蜜柑は冬の風物詩である。ストーブで暖をとりながら蜜柑の皮を剥いて、白い筋からひと房をとって味わう味は忘れることができない。この冬も親戚から蜜柑が箱で送られてきた。食べ物が余っている今日ではあるが、この蜜柑の香りは昔の格別な味である。
芥川龍之介の短編に『蜜柑』がある。この話を語る私は、横須賀で上り列車の2等客車の隅に腰を下していた。すると13、4歳の小娘が私の前に座る。列車が発車してまもなく、娘はしきりに窓を開けようとする。なかなか開かなかったが、トンネルの中で窓が開く。開けた窓から入ってきた煙が顔に当たり、私は息をつけないほどに咳き込んでしまう。やがて列車は町外れの踏み切りにさしかかった。
「その瞬間である。窓から半身を乗り出していた例の娘が、あの霜焼けの手をつとのばして、勢いよく左右に振ったと思うと、忽ち心を躍らすばかり暖かな日の色に染まっている蜜柑が凡そ五つ六つ、汽車を見送る子供たちのうえにぱらぱらと空から降ってきた。私は思わず息を呑んだ。そうして刹那に一切を了解した。小娘は、恐らくはこれから奉公先へ赴こうとしている小娘は、その懐に蔵していた幾顆の蜜柑を窓から投げて、わざわざ踏切まで見送りに来た弟たちの労に報いたのである。」
蜜柑の消費が減っているという。スイーツなど、間食に向く食べ物の種類が多くなったせいかも知れない。蜜柑をめぐる光景は、やはり昭和の時代の匂いがしみついているような気がする。