中国の三国時代、紀元3世紀だが、呉の国に孟宗という秀才がいた。後に中国の二十四孝のひとりとされる親孝行ものであった。中国の儒教では孝行は人間の大きな徳目とされ、『二十四孝』という書物で24人の孝行者の物語を著してその行動を称揚した。
孟宗の母はしっかりもので、父が早くに亡くなったが、孟宗の教育に熱心であった。南陽で李粛という先生について学ぶことになった。そのとき母は大きな蒲団を作って孟宗に持たせた。母はその蒲団に同じような境遇の学生を泊め、切磋琢磨する友達を作るように勧めた。孟宗は母の期待に応え、夜寝るのも惜しんで書を読み、勉学に励んだ。李粛も孟宗の努力を見て将来を出世を保障した。
孟宗は出世し、軍吏から司馬、県令の地位についた。だが母は年をとって病を得、床に着いた。食事も喉を通らず、痩せていく一方であった。冬、庭に雪が積もったが、病で頭も働かなくなった母がたけのこが食べたいと言った。こんな冬にたけのこなどあるはずもないが、孟宗は庭の竹林に出てたけのこを探した。孟宗がどうかたけのこを母のために恵み給えと祈ると、突然庭の雪が消え、たけのこがあちこちに頭を出した。よろこんだ孟宗は、たけのこを調理して母に饗した。みるみる母の病も癒え天寿を全うした。天が孝行息子に奇跡をもたらした話としてその後長く語り継がれている。
孟宗竹というは、この故事に由来したものだ。「師走たけのこ、寒なすび」とは時期はずれの食べ物のという意味だが得がたい珍味の意味もある。落語でも「二十四孝」という題でこの話があるが、落ちは母がもっと欲しいと言うと、「もうそうはない」となっている。