常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

小野道風

2013年12月27日 | 


日本の三跡として知られる小野道風は996年(康保3)のきょう没している。文字を書くことを芸術のジャンルとしたのは、漢字の国中国であるが、そのなかでも王羲之の存在は大きい。日本でも最澄が王羲之の書を持ち帰り、ながく書の手本となったが、この書を下敷きにして和風のやわらかい和様のスタイルを作ったのが小野道風である。

道風の柳に蛙の逸話は有名である。道風は自らの書の道に行き詰まりを感じ悩んでいた。もう書の道を捨てようかと思った。ある日川原の柳の下を歩いていると、蛙が垂れ下がった柳の枝へ飛びつこうとして跳躍している。蛙からは高くて届きそうないのに何度も飛びついている。「ばかな蛙だな」道風がつぶやいた。突然、つよい風が吹いて枝が大きく揺れた。蛙はこの偶然を捉えてみごとに枝に飛び移った。

道風は一瞬己の至らなさに気づいた。「ばかなのは蛙ではなくこの俺だ。蛙は努力をして偶然をものにしたのに、この俺はその努力さえしていない。」この日以来、道風は人が変わったように書に打ち込み、ついに書の達人になった。藤原佐理、藤原行成とあわせて書の三跡と称された。行成が中国の処方に忠実だったが、道風が開いた新風はやがて日本の書の主流となっていった。

今年、日展の書の入賞について不正が暴露された。日本には日展に出品する書家が多く、その裾野の広さは、道風がひらいた書法にあるのかもしれない。地下に眠る道風は、今日の日展の事態を見て何を思うのであろうか。
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