常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

川の辺

2013年12月06日 | 論語


生家のすぐ裏に石狩川の流れがあった。もうこの川を近くで見なくなって60年近くもなるのに、川の景観はありありと目の裏に浮かんでくる。川は蛇行して西から南へと流れていくのだが、流れの先にはまだ見ぬ街や未来があるように感じた。対岸にある人家は隣村であるのに全くの異界で、別世界の人が住んでいるような錯覚を感じた。ある夏休みに減水した川を対岸に渡ろうとした小学生が流れに掬われて溺死する事故が起きた。洪水の恐怖が流域の人を翻弄したことも、川の記憶の大きな比重を占める。それは治水も橋もなく、交通の便さえない時代の記憶でもある。

『論語』子罕篇に
「子、川の上に在りて曰く、逝く者は斯くの如きか昼夜を舎かず、と。」

宮崎市定の現代語訳では、「孔子が川の流れを見つめながら言った。時間の過ぎるのは、この水の流れのようなものだ。昼と夜とを問わぬ。」時間の過ぎることは、人の生命の同義語でもある。人生や社会の事象も、時々刻々、流れ流れて止まることをしない。

川の流れに目をやると、人は慨嘆の念を抱くらしい。孔子がこの言葉を吐いたのは、自説を説きながら広い中国の諸国を放浪しながら、どの国にも迎えられず、「喪家の犬」のように疲れきったあげくに目にした川の辺であったらしい。

わが国の『伊勢物語』にも「行く水と過ぐるよはひと散る花と、いずれ待ててふことを聞くらん」というくだりもみえ、川の流れに生命の行く先を喩えた例は古今東西を問わない。

頼山陽の13歳のときに詠んだ詩に

十有三の春秋
逝く者はすでに水のごとし

の起句は、孔子のこの言葉をさりげなく取り込んで見せ、結句で命あるうちに歴史に名を残す人間になることを誓う壮大な構想の詩である。
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