今日一日、市民派議員塾の課題のレジメを読む仕事を集中してやっていたので、
ちょっと疲れています。
息抜きに雑誌などを読んでいます。
『創』の5,6月号の表紙は「テルマエ・ロマニ」、
7月号の表紙は「ヘルタースケルター」。
どちらも上映中の評判の映画です。
「テルマエ・ロマニ」は、本で読んだことがあるので映画も見たくて、
ともちゃんを誘って見に行きました。
『ヘルタースケルター』は本を読んだことはないのですが、
『創』7月号に監督の蜷川実花さんの記事が載ったのでぜひ観たいと思っていたら、
上野さんがTwitterで「「圧倒されました、1分たりとも目が離せない」とツイート。
見たい思いは募って、明日、友人といっしょに観に行くことにしています。
映画『ヘルタースケルター』公式サイト
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映画の紹介をしようとwebでサイトを検索していたら、
ちょうどサイゾーウーマンに、上野千鶴子さんと湯山玲子さんの対談がアップされていました。
わたしが観に行くのにあわせてくれたみたいで、タイムリー!(嬉)。
上野千鶴子&湯山玲子が語り尽くす! 女のための『ヘルタースケルター』論
若さ、美貌、絶望と達観……『ヘルタースケルター』が突きつける“女の十字架”
サイゾーウーマン - 2012.7.23
沢尻エリカの映画復帰作として注目されている、蜷川実花監督映画『へルタースケルター』。全身整形のトップスターが、整形の後遺症に苦しみ、次第に精神のバランスを崩していくストーリーで、その狂気的な展開や過激なセックスシーンが話題となっている。
この作品について、『ビッチの触り方』(飛鳥新社)などの著作を持つ著述家の湯山玲子氏は、Twitterで「エリカ様、マジにあの演技と存在ひとつで、少なくても10個の我がニッポンの現代女性映画が出来る可能性があるね」と大絶賛。このツイートに触発され、試写会に出席したジェンダー論の第一人者である上野千鶴子氏も「圧倒されました、1分たりとも目が離せない」とツイート。ふたりは女性として本作に何を感じたのか。大いに語ってもらった。
■誰の中にも「りりこ」はいる!
湯山玲子氏(以下、湯山) 私は、岡崎京子の原作が発表された1996年当初に読んだんですけれど、思えばその頃から、ファッションやメイクがセクシー方向も含め、もの凄くフェミニンに傾き始めたところで、一種の「女の女装」とも言える、過激さが出初めて来たところで、当時の気分とものすごく合っていると思ったんです。これを我が物語として読まない女の子はいない、と。
上野千鶴子氏(以下、上野) 当時はまだ80年代バブルの余韻が濃く残っていましたね。欲望が全開した消費社会のユーフォリア(=多幸症)的な状況と、その裏にある退廃的な雰囲気があった。その時代背景が、3.11後の2012年にどんなふうに移し代えられるのだろう、果たして現代を映し出すものになっているのかしらと危惧していたんだけど、ちゃんと「いま」を映し出していたので驚いた。
湯山 こういう視覚スタイルを目にするとすぐに、バブルっぽい、古いと言う向きがあるけれど、それはお手軽な思考停止で、この作品は、世紀を超えても金言に満ち溢れているシェイクスピアのようですよ。シェイクスピアに名台詞が満ちあふれているように、この作品にも1つ凄いセリフがある。原作ではわりとさらっと描かれているのですが、「何故神はまず若さと美しさを最初に与えそしてそれを奪うのでしょう?」というヤツ。これは古今東西すべての女が必ずや人生で格闘する十字架ですから。もちろん、この感覚は震災以降も、未来永劫続くんですよ。
上野 現代は80年代よりも平均寿命が延びた超高齢社会。人生のピークが早く来れば来るほど、あとの下り坂が延々と長い。そこにどう対処するかということは、実は誰も学んでいません。それなのに、今、女は50歳になっても60歳になっても現役を張らないといられなくなってしまった。“女”から降りられなくなったんですよ。「若さと美しさ」を求めて、誰の中にも“タイガー・リリィ(=りりこ)”がいると言っていい。タイガー・リリィのミニチュア版が日常生活に拡散して、もはや逃げ場がなくなってしまった。世の中にダイエットをしていない女はいないし、整形まではしなくてもメイクをしてない女はいない。コスメショップにはつけまつげ、ネイルなど、つくりもののキラキラがあふれている。80年代にはここまでたくさんのコスメショップはありませんでした。20年たってこうなったのかと、愕然としますね。
湯山 私、51歳になるんだけど、まだ。どっぶりとりりこの世界ですよ(笑)。ただし、私のような多くの大人の女は、りりこが破滅に向かった道ではない道を模索しようとはしていますね。一種のサバイバルの方法として、遊戯的に乗りこなして生き抜いていけないことはない、と私は思っているんですが、りりこの問題は消えてなくなるわけじゃない。
上野 若さと美貌への欲望なんてまだかわいいものですよ。人間の欲望はとめどがない。この物語の背後には、カネで寿命も健康も買いたいという政財界のお偉いさんの存在が暗示されています。それも現代では特権階級だけのものでなく、庶民の手の届くところに拡がっている。それを可能にしたのが円高。例えば、昔はアメリカで代理母を頼んだら3,000万円かかったけれど、今はインドで300万円。中国に行けば死刑囚から臓器移植手術を受けられる。何でもカネで買える消費社会の欲望が浸透した怖さを感じました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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映画評欲望に突き進む女
1990年代半ばに発表されて以来、熱い支持を集める岡崎京子の同名漫画を、蜷川実花監督が映画にした。
とにかく、沢尻エリカ演じる女主人公りりこ=写真=がいい。こんなヒロインが登場する日本映画、そうはお目にかかれない。
りりこは完璧な美貌で世間の目を楽しませる芸能界の花。だが、その容姿は無謀な全身整形で作ったもの。無理を重ねた体は悲鳴をあげ始めた。崩壊の予感、消費されすり減っていく感覚に苦しみつつ、それでも彼女は突き進む。きれいでいたい、頂点にいたいと。
りりこの望みは大抵の女が一度は夢見るもの。けれども、美を手中にするのは容易ではないと知ってお茶を濁すのが世の大勢。そんな中、誰のためでもなく、自分の欲望のためにがむしゃらに走り続ける女主人公は、それだけでりりしい。
沢尻はまさにはまり役。どきりとするようなシーンも悠然とこなす。傲岸不遜なようで実は孤独に震える女の子の顔を繊細にしのばせる。すさまじい泣き笑いを見せるシーンは圧巻だ。
写真家として美と格闘する被写体に向き合い、自身も美を求めてきた蜷川監督は、甘美で毒々しい色彩美の中で、女の夢と痛みを肯定的に映し出す。そして男性視線では描けない、きらきらでしっちゃかめっちゃか、でも、いとおしい女の冒険物語を作り上げた。
りりこの脳内風景や、彼女を消費する側の人々の描写、一部の登場人物のせりふなど、今ひとつこなれない場面も目立つが、それでも、やっぱり、あらがいがたい魅力を持つ一本だ。2時間7分。丸の内ピカデリーなど。(恩田泰子)
(2012年7月20日 読売新聞)
「ヘルタースケルター」(WOWOW、アスミック・エースなど) |
一昨日の毎日新聞夕刊にも、蜷川さんのインタビュー記事が大きく載っていました。
明日『ヘルタースケルター』を見るのが楽しみです。
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