「当事者研究」がテーマです。
毎日新聞夕刊 2013年08月20日
『べてるの家の「当事者研究」』は出てすぐに買って読んだのですが、
今年出版された他の二冊はまだ読んでないので、読んでみたいです。
読書日記:今週の筆者は社会学者・上野千鶴子さん 「当事者研究」の成長見守る 毎日新聞夕刊 2013年08月20日 *7月23日〜8月19日 ■当事者研究の研究(石原孝二編、2013年)医学書院 ■べてるの家の「当事者研究」(浦河べてるの家、2005年)医学書院 ■闘争性の福祉社会学(副田義也編、2013年)東京大学出版会 当事者研究がブームである。 「当事者研究」の名を世に知らしめた「べてるの家の『当事者研究』」が出てからおよそ8年。とうとう「当事者研究の研究」という書物が出るに至った。東京大学の哲学者や倫理学者たちが乗りだして、「当事者研究とはいったい何か?」という研究プロジェクトを組んだ。その成果に、当事者による当事者研究が加わったもの。いや、この言い方はとてもヘン。当事者研究とは当事者によるもの。専門家から研究をうばいかえすためのものだったはずだ。それが蓄積されてきて、当事者研究の名においていったい何が行われているかに、関心をもった研究者たちが、当事者研究のメタ(超)研究に乗りだしたというところだろうか。 当事者研究は「当事者」+「研究」の合成語。当事者とは「問題を抱えた人」のこと。研究とは実証的科学的な知見。問題を抱えた人が、自分で自分の問題を「研究」したとたん、これまではそれは「研究」にならない、と言われてきた。なぜなら客観的でも中立的でもないから、と。問題を抱えた人は、その問題を処理できないほど、無力で受動的な存在だと考えられてきた。それが、当事者は自分の問題の「専門家」である、という考え方が登場し、それに専門家が耳を傾けるようになったのだ。そのなかには、浦河べてるの家のように統合失調症の患者さんもいれば、発達障害の当事者もいる(綾屋紗月、熊谷晋一郎「発達障害当事者研究」・医学書院)。脳性麻痺(まひ)の当事者もいれば(熊谷晋一郎「リハビリの夜」・同)、薬物中毒の当事者もいる(上岡陽江、大嶋栄子「その後の不自由」・同)。障がい者の人たちのつくりだした障害学もあるし、不登校の経験者の語りもある。さらにはアルツハイマー症の患者さんの発言もある。 このところ次々に登場した書物の数を見ると、時ならぬブームの感を深くする。同じ出版社に偏っていると感じるひともいると思うが、さよう、当事者研究ブームには仕掛け人がいる。どんなメッセージも、ないところからそれをどう生み出すか、そしてどんなパッケージで読者に届けるか、というなかだちをする役回りがある。医学書院の編集者、白石正明さんがその名伯楽である。 当事者研究には「誰に研究の資格があるか」という問いと、「何が研究の主題として適切か」という問い、「研究とはどのようにして行うか」という方法についての問いに対する挑戦がある。副田義也編の「闘争性の福祉社会学」に収録したわたしの「『当事者』研究から『当事者研究』へ」はこの問いに答えたものだ。79歳になる編者、副田さんの、福祉を「闘争の場」ととらえる視点が若々しい。 当事者研究は学問のメニューに新しい主体と主題をつけ加えただけになるのか? それともこれまでの学問のあり方そのものをゆるがす挑戦になるのか? はたまた学問のなかのちょっとしたスパイスとして、そんなこともあったっけ、とひとつのエピソードに回収されてしまうのだろうか。自分たちのやっていることを「研究」と呼んだとたんに、学知の再生産の制度化をめぐる、ありとあらゆるお約束ごとがおしよせてくる。「ミイラ取りがミイラになる」先例はこれまでにもある。「科学的な知」とは知の中でも特殊な知の一種にすぎないのに、それはおそろしく大きな抵抗勢力として立ちはだかるだろう。 当事者研究はよちよち歩きを始めたばかりだ。その成長を見守りたい。 ============== 筆者は上野千鶴子、福地茂雄、朝吹真理子、苅部直の4氏です。 ============== ■人物略歴 ◇うえの・ちづこ 東京大名誉教授、認定NPO法人「ウィメンズアクションネットワーク」理事長。「おひとりさまの老後」など著書多数。 |
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毎日新聞夕刊の「読書日記」は、4人の執筆者が順番に書いて毎週火曜日に載ります。
6月と7月の上野千鶴子さんの読書日記も紹介します。
今週の本棚:<おんなの思想>/読書日記:社会学者・上野千鶴子さん 就職戦線 埋まらない男女の差(毎日新聞)
(2013年07月30日 みどりの一期一会)
読書日記:今週の筆者は社会学者・上野千鶴子さん 就職戦線 埋まらない男女の差 毎日新聞夕刊 2013年07月23日 *6月24日〜7月22日 ■就活生の親が今、知っておくべきこと(麓幸子著、2011年)日経プレミアシリーズ ■しあわせに働ける社会へ(竹信三恵子著、2012年)岩波ジュニア新書 ■女子のキャリア(海老原嗣生著、2012年)ちくまプリマー新書 大学生の就活開始時期が3年生の3月に延期されたという。一昔前「就職協定」があった頃には7月開始だった。それがどんどん前倒しになり、3年の秋から。2年生や3年生の夏にインターンを導入している企業もある。4年の5月にはほぼ内定をゲット。それ以降にも決まらない学生は卒業まであせりまくる、という就活の「定番」はいつからできたのか。このせいで3年後期から学生は浮足だち、内定をとればとったで学習意欲がいちじるしく低下して4年制大学の後期教育課程は崩壊の危機に直面している。 不況下で新卒内定率は依然、低いままだ。景気が上昇しても先進国では「雇用回復なき景気回復」のパターン。海外での雇用は拡大するかもしれないが、国内雇用は精選される。湯浅誠さんが「どんとこい、貧困!」(イースト・プレス)でいう「椅子取りゲーム」の椅子の数が大幅に減少していることを学生たちはよく知っているからこそ、就活に血眼になる。今でも彼らの望みは、大企業の終身雇用をゲットすることだ。 就活の学歴差、学校間格差の大きさはつとに指摘されているが、それと並んで大きいのがジェンダー差。就活戦線は男子と女子とではいちじるしく違う。 日経ウーマンの元編集長、麓幸子さんには「就活生の親が今、知っておくべきこと」がある。「母と子の444日就活戦争」と帯にある本書は、ご自分の息子さんの就活体験にもとづいて書かれたものだが、そのなかに、「女子学生とその親たちに伝えたいこと」という章がある。麓さんは本書刊行から2年後、下の娘さんの就活期を迎えて、リアルタイムで「続・母と子の就活戦争」を日経電子版でWeb連載中。読者もつい応援団の気分になる。 「雇用のカリスマ」海老原嗣生さんの「女子のキャリア」は、帯に「<男社会>のしくみ、教えます」とある。海老原さんは雇用の「一番の問題はジェンダーでしかない」と言い切る。もう1冊似たようなテーマを扱った本に、永濱利廣「男性不況」(東洋経済新報社)がある。が、この種の本にありがちな「男の職場を奪ったのは女」ととられかねないあおりがあるのは、感心しない。副題に「『男の職場』崩壊が日本を変える」とあるが、「男の職場崩壊」を招いたのは女性ではないし、かえってこれまで男性がその能力にかかわらず不当に「優遇」されてきたことを証明するようなものだろう。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(以下略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ |
読書日記:上野千鶴子さん 「コミュニケーション保障」が重要(毎日新聞)
(2013年6月26日 みどりの一期一会)
読書日記:今週の筆者は社会学者・上野千鶴子さん 「コミュニケーション保障」が重要 毎日新聞夕刊 2013年06月25日 *5月28日〜6月24日 ■わたしは目で話します(たかおまゆみ著、2013年)偕成社 ■さとし、わかるか(福島令子著、2009年)朝日新聞出版 ■声に出せないあ・か・さ・た・な(天畠大輔著、2012年)生活書院 ============== このところ、ことばと人間についてふかく考えさせられる本をいくつか、立て続けに読んだ。 筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者のたかおまゆみさんの「わたしは目で話します」。筋肉がしだいに麻痺(まひ)して動かなくなるという進行性のこわい病気だ。呼吸器をつけて声を失ったが、ベッドに寝たきりでも、文字ボードを使って話ができる。「通訳」と目と目を合わせて文字を拾う、というやりかただ。それで彼女は、本を1冊書いてしまった。49歳で発症するまで、たかおさんはドイツ語通訳と盲聾(もうろう)児教育の経験がある。いわばコミュニケーションのプロだった。見えない、聞こえない子どもにことばを教えるということ……。ヘレン・ケラーがwater!と叫んだとき、彼女の世界にいっきょに光が差しこんだように、たかおさんは「言葉が人間を人間にする」という。そういえば、盲聾の多重障がいを持つ初の東大教授、福島智さんは、指点字というまったくユニークなコミュニケーションの方法を子ども時代にお母さんと考え出した。その感動的ないきさつは、母、福島令子さんの「さとし、わかるか」に描かれている。福島さん自身の「盲ろう者として生きて」(明石書店)という著書もある。 障がいのあるひとにさまざまな支援が提供されているが、ただ食べて寝てという生存保障だけではじゅうぶんではない。人間は他者との「あいだ」に生きている。それならひととひとをつなぐ「コミュニケーション保障」は不可欠ではないか。最近ようやく定着してきたメディアやイベントにおける情報保障や緊急時の伝達保障にとどまらない。それは、自分が自分であるための、たかおさんのことばを借りれば「人間が人間である」ための必須の条件だからだ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(以下略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ |
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