会えたきっかけを考えると腹立たしくてならない」と語り掛けた。その上で「放射性廃棄物の処理能力もない人間が、原発を持つべきでない」と原発不要論を唱えた。
 ゲスト参加した俳優の山本太郎さんがあいさつで「すごい…すごい人ですね」と切り出すなど、会場に入りきらないほどの人が集まった。集会後は福島県民らを先頭に「再稼働させるな」「子どもたちを守ろう」とシュプレヒコールを上げ、都心を練り歩いた。
 大江さんらは東京電力福島第一原発事故を受け、来年三月までに脱原発を求める一千万人分の署名を政府と国会に提出する計画。主催者によると、署名は現在約百万人に達しているという。
 集会は原水爆禁止日本国民会議(原水禁)が中心となって開催。警視庁は参加者を三万人弱としている。
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できることから行動を 福島からの参加者「訴え継続必要」
2011年9月20日 東京新聞

 作家大江健三郎さんらの呼び掛けで十九日、東京・明治公園で開かれた「さようなら原発五万人集会」。東京電力福島第一原発事故の影響に苦しむ福島の人たちも加わり、集まった人々は「原発はいらない」と大きな声を上げた。次世代を思い、子連れで都内をデモする人も。「脱原発」の思いは大きなうねりとなって広がった。 
 集会には、福島県からも多くの人が駆けつけた。
 福島市でパン店を経営しながら市民運動をしている橋本敬子さん(42)は、福島の地名が入った旗を持ち会場入りすると拍手で迎えられた。「私たちだけが闘っているんじゃないんだ」と感じ入った様子。これまで県内でデモをする機会は少なかったという。
 また、飯舘村の会社員小暮俊和さん(55)は「東京で集会をするのは全国へのアピールになる。大勢集まるのはいい」。一方で、「村の人は五年、十年では忘れることができないが、十年後にこれだけ人が集まるかなとも思う。続けていくことが必要」と訴えた。
 新地町の会社員菅原政紀さん(41)は「子どもたちのためにも声を上げ、私たちの世代で原発を止めることが役目」と、次女(3つ)を連れて初めてデモに参加した。「広島、長崎を経験した日本は原発を持つべきでなかった。同じことを思う人がこれほどいて心強い」と会場を見渡しながら、しみじみと語った。
 自治労福島県本部県南総支部の村越晴也事務局長(55)は「今は脱原発の流れだけど、大停電などが起きて風が変わってしまうこともあるんじゃないかな」と危ぶんだ。


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伊吹山の花~トリカブト・リンドウ・サラシナショウマ/平湯峠の花~黄ツリフネ・クサボタン・レイジンソウ

2011-09-19 13:13:33 | 花/美しいもの
先日行った奥飛騨の平湯峠の旧道は、新道ができているので訪れる人も車もほとんどないのですが、
山野草の宝庫で、黄ツリフネの群生地があります。
今回も一番たくさん見つけたのが、黄釣舟 (きつりふね)

伊吹山県市で見つけた赤い花がツリフネソウで、黄ツリフネはもう少し山が深いところで咲きます。

   
平湯峠(奥飛騨)の黄ツリフネの群生
  

   

伊吹山のツリフネソウ
   

花が終わったクサボタンもたくさんありました。
キンポウゲ科のセンニンソウの仲間で、全草に毒があります。
花が終わった後の風車のような種はセンニンソウにそっくりです。

   
     クサボタン
  

伊吹山(西遊歩道)のクサボタン
  

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伊吹山山頂には、秋を彩るサラシナショウマ、トリカブトやリンドウも咲いていました。



  

   

  

   

  

   

  

奥飛騨の平湯峠でも、トリカブトが咲いているのではないかと探したのですが見つからず、
代わりに、トリカブトの仲間のレイジンソウ(麗人草)を見つけました。

   

  
トリカブトと似た花の形をしていますが、花は小型で2~3cmほどです。

伊吹山も平湯峠も、どちらも花の時期は過ぎていましたが、
涼しくてさわやかな秋を満喫しました。

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味覚の秋~初堀りのサツマイモとサトイモ・バナーネのコンポート

2011-09-18 16:35:27 | おいしいもの/食について
いろんで食べごろになったイチジク・バナーネのお尻が、
つぎつぎにヒヨドリにつつかれて食べられるので、
イチジクの木に、すっぽり防獣(鳥)ネットをかぶせました。

   

  

熟したイチジクハ日持ちがしないので、残り物の赤ワインでコンポートを作ることにしました。
テレビでやっていたかんたんコンポートは、煮たてた赤ワイン(+蜂蜜少々)を
耐熱容器に入れたイチジクに注ぐだけ。
イチジクは実がやわらかいので、煮ないほうがよいそうです。
    
ちょっと心配なので、容器ごと湯せんして冷めてから冷蔵庫にいれました。

   
一週間後に食べましたが、とろけるようなやわらかさで、
絶品の赤ワイン・コンポートのお味です。

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5月に植えたサツマイモ、ツルが畑を覆い尽くすほど伸びてそろそろ収穫時期、
ということで、まどくんが試し掘りをしました。
   
手前が鳴門金時、奥がベニアズマ。どちらも大きく育っています。

焼き芋とふかしイモを作って、食べ比べてみました。
  
手前が鳴門金時、奥がベニアズマ。
   
鳴門金時はまた甘みが乗ってないようで、紅東(ベニアズマ)のほうが甘いです。
   
調べてみたら、鳴門金時は収穫してから一定期間寝かせたほうが甘みが増すとのこと、
逆にベニアズマは日持ちがせず、8月くらいから早掘りで収穫できて、
収穫が遅れると肥大して縦に凹凸ができるとのこと。
たしかに、ベニアズマは特大サイズが多くて凸凹気味なので、
もう少し早くから収穫できたみたいです。

ついでに、サトイモ(石川早生)も試し掘り。
   
まだちょっと早いようですが、一年ぶりに食べるサトイモは、
ぬるっとして、おいしいです。
   

まな板からはみ出るほどの大きなトウガン。
   
厚く皮をむいて、大きめのさいの目に切り、
  
黒豚と炒めて、とろみをつけて味噌煮にしました。
 
種とワタも捨てずにスープに。
季節も、たべものも、夏から秋に移り変わってきました。

ところで<
今週のNHKの「ためしてガッテン」。
しらずに進行する「慢性腎臓病」がテーマでした。

  

腎機能の数値を表すのが、クレアチニンの数値。



腎臓を大事にしよう!(慢性腎臓病予備軍2,000万人)/日本腎臓学会HP

わたしも今週、血液検査をしました。
クレアチニンの数値が上がっていないとよいのですが・・・。

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本になりました。『変えよう地方議会~3.11後の自治に向けて』(河北新報社編集局/公人の友社)

2011-09-17 17:37:40 | 市民運動/市民自治/政治
昨年の6月、河北新報から名古屋市長の河村さんとの「対論」ということで、
インタビューを受けて、新聞記事になった、ということがありました。


 【変えよう地方議会 あすの自治】特集:描く 未来像 持論熱く/
「自己満足の改革ノー」寺町みどり(2010-06-15)


そのことはすっかり忘れていたのですが、きょう河北新報から冊子小包が届き、
なんだろうとおもって開けてみたら、『変えよう地方議会~3.11後の自治に向けて』という本が入っていました。

   

同封のお手紙を読むと、【変えよう地方議会 あすの自治】の特集を
一冊の本にまとめて「公人の友社」から刊行した、とのこと。

仙台に本社がある河北新報なので、東北の自治体の例がたくさん出てくるのですが、
3.11で被災した自治体名もあって、切ない思いです。

 変えよう地方議会―3・11後の自治に向けて [単行本]
河北新報社編集局 (編集)
 
公人の友社 (2011/09)/310ページ/2100円 


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読みすすめると最後のほうに、わたしのインタビューも、ちゃんと収録されていました。

この本の「特集」には、いろんな人が出てくるのですが、なんと、女性はわたしひとり(笑)。
特集の最後、エピローグの前の締めのところで、うれしいです。



変えよう地方議会
3.11後の自治に向けて
 

本書は2009年12月から2010年6月まで河北新報に掲載した連載企画「変えよう地方議会 あすの自治」をもとに編集した。
 多くの議会が根拠のない権威にあぐらをかいているのは事実だが、だからといって住民の代表機関に不要論を突き付けることが、本当に望ましい選択なのだろうか。「地方議会とは何か」を問い直し、あるべき自治の姿を再定義したい。私たちの取材はこうした問題意識から始まった。
 2011年3月11東北地方は東日本大震災で壊滅的な被害を受けた。取材にご協力いただいた方々の中にも犠牲者がいる。今後、東北の自治はどうなるのか。そして議会は、住民は・・・。答えは簡単には見つかりそうにない。しかし、あすの自治を見つめ、伝えていくことが、未曽有の震災を生き残り、再生を託されたわたしたちの責務であると考え、新たに震災後の地方議会の動きと、主な自治体の被災データを書き加え、世に送り出すことにした。
「あとがき」より

目 次
序にかえて 東日本大震災と地方議会
「変えよう地方議会」解題
プロローグ 政権交代の余波
第1部 聴く、話す
第2部 つくる、考える
シンポジウム
第3部 ためす、迷う
第4部 閉じる、寄りかかる
仙台市議会対話集会
第5部 縮む、見失う
第6部 なびく、まどろむ
対談 議会改革の処方せん
第7部 かすむ、みがく
第8部 背負う、耐える
第9部 気づく、むすぶ
特集
エピローグ
あとがき 


webにアップされているころから読んでいたのですが、
こうして一冊の本になったものは、やっぱり読みごたえがあります。
議会改革に取り組む全国の先進的な自治体の例がたくさんでてきて、
現職議員にはおススメの本です。

「3.11後の自治に向けて」という副題の意味も考えながら、
議会改革に関心のある方は、ぜひお読みになってください。


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最近読んだ本:金原ひとみ新刊『マザーズ』母であることの幸福と、凄まじい孤独。

2011-09-16 18:24:02 | ほん/新聞/ニュース
8月に毎日新聞と朝日新聞の書評に載っていた金原ひとみさんの新刊『マザーズ』、
さっそく買ってきて読みました。
金原ひとみさんといえば、芥川賞とすばる文学賞を受賞した『蛇にピアス』で注目され、
昨年は『TRIP TRAP』織田作之助賞を受賞。

最新作の『マザーズ』は、子育て中の3人の母親の内面を描いた衝撃の本。

けっこう分厚い本で、一人称で3人のことを書く手法が最初は読みにくかったのですが、
3人の母親の話に引き込まれ、一気に読みました。
この書き方、どっかで読んだなと思いながら読んだのですが、
村上春樹の『1Q84』と似てることに気が付きました。
『1Q84』も始めは読みにくかったことを思い出しました。
とはいえ、
『1Q84』の女性の書き方には共感できなかったので、 
「母」であることの孤独を書いた『マザーズ』のほうが、ずっと深い内容ですね。
「母性とは何か」をテーマにした本としては秀逸。
ずっと昔、子どもを愛しながらもやりきれなさを抱き、孤独な子育てをしていた頃を思い、
読みながら胸が締め付けられるような気がしました。
一人でも多くの人に読んでほしい本。

   【金原ひとみ『マザーズ』刊行記念インタビュー】
   母であることの幸福と、凄まじい孤独。(波 2011年8月号より)新潮社
  
マザーズ 金原ひとみ
同じ保育園に子どもを託している、作家のユカ、主婦の涼子、モデルの五月。
三人の若い母親たちが抱える、痛みにも似た孤独と焦燥、母であることの震えるような幸福。
彼女たちは何に傷つき、何に憤り、何に慰撫されているのか。
作家が自身の体験のすべてを注いで描きだす、現代日本の「母」、そして「家族」。渾身の最高傑作!
ISBN:978-4-10-304532-8 発売日:2011/07/29


9月11日日曜日の岐阜新聞にも書評が載っていました。
2011.9.11 岐阜新聞

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 金原ひとみ新刊「マザーズ」 母親の生きづらさ重層的
2011.8.31 朝日新聞

 子育ては、壮絶な格闘にして、かけがえのない幸福――。作家の金原ひとみが長編小説『マザーズ』(新潮社)で新境地をひらいた。同じ保育園に子を預けている若い母親3人が、三者三様の苦境に陥ってゆくさまを、それぞれの視点からつづった力作だ。
 「蛇にピアス」で芥川賞を受けたのが20歳の時。7年経った今、2児の母親になった。
 「子供を育てる中で、今まで感じたことのなかった生きづらさを経験した。母になるとはどういうことなのかを考えてみたかったのが、作品を構想したきっかけです」
 母親3人は友人として母親仲間として交流を持つ。共有する出来事を別な視点からとらえることで、物語は重層性を帯びる。
 「一人称多視点の長編は初めてなので、プロットを立てている時は不安だった」と金原はいう。「母親像をできるだけ多面的に描きたかった。私自身も3人の主人公に監視されながら書いたことで、いい距離感を保つことができた」

 作家の「ユカ」は仕事と育児に忙殺され、週末だけ一緒に暮らす別居婚を続けるが、精神の均衡を崩し、薬物におぼれる。専業主婦の「涼子」は、子育てに疲れ果て、ぐずる我が子を虐待し始める。モデルの「五月」は不倫に走り、相手の子をみごもってしまう。
 「ユカは端から見ると満たされているが、実は耐え難い虚無感を抱えている。逃げられる所があるなら逃げたいという気持ちはよくわかる」
 涼子についてはこう解説する。「眠れない、時間がないなど、母親が皆感じるであろうつらさを一身に抱えている。子供と密室に置かれていることが人を狂わせてゆく。暴言を吐いたり叩(たた)いたりする行為には中毒性がある。頭では冷静に考えても、衝動が加速度を増してゆく」。五月については「子供を持つことで夫との関係が悪くなる。不倫に走るのも、家庭のバランスを取るため」と語る。
 「3人とも、表れ方こそ違うけど、閉塞(へいそく)感から逃避しているんです」
 3人の思いには、それぞれすさまじい振幅がある。〈出産以来……母というグロテスクな生き物になってしまった〉=涼子。〈崩壊が始まった。私の全てが壊れる日が来た〉=ユカ。〈子どもを育てるということは、奇跡に立ち会うということなんだ〉=五月。
 「出産して以来、世間が持っている母親のイメージに対して、そういうものじゃないんだと、疑問に感じることが多かった。母性とは何なのかを考えるきっかけにしてもらえたら」(小山内伸)   


語る:金原ひとみさん 長編小説『マザーズ』を刊行 

◇母の孤独と喜び、体験糧に描く
 作家、金原ひとみさんの長編小説『マザーズ』(新潮社、1995円)が刊行された。2児の母でもある著者が、幼児を抱えた母親の壮絶な孤独と喜びを描いた渾身(こんしん)の一作。虐待や待機児童のニュースが日常化する現在、身近で切実で困難なテーマに取り組んでいる。金原さんに聞いた。【棚部秀行】
 主人公は3人の若い母親。作家のユカ、モデルの五月(さつき)、専業主婦の涼子は、子供を同じ保育園に通わせる“ママ友”だ。子供との接し方はそれぞれで、夫婦関係はみな順調とはいえない。ユカは薬物に手を出し、五月は不倫をし、涼子は息子を虐待している。
 「主人公を3人にしたのは、普遍的な話にしたいと思ったから。母性や母親としての気持ちは、人によって違い、とても強い。1人の主人公だと、どうしても主観的、個人的な話になってしまうと思いました。彼女たちは私の分身でもあります」
 章ごとに3人の視点が入れ替わって物語は進む。母親たちは育児の不安と夫への不満を抱き、子供にいらだつと同時に、強烈ないとおしさを感じている。出産以前の生活との違いに愕然(がくぜん)としながら、周囲とは隔絶されがちな日常を生きる。
 「母というものがこんなに複雑だとは、子供を持つまで思いもしなかった。恋愛関係でもうんざりすることはありましたが、こんな感情が人間には芽生えるんだと。きちんと向き合って書きたいと思いました」
 虐待のシーンでは、目を背けたくなるような記述が続く。涼子は罪の意識を持ちながら、手を抑えることができない。夫や家族はその異常に鈍感だ。涼子は息子を前に思う。<こんなに愛しているのに、私たちは一緒にいたら破滅する>
 そのとき思い起こすニュースは、夫婦がデートに出かけ、家に残された乳児が布団で窒息死した事件。<私は彼らを責める事が出来ない>と涼子は感じる。
 「ワイドショーで虐待のニュースがあると、よくコメンテーターが『理解できない、鬼ですね』って言いますよね。でも、それでいいの?って思う。理解しなきゃいけないんじゃないの?って。虐待は、個人的な問題ではなく、人間の根源的な問題だと思います」
 さらに「子供を預けて親が楽しむことを批判する風潮に違和感を感じます。恋愛関係でも親子関係でも同じことが言えると思いますが、人は1対1で向き合い続けると、冷静な判断を失っていきます」と続けた。
 その思いはユカの<育児の大敵は孤独だ。孤独な育児ほど人を追い詰めるものはない>という述懐に通じる。
 金原さんは言う。「女性たちに働く自由や遊ぶ自由がある現代では、子供を産むことであきらめざるを得ないことが多過ぎる。だから、なかなか子供を産もうとは思えない。改善策は、あきらめることをいかに少なくするか、だと思います。ベビーシッターを雇いやすくする制度や、フランスの『週35時間労働制』のような、男性に育児参加をしやすくさせる制度の導入など、いくらでも打つ手はあると思います」
 孤独の果てに、主人公たちはそれぞれの幸せの形を見いだしていく。その契機はやはり、子供がもたらすものだった。
 400字詰め原稿用紙850枚の小説は過去最長。連載も今回が初めてだった。1年3カ月をかけた文芸誌への連載中、金原さんは2人目を妊娠し、この4月に出産した。生活上の変化が大いに反映された作品といえるが、執筆中、実生活と小説が同調するような感覚を覚えたという。
 「五月が不倫相手との妊娠に気づいたときに私が妊娠したり、娘の誕生日に、ちょうど誕生会の場面を書いていたり、ユカが失踪するシーンを書いていた頃に私もプチ失踪したり。小説に人生が浸食されて、壊されるんじゃないかという気持ちになった。でもだからこそ、書けたという気持ちもあります」
 20歳で芥川賞を受賞して7年。小説を書き続け、結婚・出産を経験した作家は、着実に文学のテーマを広げている。「一つ一つステップを積み重ねて、やっと『マザーズ』に足を踏み入れました。人間関係をベースに小説を書いていくので、子供という新しい対象が現れて、また一つ世界が広がった気がしています」

 ◇岡山で育児休暇中
 金原さんは現在、岡山で3歳と0歳の娘と共に暮らしている。東日本大震災発生の翌日、東京都内の自宅から移った。余震や放射能の子供への影響を考慮したからだという。
 「臨月のときに地震と原発の爆発が起こりました。すぐ東京に戻るつもりだったのが、放射能について調べていくうちに戻れなくなって、岡山で出産しました。上の子も保育園に入れて、今に至ります」
 東京で感じた育児中の孤独が、岡山では薄れるのを感じている。「小さい子を連れていると、みんな話しかけてくるんですよ。東京では出産は大事件ですが、岡山では、日常のなかの自然なものとして受け入れられている気がする」
 デビュー以来、長女出産の時も産休や育休を取らずに小説を書き続けてきた。現在、初めての長期休暇中。「ずっと駆り立てられるように、書きたい、書かなきゃと思い続けてきました。今回はしっかり休もうと。余裕をもって子供たちとも向き合えています」。充実した表情を浮かべた。
==============
 ■人物略歴
◇かねはら・ひとみ
 1983年、東京都生まれ。2004年『蛇にピアス』で芥川賞、10年『TRIP TRAP』で織田作之助賞受賞。 


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雄大な「水明館 佳留萱(かるかや)山荘」の巨大露天風呂に入ってきました。

2011-09-15 21:08:40 | 健康/くらし/薪ストーブetc
日帰りで、平湯温泉郷を抜けて、新平湯温泉のまだ先の、
新穂高温泉まで行ってきました。

目的地は、「日本秘湯を守る会」の佳留萱山荘の大露天風呂。
女性専用風呂以外は、混浴です。


前に宿泊したことがあるのですが、翌日ゆっくり入ろうと思っていた大露天風呂に、
翌朝いったら水を抜いて掃除を始めていたので、心残りで帰ったのです。

 水明館 佳留萱山荘(日本秘湯を守る宿)

温泉について
北アルプスの雄大な大自然を目の前に、開放感あふれる露天風呂の数々。
当館自慢の大露天風呂をはじめ、ゆったりとお入りいただける貸切露天風呂など
趣向あふれる温泉を味わえます。
蒲田川のせせらぎをBGMに、3か所の自家源泉を合わせて汲み上げた
かけ流しの天然温泉をごゆっくりお楽しみいただけます。
---------------------------------------------------------------------
大露天風呂
日本随一を誇る約250畳もの広さの露天風呂。
湯船には天然温泉かけ流しの湯がとうとうと注ぎ込まれ、
いたるところに配された巨石は、自然と一体となり、北アルプスを背景に雄大な景色となっています。
美しい山々と緑に囲まれ、さわやかな高原の風が心地よく感じられることでしょう。
開放感あふれるひとときを、ゆったりとお過ごしください。


驚き桃の木!巨大露天風呂!温泉三昧「佳留萱山荘」
/秋の味覚たっぷり「佳留萱山荘」のお食事/秋の奥飛騨の旅


今回もフロントで日帰り入浴を申し込んだら、女性専用風呂と大露天の一部が掃除中とのこと。


せっかくここまでやって来たので、入ることにしました。
  

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風情があってとても気に入っている女性専用露天が掃除中でちょつと残念だったのですが、
大露天風呂に入っている間に、温泉がたまるのを期待して、大露天へ。


女性専用風呂から出たところ。

目の前に広大な露天風呂が広がっています。

バスタオルを巻いて、先に露天風呂に入っているともちゃんを捜索。
わたしたちのほかは男女一組で、奥のほうにいるようです。


ともちゃんを見つけて温泉にはいっていくと、見上げるほどの大きな岩があります。
この温泉が一番ぬるかったので、まずここに入りました。
けっこう深いので、手ごろな岩を探して座って、ノンアルコールビールで乾杯。

奥の大きな露天風呂の奥には洞窟風呂もありますが、
原泉に近いのか、足を入れただけでめっちゃ熱いです。
 

先客のお二人は、温泉から上がって休憩しているようなので、遠慮して
もとの大露天に戻りました。

屋根の陰になってきた入り口付近の浅瀬に座って、
買ってきたトマトと飲むヨーグルトを分けっこして食べました。
だれも入ってこないので、雄大な大自然と大露天風呂が貸切り状態。

しっかり温まったので、最後に女性専用露天に入りました。
いれたたてで熱かったのですが、透き通ったきれいなお湯でした。

ほんものの貸切風呂も三つあるのですが、日帰り客は有料なので、
今度泊まりに来た時にしましょう。


帰り道、ドライブステーション板蔵によって、
飛騨高山板蔵ラーメン(並)を食べました。

極細の縮れ麵で醤油味、好きなラーメンです。


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ほうのき平コスモス園/飛騨のフルーツと宿儺(すくな)かぼちゃ

2011-09-14 21:01:51 | 花/美しいもの
お天気つづきなので、思い立って奥飛騨までドライブに行ってきました。

いつものように、ひるがのSAで休憩。
 
燃費がよいハイブリッド・プリウスで快調に東海北陸自動車道を
高山西インターまで行き、あとは下道を丹生川まで走ります。

まず立ち寄ったのは、ほうのき平スキー場。
この時期、コスモス園がきれいです。

ほうのき平コスモス園
シーズンオフ中のほおのき平スキー場のゲレンデを利用し、4haの敷地に約800万本のコスモスが咲き乱れます。
平成4年にスタートしたこのコスモス園は、年々その規模を拡大し800万本に達しました。9月上旬から開園し、
赤や白、桃色の可憐な花が見る人を楽しませてくれます。
コスモスまつりも開催され、ゲーム大会や大道芸、バザーでは飛騨牛の串焼きなど大人から子供まで楽しめます。
営業時間 8月中旬~9月下旬(予定)
見頃は9月上旬頃 



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お目当ては、のりくらスカイラインへ上る旧道のお花と奥飛騨にある大露天風呂ですが、
それはまたのお楽しみとして、あらためて紹介しますね。

旧道を降りて着いたところは、平湯バスターミナル。
すくなかぼちゃソフトと牧成舎のこだわりミルクソフトを食べました。
 

   一日走っての収穫は、飛騨のリンゴ、洋ナシ、ぶどう。
   

   奥飛騨(丹生川)名産の「宿儺(すくな)かぼちゃ」
  

すくなかぼちゃ~ 飛騨高山、乗鞍山麓からのおくりもの~
今回ご紹介する宿儺かぼちゃは、ウリ科カボチャ属セイヨウカボチャ種に分類されます。
岐阜県飛騨高山の丹生川(にゅうかわ)地区で、世に知られることなく長年栽培されてき
ました。宿儺かぼちゃがどのようにして育成されたのかは、はっきりしておらず謎に包ま
れたままです。ヘチマのような独特の形状と灰緑色で縦縞のある表皮はとてもカボチャの
イメージとはかけ離れています。見た目からは想像できないようなホクホクとした食感と
上品な甘みは、食卓の一品として欠かせないものと昔から大切にされてきました。

宿儺かぼちゃの魅力 その1 恵まれた環境
宿儺かぼちゃの産地、飛騨高山は岐阜県の北部に位置し、東に3,000m級の乗鞍岳を初
めとする北アルプス、西に2,700mの白山連峰を望む高い山々に囲まれた地域です。気候
は冷涼で冬期は積雪が多く、年平均気温は10.6℃、年平均降水量は1,733mmです。
宿儺かぼちゃは飛騨高山でも主に標高500~900mの盆地で栽培されているため、夏の
昼夜の温度差が13℃近くあり、乗鞍山麓の湧水が石灰質を含む清流として、肥沃な大地を
潤しています。宿儺かぼちゃは、このような大自然の恵みの下、糖度が高く独特の食感をも
つカボチャに育つのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


かぼちゃをたくさん作っているのに、わざわざラベル付きの宿儺かぼちゃを買うのは
    来年の種取り用。
宿儺かぼちゃの味はもちろんバツグンですが、産地以外では種や苗を入手しにくいのです。

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大震災半年:どうなる、食の安全/放射性物質処理 廃棄物、法の想定外

2011-09-13 19:29:03 | 地震・原発・災害
福島原発事故から半年、今年はじめてサンマを食べました。

出始めたサンマを横目にみながら、買おうかどうしようかと迷っていたのですが、
北海道産の特大サンマが割引になっていたので買ってきて、塩焼きにしました。

   
例年ならサンマの時期は毎日のように食べるのですが、
今年は、たまにおいしそうなのを食べることにしています。

最近ブログに魚が載らないので、魚介類は避けているのかな
と思っていらっしゃる方もあるかもしれませんが、
とりあえず、産地を選んで、食べています。
   
とはいえ、
白身を食べたいと思った時、海の底にいるヒラメをやめて鯛にしたのと、
鯛を買う時に、関東以北の天然ものとそれ以外の産地の養殖ものが並んでいたとき、
まよったうえに、養殖ものを買いました。

少しでも安全(そう)なものを選んで食べてはいますが、
食べ物が放射能で汚染されている心配はあります。

ちまたでは「放射線に効く」という食べ物などあるといわれているようですが、
放射能を「無害」にするものはなさそうなので、
基本的には、「少しでも取り込むのを減らす」ために、情報を吟味して自衛するしかなさそうです。

東日本大震災:どうなる、食の安全/下 「放射線に効く」本当?

◇効果、動物実験中心/喫煙・紫外線など避け、がん予防を
 放射線が人体に与える影響を減らすためのさまざまな情報がインターネット上などで飛び交っている。国の暫定規制値を超えた食品は実際にはごく一部に限られているが、少しでも影響を軽減したいという消費者の思いが背景にある。「みそがいい」「ビタミンCがきく」など各種の情報は、どの程度信頼できるのだろうか。

 ●みそ
放射能対策として、具だくさんのみそ汁を勧める声もある=須賀川理撮影 よく知られているのが「玄米とみそ汁、海藻の食事には効果がある」という説だ。1945年8月9日、長崎に原爆が投下された後、長崎市内の病院の医師だった故秋月辰一郎氏が献身的に進めた食事療法が基になっているようだ。秋月氏は塩をふった玄米のおにぎりや、ワカメやカボチャなどをたくさん入れた濃いみそ汁を患者らに勧め、砂糖の摂取を禁じた。この食事療法を実践した人たちが「長く生き延びた」とされている。
 福島県郡山市で婦人科・心療内科「ロマリンダクリニック」を開業する富永国比古院長は秋月氏の食事療法について、「今の科学的な根拠から見ると、塩の取り過ぎは健康によくない。しかし、穀類や豆類、野菜、果物を中心とした食事は、今でも健康によい食事であり、貴重な歴史的体験だった」と評価する。
 みそを食べると放射線の障害を軽減できる、との説は他にもある。渡辺敦光・広島大原爆放射能医学研究所元教授らが90年代に実施したマウスの注目すべき実験がある。乾燥させた赤みそを10%混ぜたえさをマウスに1週間食べさせた後、放射線の一つであるX線(6000~1万2000ミリシーベルト)を照射したところ、普通のえさや食塩を混ぜたえさを食べたマウスに比べ、小腸の細胞がより多く再生されたという。発酵時間が長く熟成されたみそほど再生の効果が高かった。詳しいメカニズムは分かっていないが、X線を照射した後にみそを食べさせた実験では再生効果はなかった。
 「事前にみそを食べれば、放射線の害が軽くなる」という実験結果だが、渡辺さんは「人に当てはまるかは分からない」と話す。ただ「みその料理を食べること自体に害はないので、個人的には勧めたい」とする。
 ●ビタミンC
 抗酸化作用のあるビタミンCが放射線障害を防ぐ、との説もある。防衛医科大などの研究グループは、マウスに大量の放射線を当てた場合、事前にビタミンCを与えておくと、胃腸の粘膜がはがれ落ちる度合いが減って生存率が上がる、という実験結果を昨年発表した。ビタミンCが放射線の急性障害を軽くしたといえる。海外でも、ビタミンCの事前投与でマウスの精子の生存率が上がるなど、ビタミンCの効果を示す動物実験の報告例が多数ある。
 東京都健康長寿医療センター老化制御研究チームの石神昭人・研究副部長は「マウスの実験を人に適用できるかは疑問だ。現状では確実なことを言えるデータはない」とする。ただ、ビタミンCは健康維持に必要であるうえ、精神的なストレスなどで消費されやすいのも事実。石神さんは「放射線障害の問題とは別に、被災者はビタミンCの摂取を心がけた方がよい」とする。
 ●ペクチン
 「食物繊維の一種であるリンゴのペクチンがよい」という説はどうか。チェルノブイリ原発事故で被ばくした子供たちの治療の一環として、ウクライナの学者グループがリンゴなどに含まれるペクチン(1日2グラム)を加えた食品を18~25日間与える試験をした。ペクチンを摂取した子供たちは、比較のため偽の食品を摂取した子供たちより、体内のセシウム量が減少した。「ペクチンがセシウムと結合して排せつを促した」とされた。
 この結果を疑問視する専門家もいる。だが、ペクチンの作用を約30年間研究した田澤賢次・富山大名誉教授は「人の試験なので貴重なデータだ。水溶性ペクチンは加熱すると増えるので、電子レンジでリンゴを温め、1日1~2個食べれば効果的ではないか」と話す。ただし、ペクチンの取り過ぎは有用ミネラルを減らすため注意した方がよい。
  *
 各種のサプリメントに関する情報も多いが、動物実験が中心で、人に応用できるほど科学的根拠が確かなデータはほとんどない。島田義也・放射線医学総合研究所医療被ばく研究プロジェクトリーダーは「低線量の放射線で問題になるのはがんになる可能性だ。がんを促す喫煙、食べ過ぎ、紫外線、運動不足などに注意すれば十分だ」と強調する。
 とはいえ、健康への影響が心配で、自衛策を求める消費者は多い。石神さんは「政府がプロジェクトチームを作り、放射線障害を少なくする方法をもっと研究する必要がある」と訴える。【小島正美】

 ◆家庭でできる対策は
 ◇基本は水洗い/野菜は皮をむいて/玄米より白米

 食品を介した放射性物質の摂取を減らすため、家庭でも簡単にできる方法がある。
 まず、台所では「水洗い」が基本。ホウレンソウなどの野菜や魚を水洗いすれば、表面に付着した放射性物質は半分程度が除去できるとされる。煮れば煮汁に溶け出すのでさらに減る。ただし煮汁は捨てること。また野菜は皮をむくことも大切。ジャガイモやニンジンは皮をむけばセシウムが半分に減るという。
 セシウムがどの部位に多いかを知っておくと便利だ。米については、根からセシウムを吸い上げた場合、セシウムの約7割は茎に移り、食べる部分である白米には約7%しか移行しない。「セシウム汚染は玄米より白米の方が少ない」(畜産草地研究所)ともいわれる。
 魚は内部に放射性物質を取り込んだ場合、「内臓や骨より、身の部分に多く含まれる」(水産庁)という。ただ、魚の身には脳血管疾患の予防になるDHA(ドコサヘキサエン酸)が多く含まれており、健康維持には必要だ。
 消費生活アドバイザーの蒲生恵美さんは「放射性物質を避けようとして野菜や魚を食べないと、逆に健康にマイナスになることもある。冷静な判断が必要だ」と強調する。
毎日新聞 2011年9月13日


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東日本大震災:どうなる、食の安全/中 放射性物質、摂取わずか 

◇規制値の約50分の1/海底の魚介類、野生キノコ注意
 野菜や茶葉、牛肉などが連日、宅配便で届けられる。千葉県四街道市の食品検査会社「ハウス食品分析テクノサービス」。86年のチェルノブイリ原発事故を機に、ハウス食品が食品の安全確保のため導入した放射性物質の測定器がある。東京電力福島第1原発事故以降、全国の自治体や食品会社から続々と検査依頼が舞い込み、測定器はフル稼働だ。
 検査依頼品が届くと、担当の職員はすぐに食品を細かく刻み、専用容器に入れて、厚い鉛で覆われた測定器の内部に投入。測定データはコンピューターの画面上に表示される。
 測定時間が長いほど検出感度は上がるが、1検体30分程度で1キログラム当たり数ベクレル単位まで検出できる。前田理・分析サービス部長は「すぐに結果がほしいという依頼が多く、時間との闘いだ」と話す。
 福島原発事故が起こる前、外部からの放射性物質の検査依頼は一件もなかった。しかし、最近は東京都内の保育園や学校の給食用の食材が届くこともあり、検査希望は広がっている。
 「東都生協」(東京都世田谷区)もチェルノブイリ原発事故を機に測定器を購入したが、福島原発事故後は自ら販売している商品を連日、測定している。事故直後は微量なレベルまで測定していたため、1日4~5件が精いっぱいだった。しかし購入者から「検査数を増やしてほしい」との要望が増え、8月末から測定時間を短縮して1日当たりの検査数を2倍に増やした。
食品中の放射性物質を調べる測定器。手に持っているのは食肉のサンプル=千葉県四街道市のハウス食品分析テクノサービスで、下桐撮影 小売り現場にとっては、検査結果をどう消費者に伝えるかも課題だ。「余計な心配はかけたくない」として、国の暫定規制値を超えなければ、何も表示しないケースもある。ただ東都生協は、規制値以下でも、すべての数値を毎週ホームページ上で公表している。新谷喜久夫・安全・品質管理部長は「風評被害を防ぐためにも詳細な情報提供は重要だ」と指摘する。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
     *
 では、福島原発事故以降、私たちが食品から摂取した被ばく量の総計はどれくらいに上るのだろう。厚労省薬事・食品衛生審議会作業グループが、日本人の食品からの平均摂取量と原発事故後の食品の実態を考慮した推定値を出している。それによると、事故直後から6月末までの4カ月間で、食品から取り込んだ放射性ヨウ素とセシウムの被ばく量は、全年齢平均で0・034ミリシーベルト(小児は0・065ミリシーベルト)。この4カ月間の状態が今後も続くと仮定すると、年間被ばく量は約0・1ミリシーベルトとなる。
 この数値は、国の暫定規制値の根拠となっているセシウムの上限値(年間5ミリシーベルト)に比べ、非常に低い。食の安全問題に詳しい消費生活コンサルタントの森田満樹さんは「食品からの放射性物質の取り込み量は、予想以上に少なかった印象だ」と指摘。そのうえで「淡水魚や野生キノコなど、今も規制値を超えている例があり、検査結果には今後も目を光らせることが大切」と強調する。【下桐実雅子、小島正美】=次回は13日掲載
毎日新聞 2011年9月9日



東日本大震災:どうなる、食の安全/上 こだわりの土、汚された

◇特産モモ、規制値未満でも売れず/風評との闘い、続く
 住宅街を抜けると青々とした果樹園が広がる。JR福島駅から北約10キロの福島市飯坂町平野地区では、大粒のモモやナシが豊かに実っている。果物農家の金子清高さん(38)が一つ一つ丁寧にモモをもぎ、かごに入れていた。モモの収穫期は7月上旬から9月下旬で、例年通り忙しい日々だ。「今年は色もよく、形も整っている」と目を細める金子さん。しかし顔色はさえない。「毎年贈答用に注文してくれるお客さんから連絡が来ない。JAに運んでも価格が安くて……」
 福島県のモモの出荷量は山梨県に次ぐ全国2位で、県を代表する農産物だ。しかし3月の東京電力福島第1原発の事故を機に、原発から北西約70キロにある金子さんの農園周辺も厳しい逆風にさらされている。県による測定でモモの放射性物質が国の暫定規制値を超えたことは一度もない。しかしモモは売れないのだ。JA新ふくしまによると、例年の取引価格は1箱(5キロ)2000円程度だが、今年は1000円を下回り半値以下だ。
 福島県産などのホウレンソウが3月中旬、出荷停止となって以降、同県産の農産物の取引価格は軒並み下落した。だが、ホウレンソウの出荷停止は約3カ月後の6月中旬、警戒区域など一部を除いて解除され、野菜を巡る環境はやや改善。「モモまでは大丈夫だろう」と思ったが甘かった。既に出荷されていた福島県産の牛肉から規制値を超えるセシウムが検出され、7月19日、政府が出荷停止を指示したのだ。「売り場の商品は安全」と考えていた消費者の信頼が大きく崩れ、ちょうど出荷が始まったモモを直撃。販売をやめる量販店が出たうえ、贈答用のモモが売れなくなり、大量のモモが市場に入った結果、安値で取引されるケースが激増した。
 風評被害を抑えるのは容易ではない。金子さんは「とにかく実害を出さないよう、生産者としてできることを一生懸命やるしかない」とし、コツコツと地道な作業に取り組む。果樹園の土壌が汚染されているという根拠はないが、念には念を入れ、モモが土に触れないよう、枝を支える支柱を大幅に増やした。収穫したモモを入れる箱も地面に置かないよう気を使う。秋以降は土壌の入れ替えも検討するという。
 厳しい環境に押しつぶされそうになる生産者。しかし希望は捨てていない。JA新ふくしまなどが7月末、東京都内で実施した福島県産の農産物をPRするイベントでは、会場を訪れた消費者が「安全ですか?」ではなく、「おいしいですか?」と聞いてきたという。JA新ふくしまの集荷場責任者の一人、佐藤喜代治さん(48)は「安全を担保したうえで、おいしいものを作る。我々生産者ができることはそれ以外ない」と力を込める。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 東日本大震災後に起きた原発事故を機に、食品の放射能汚染への懸念が広がっている。一部の食品からは規制値を超える放射性物質が検出されたが、実際はどうなのか。生産地から家庭の食卓まで、食を巡る現状を探った。
毎日新聞 2011年9月8日 東京朝刊



 大震災半年:放射性物質処理 廃棄物、法の想定外 

 大量の放射性物質が放出された東京電力福島第1原発事故から半年。原発の敷地外が放射性物質で汚染され、廃棄物の処理が必要になることは法の想定外の事態だった。福島の復興は行き場のない廃棄物に妨げられ、首都圏でも処分先探しに苦労する自治体は少なくない。対策の特別措置法も施行されたが、解決への道のりは遠い。

 ◆福島
 ◇仮置き場の確保難航 井戸水の汚染、住民懸念

 福島県では、住宅や通学路などの放射線量を下げる除染を本格化させる必要に迫られる中、放射性物質を含んだ泥などの仮置き場の確保が難航している。国は「中間貯蔵施設」を県内に設ける方針だが、実現のめどは立っていない。沿岸部のがれき処理も進んでいない。
 「放射性廃棄物をずっと置いたら、地下に染み込んで井戸水が汚染されるんじゃないか」。年間被ばく線量が局地的に20ミリシーベルトを超える恐れのある「ホットスポット」が見つかった伊達市霊山町の上小国地区。自宅が特定避難勧奨地点に指定されたものの、故郷に残ることを選んだ区民会長の菅野康男さん(74)は、蛇口から流れる井戸水を不安げに見つめた。
 伊達市は全域で除染を計画している。合併前の旧5町ごとに、放射性物質のたまりやすい雨どいや庭などから取り除いた泥や草などの保管場所を探しているが、当面は住宅の敷地などに仮置きしてもらう考えだ。厚手のビニール袋に詰めて地下への影響を防ぐとの説明に、ポンプで井戸水をくみ上げて生活する住民は納得していない。菅野さんは「早く除染し、避難した若い人に戻ってきてほしいんだけど……」と複雑な表情を見せる。
 福島県は面積が全国で3番目に広く山間部が多いため、上水道普及率が92・4%と全国平均の97・5%を下回る。上小国地区のように放射性廃棄物の地下水への影響を懸念する住民は少なくない。
除染で出た放射性廃棄物の仮置き場。奥に麻袋に詰めた状態で野積みされ、土のうで囲んで放射性物質の拡散を防いでいる=福島市大波で2011年9月5日、田中裕之撮影 仮置き場確保は都市部でも悩みの種だ。福島市は複数の公有地に仮置きする計画だが、場所が決まったのは中心部から離れた大波地区だけ。民家から約180メートル離れた約7000平方メートルの市有地だ。自治会長の男性(60)は「苦渋の選択として容認しただけで、他地域の汚泥は受け入れたくない」と断言する。
 除染に伴う放射性廃棄物について、国は8月26日に「当面、市町村またはコミュニティーごとに仮置き場を持つことが現実的」とする基本方針を決定。国の原子力災害対策本部は「仮置き場が確保できない状況は聞いているが、地元で決めてもらうしかない」との立場だ。
 中間貯蔵施設も候補地や構造は具体化していない。「国は帰郷が難しい原発周辺の地域に中間貯蔵施設を押しつけるのだろう」「住民の理解を得るには相当な時間がかかる」「ゴールが見えないまま走り続けているのと同じ」。復興の最前線に立つ県や市町村の職員からは、国の対応にいらだちの声が上がる。
 放射性物質に汚染された沿岸部のがれき処理も行き詰まっている。南相馬市のがれきの総量は推計約61万トン。警戒区域などを除き、住民が生活できる地区のがれき約40万トンは9カ所に山積みされている。国はがれきの焼却灰の処理方法を8月末にようやく示したが、市職員は「がれきの量が多すぎて分別作業が進まず、焼却や処分場への運搬の見通しはたたない」と嘆く。【田中裕之、神保圭作】

 ◆千葉
 ◇焼却灰搬入、拒否拡大 炉の高性能裏目、セシウム濃縮

 大気中の放射線量が比較的高い千葉県北西部。子供を持つ母親らから「行政の対応が鈍い」と抗議を受けた各市は、公園や保育園などで草刈りなどを進めるが、草木を燃やすごみ焼却場の焼却灰の汚染濃度が急上昇する状況に陥った。
 焼却炉の性能が高いことが裏目に出る事態も起きている。性能が高いほど焼却灰の体積が小さくなるため、放射性セシウムが濃縮されるからだ。柏市の2カ所の焼却施設では、性能が高い炉は1キロあたり7万800ベクレル、低い炉は9780ベクレル。千葉県の担当者は「環境対策に積極的な施設ほど、高濃度の焼却灰を抱える。皮肉な結果です」と顔を曇らせる。
 こうした中、焼却灰の搬入先で受け入れ拒否の動きが拡大した。柏市内にある埋め立て施設の周辺住民が猛反発。最高同5万ベクレル弱の灰を再び掘り出し、清掃工場敷地内に戻す方針を表明する事態に発展した。
空きスペースが少なくなり、2段に積み重ねられて一時保管される汚染焼却灰=千葉県流山市クリーンセンターで8日午後2時半、橋口正撮影 秋田県小坂町の処分場への搬出停止が遅れ、同町に向け汚染焼却灰を搬出してしまった柏の西隣の流山市は、市長自ら搬入先を訪ね、「被害者だと思っていたが、加害者になってしまった」と謝罪した。連絡が埋め立て処分に間に合わなかった南隣の松戸市については、同町が焼却灰の受け入れ合意自体を破棄。途中駅で止まっていた両市からの焼却灰はコンテナごと送り返された。
 保管中の焼却灰は柏市で300トン、流山市で200トンを超える。流山市は施設内の空き地や駐車場に張ったテントで管理するが、9月下旬には保管スペースがなくなるため、新たな保管場所確保を迫られている。
 埋め立て可能にするには、焼却灰の汚染濃度を下げるしかない。3市は草木を分別収集して焼却しないことにしたが、草木はビニールシートをかけて市有地などに保管されたまま。担当者からは「先送りに過ぎない。秋の落葉シーズンを乗り切れるのか」との声も漏れる。3市の市長らは8月31日、森田健作知事を訪ね、「一つの市だけで対応できない」と窮状を訴えた。
 「不安に適切に対応できていないとのお叱りを受けます。大変申し訳ありません」。柏市の秋山浩保市長は1日配布の広報紙に、異例の謝罪コメントを掲載した。【早川健人、橋口正、斎藤有香】

 ◇谷間に「ダム」/コンテナで遮断--専門家提案
 政府は放射性物質で汚染されたがれきなどについて「放射性物質に汚染された恐れのある廃棄物」と位置づけ、警戒区域などを除く地域で廃棄物処理法を適用し処理することにした。「8000ベクレル以下は管理型処分場に埋め立て可能」とする考え方を示している。
 だが、処理は進んでいない。下水処理場の汚泥や焼却灰の場合、従来はセメント業者に引き取ってもらっていたが、原子炉等規制法で「放射性物質として扱う必要がない」とされる基準の1キロ当たり100ベクレル(製品段階)を超える汚泥が多い。国土交通省は「汚染の濃度を下げられればいいが、かなり難しい。自治体に処分場を確保してもらうしかないが、処分業者や住民の理解をどう得るかが課題」と話す。
 処分法について、福島県伊達市の除染アドバイザーを務める田中俊一・元原子力委員会委員長代理は、生活圏から離れた谷間にダムのような施設を作って廃棄物を入れる「管理型仮置き場」を提案する。谷底には放射性物質を吸着する鉱物のゼオライトや遮水シートを敷き、上から汚染されていない土をかけて放射線を遮断する。地下水などに放射性物質が漏れていないかを監視する態勢を取る。
 最終処分の量を減らすため、圧縮などで体積を小さくすることも考えられるが、田中さんは「分別が欠かせないため、作業員の被ばくの危険性が増す。時間もかかる」として否定的だ。
 一方、南相馬市の除染に協力する児玉龍彦・東京大教授は、汚染土壌を入れたコンテナを浅い地中に埋める「人工バリアー(障壁)型処分場」を提案している。長期の管理を見据え、児玉教授は「埋めた場所が分からなくなると掘り直しが不可能になるので、どこにコンテナを埋めたか分かるように住民への情報開示が重要」としている。【江口一、樋岡徹也、久野華代】
毎日新聞 2011年9月9日  


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ドキュメンタリー映画『沈黙の春を生きて』9月23日(土)から10月21日(金)、岩波ホールで上映

2011-09-12 10:52:02 | 市民運動/市民自治/政治
先日、『百合子、ダスヴィダーニヤ』を観てきたウイルあいちで開催の、
「あいち国際女性映画祭」でもうひとつ観たい映画があった。
坂田雅子監督の最新作ドキュメンタリー映画『沈黙の春を生きて』。
前の作品は、『花はどこへいった ベトナム戦争のことを知っていますか』。
いずれも、ベトナム戦争で米軍が使った「枯れ葉剤」の被害がテーマ。

ウイルあいちでの上映は、9月7日の土曜日で見逃してしまったけれど、
映画館では、9月23日(土)から10月21日(金)まで岩波ホールで公開上映される。

この映画について、川口恵子さんがWANに寄せている映画評、
「『沈黙の春を生きて』をめぐって」がとっても良いので、紹介したい。

  『沈黙の春を生きて』をめぐって   川口恵子 
2011年09月09日 WAN

坂田雅子監督の最新作『沈黙の春を生きて』((Living the Silent Spring)が、9月23日(土)から10月21日(金)まで、岩波ホールで、4週間限定上映される。

題名が引用しているのは、レイチェル・カーソンの名著、『沈黙の春』(1962)(原題Silent Spring)

沈黙の春 (新潮文庫) 著者/訳者:レイチェル カーソン 出版社:新潮社( 1974-02-20 )
--------------------------------------------------------------------------------
化学物質は放射能と同じように不吉な物質で

世界のあり方、そして生命そのものを変えてしまいます

いまのうちに化学薬品を規制しなければ

大きな災害を引き起こすことになります

       レイチェル・カーソン『沈黙の春』
                                   

カーソンの言葉と姿を映す資料映像が冒頭と最後に引用されるこのドキュメンタリー映画は、ベトナム戦争期に米軍が大量散布した枯葉剤が、いかに、世代を超えて、人間の身体・生命に重大な影響を及ぼし続けているかを、観客に訴える。
おもな取材対象は、アメリカとベトナムの双方にまたがる。枯葉剤散布に関わり被害を負った米軍帰還兵の二世と家族、そして、ベトナムで直接枯葉剤を散布された被害者の二世とその家族だ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(以下略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


   

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『沈黙の春を生きて』は、中日新聞や毎日新聞の記事でも取り上げられていました。

「枯れ葉剤」今なお傷痕 ドキュメンタリー映画 沈黙の春を生きて 
2011年9月5日 中日新聞

 ベトナム戦争で米軍が使った「枯れ葉剤」の影響は終戦から三十六年たった今も続いている。直接浴びたベトナム人や元従軍米兵は、がんなどの罹患(りかん)率が高く、子孫には先天性障害が多く見られる。そんな二世被害者の米国人ヘザー・バウザーさん(39)が現地を訪ねるドキュメンタリー映画「沈黙の春を生きて」が九月下旬から公開される。初来日のバウザーさんと、坂田雅子監督(63)に聞いた。 (鈴木伸幸)
 「ベトナムで多くの被害者と接した。目が不自由な子ども、知的障害があり、横になっているだけの青年。両脚が膝上までの少女…。問題を再認識する一方、私だけじゃないんだという思いを強くした」
 バウザーさんは淡々と話し始めた。右足は膝から下がなく、両手の指も多くが欠けている。父は枯れ葉剤を浴びたベトナム帰還兵。心身に不調を抱え、一九九八年に五十歳で亡くなった。
 「私が生まれる前に、母は二度も流産した。やっとの子宝だった私のことで、両親は自分たちを責め、その理由を探し求めた。行き着いたのが枯れ葉剤だった」
 米国には、二世被害者が少なくない。無毛症で子宮のない女性、臓器が腹部から体外に飛び出した状態で生まれた女性-。米政府は、枯れ葉剤を浴びた帰還兵は不十分ながらも支援している。半面、子孫の救済はごく一部にとどめ、バウザーさんを含め、ほとんどを無視している。
 昨年十月にバウザーさんが訪問したベトナムでも、被害者の援助体制には不備が目立った。米政府は責任を認めず、人道的立場から民間団体などを経由して援助しているだけ。被害者を取り巻く環境はまだ不十分だ。ベトナムには、分かっているだけで、二十八カ所の高濃度汚染地区が残り、新たな枯れ葉剤の一次被害者も生まれている。
 米国オハイオ州キャンフィールドで、枯れ葉剤被害の啓発活動をするバウザーさんは「父は私の被害を知り、『子どもまで戦争に連れて行くとは思わなかった』と漏らした。だけど、現地のベトナムでは連れて行くも、行かないもない。米政府は、枯れ葉剤被害の責任をもっと認識すべきだと思う」と話した。
     ◇
 枯れ葉剤のような合成化学物質の問題はほぼ半世紀前の六二年に予言されていた。米海洋学者レイチェル・カーソンが同年に出版した話題作「沈黙の春」には、こんな記載がある。
 「化学物質は放射能と同じように不吉な物質で、世界のあり方、そして生命そのものを変えてしまう。今のうちに規制しなければ、大きな災害を引き起こすことになる」
 坂田監督は「警告は無視され、ベトナム戦争の傷痕は、当時、生まれてさえいなかった子どもたちに国境を越えて残されてしまった」と話し、こう付け加えた。
 「警告は、福島原発の事故をも暗示しているかのようだ。米軍は当初、『枯れ葉剤は人体に無害。土壌への影響は一年限り』としていた。原発事故でも『さしあたっての健康被害はない』とよく聞く。五十年後に傷痕が残らなければいいが」
     ◇
 「沈黙の春を生きて」は坂田監督の二作目。坂田監督は、ベトナム従軍兵だった米国人の夫を枯れ葉剤の影響が疑われる肝臓がんで亡くし、この問題に関心を持った。一作目「花はどこへいった」(二〇〇七年)は、ベトナムの被害状況をまとめたドキュメンタリー。パリ国際環境映画祭特別賞などを受賞した。
 「沈黙の春を生きて」は、今月二十四日から岩波ホール(東京)で、十一月五日から名古屋シネマスコーレでそれぞれ上映予定。あいち国際女性映画祭2011でも、九月十日午前十時から、ウィルあいち(名古屋)で上映される。

<枯れ葉剤> ベトナム戦争中、ジャングルでのゲリラ戦術に苦しめられた米軍が植物を枯れさせようと散布した合成化学物質。散布は1961年から71年まで続いた。成分のダイオキシンは人体の内分泌系や遺伝子に影響。枯れ葉剤を浴びたベトナム人や元駐留米兵には、がんや糖尿病の患者が多く、その子孫に先天性障害が多いことも分かっている。 



映画:24日公開「沈黙の春を生きて」に出演した米の枯葉剤被害者が来日

 
 ベトナム戦争で米軍が散布した枯葉剤の被害を追ったドキュメンタリー映画「沈黙の春を生きて」に出演した、米帰還兵の娘ヘザー・バウザーさんが来日し、坂田雅子監督と東京都内で会見した。
 坂田監督は、米帰還兵だった夫の死をきっかけに、枯葉剤の被害者や家族を取材し「花はどこへいった」(2007年)を完成。毎日映画コンクール・ドキュメンタリー映画賞などを受賞した。本作はその続編にあたる。
 レイチェル・カーソンの名著「沈黙の春」(1962年)からタイトルを引用した理由を「50年前の警告を聞かず、50年後に被害を起こした。私たちが50年後の未来に被害を起こすかもしれず、私たちのあり方を目を開いて見ていかなければならないと思った」と説明した。
 バウザーさんは、右足の膝下と手の指が欠損して生まれた。父はPTSD(心的外傷後ストレス障害)などに苦しみ、50歳で亡くなった。今回の撮影でベトナムを初訪問し、被害者や家族と交流。「私と父の人生が破壊された場所は、怪物のような場所と想像していたが、情緒あふれる温かな人々がいた。そのことを知っただけでもはかり知れない癒やしだ」と語った。
 映画は24日から岩波ホールで公開。【長沢晴美】
毎日新聞 2011年9月5日


   

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悩みのるつぼ/病床の父をののしる私:上野千鶴子「感情の帳尻を無理に合わせないで」 /朝日ジョブラボも

2011-09-11 09:16:28 | ジェンダー/上野千鶴子
きのうの朝、部屋の中の竿に洗濯物を干していて、
8割がた干しあがったところで、梁からつりさげてあった、
ハンガーやらタオルやらをかけた4mの竿が頭の真上に落ちてきました。

ガーンという衝撃と同時に眼から火が出て、あわててアイスノンをタオルにくるんで冷やしましたが、
竿が当たったところに細長い形のたんこぶができました。
幸い相手が固すぎない竿で、髪があるところでよかったです。

落ちてきた竿は、ともちゃんが梁にくぎを打ちなおしてもとに戻し、
干しかけの洗濯物は外に出してくれて、一件落着。

そろそろ夏の間に伸びた庭の草を刈ろうと思っていたのですが、
大事をとって、家のなかでやすんでいました。

ともちゃんが畑仕事に出てしまった後、わたしがここで意識でも失って倒れていたら、
頭のたんこぶの原因が他の人にはわからないので、
「事件」になるのだろうかとちょっと心配になって、さらに頭を冷やすことにしました(笑)。

こんなことを考えたのは、鉢呂経済産業大臣が「失言で辞職」という報道を見ていたからかもしれません。
「事実はやぶのなか」って怖いですね。

ところで、昨日の朝日新聞の土曜別刷り「be」の、
「悩みのるつぼ」の回答者は上野千鶴子さん。


     

「愛も憎しみも、自分の心の中の帳尻合わせです。そして感情の帳尻というものは、合わないもの」。
「同じような思いを自分の子どもには味わわせないように」。

「父と娘」の悩み相談ですが、母を亡くしたばかりなので胸に迫りました。

病床の父をののしる私
質問者:看護師 50代

2011.9.10 朝日新聞「be」

 50代の看護師です。
 実父のことで相談します。現在要介護度4。医療機関で手厚い看護を受けています。発語もなく、面会ではどこか不思議そうな表情を見せます。
 ・・・・・・・・・(略)・・・・・・・・・・・・・・・・・
 昨年夏、父が脳梗塞(のうこうそく)で倒れ、救急車で私が勤める病院に入院しました。私は仕事の合間を見て看護しましたが、病状が悪化するにつれ、精神的、身体的に限界を感じ、父の耳元で「私が病気で苦しんでいたときに、なんであなたは一言も言葉をかけてくれなかったんだ。一生許さない」とささやき続けました。
 実父に対し、これほどまで憎む自分を情けなく思い、父の死期が迫ったときに何と声をかけたらいいかと考えると涙がとまりません。育ててくれた父親に対して、感謝以上に憎しみが充満している私に、どうか解決策をお願いします。

------------------------------------------------------------------------------------------------------------
感情の帳尻を無理に合わせないで
回答者 社会学者・上野千鶴子


 あなたは何をお望みなのでしょうか? 父から謝罪や感謝をされること? 父から愛されること? 父に復讐(ふくしゅう)すること? 父を許すこと?
 あなたが乳がんになったときに見舞いもせず心配もしなかった父。あなたはそれをうらんでいるようですが、たぶんそれだけでなく、生まれてこの方、そして結婚以来28年のあいだに、言うに言われぬがまんを重ねてこられたのでしょうね。
 あなたは「自己中」の父を許せない、と思っており、そして父を許せない自分を許せない、と責めておられるのでしょうね。
 いいんですよ、親を憎んだり、恨んだりしても。50代になるまで苦労して生きてこられたあなたには、ここには書いてないけれども、父を憎むだけのじゅうぶんな理由がおありなのでしょう。要介護の父に手厚い医療と看護を手配しておられるだけでも、子としてのつとめは果たしておられます。
 脳梗塞でも聴覚はあるとか。あなたが「一生許さない」と耳元でくりかえしたささやきは父の耳にきっと届いています。あなたはもうリベンジを果たしました。きっとそういうふうに「許せない」自分も許せない、のでしょうね。なんといじらしく、けなげな娘さんだこと。
 親の死に直面しても泣けない娘や息子はたくさんいます。親子関係は圧倒的に非対称なものです。親は自分が子どもにしたことをほとんど覚えていません。親に謝罪や感謝を求めてもムダ。愛も憎しみも、自分の心の中の帳尻合わせです。そして感情の帳尻というものは、合わないもの、と思って下さい。
 帳尻の合わない自分の感情を否定せずに、それと向きあって下さい。そして同じような思いを自分の子どもには味わわせないようにつとめてください。どんなに困った父でも、旅立ちを見送る作業を家族、とりわけ夫とともに背負い、共にのりこえた苦労の記憶と、心からの解放感を分かち合いましょう。そしてお互いによくやったね、とねぎらいましょう。この父のもとで、28年間、別れずにきた同志なのですから。
 そのうちゆっくりと感情の帳尻が合ってくることもあるでしょう。父をかわいそうなひと、と思うこともできるでしょう。そうやってひとはおとなになっていきます。その大切な過程を、夫や子どもたちと共有してください。その過程こそが子どもたちへの贈り物になるでしょうから。
題字・イラスト きたむらさとし 
(2011.9.10 朝日新聞) 



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9日の「ジョブラボ/働く女性研究所」連載の「ポスト逆転の時代」も上野千鶴子さん。
WAN上野千鶴子web研究室にアップされています。
【悩みのるつぼ】のバックナンバーも、記事の右のリンク、
「ジョブラボ」上野千鶴子さんの型破り人生相談から読むことができます。。


「ポスト逆転の時代」追いつめられても助け合わない 今の女たちへ
社会学者 上野千鶴子さん
2011.9.9 朝日新聞ジョブラボ

 男女雇用機会均等法施行から25年。この四半世紀に女性たちは、数々の変化を引き起こし、また、さまざまな変化に巻き込まれてきました。「専業主婦家庭と共働き家庭の世帯数の逆転」、「短大と4年制大学への進学者数の逆転」、「男女の飲酒量の逆転」--そんな「逆転」のニュースを念頭におきながら、ファッション、文化、芸能、社会学の専門家たちに、25年の変化を振り返っていただきます。そして、「逆転後」を生きる現代女性のこれからを見つめます。

 残念ながら、男女雇用機会均等法ができたことによって、女にとっていいことはあまりありません。ジェンダー格差はいっこうに縮小しないし、そのうえ女女格差が拡大している。家計経済研究所が、93年当時20~30代だった女性1500人を対象に始めた10年間にわたるパネル調査(『女性たちの平成不況―デフレで働き方・暮らしはどう変わったか』(日本経済新聞社、2004年)によれば、女性の収入は減少、親の収入も減り、彼女らが親に支払うお金が増えた。首都圏のパラサイトシングルが家を出るには、月収30万円が必要と言われています。パラサイトをやめたくても、家を出ていけないのが現実です。

使えない、適用できない均等法
85年から高学歴女性の雇用が拡大したのはバブル景気の効果。一部の人が均等法の効果と勘違いし、とりわけメディアは総合職を華々しくとりあげた。一握りの女性総合職に大騒ぎしすぎましたね。しかし91年になって景気が落ちこむと、均等法は女性の雇用を守れなかった。就職氷河期が来て、新卒採用での男女格差も拡大しました。
「均等法は女性の雇用を改善する政策効果がなかった」というのが専門家の共通認識です。なぜか。理由その1、法律として使えない。性差別を禁止せず、企業に解消の努力義務を課しただけだったから。法廷闘争でも「使えない」と法曹家から酷評された。罰則規定がないばかりか、紛争処理の方法も穴だらけだった。理由その2、施行後、法の適用を受けない非正規雇用者が増えた。
この25年間で、本当に注目しなければいけない”逆転”は、女性の非正規雇用率が正規雇用率を上回ったこと。90年代初めに3人に1人だった非正規雇用が、10年後には5割超しておよそ3人に2人、つまり倍増しました。これが女性の平均賃金を下げているのです。正規雇用の女性に比べ、非正規雇用の方が、結婚率も出産率も低い。ね、ポジティブなこと、全然ないでしょう?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(以下略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
続きは「朝日新聞ジョブラボ」でお読みください。 


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