信州そばは全国的に知られているが、山形そばがおいしいことは意外に知られていない。だが、口コミで隣県の仙台から山形のそばを食べに来る人が増えてきた。大都市の仙台に住む人には手打ちのそばはもぎたての果物と同じで魅力があるらしい。そばを栽培している田舎で出すそば屋では、日曜日の昼どきなど順番待ちの長い列ができ整理券をだして客を捌く店も多くある。
そばを打つ音も馳走の数に入り 川柳
旅籠町に羽前屋というそば店がある。昔、山形にきたばかりの頃、旅篭町に住む友人がいて家に遊びに行ったとき、羽前屋からシナそばを取ってご馳走になったことがある。もう50年も前のことだから、老舗の店である。会社に勤めていたころは、店が近かったから昼はここの盛りそばを出前に頼んでいた。晩秋になると「新そばを食べる会」を客を集めて食べさせてくれる催しがあった。そこで食べる新そばは年に一度の懐かしい味だ。
数年ぶりでこの店で板そばを食べたが、そばの甘味が新そばを思わせおいしかった。当時の店の主人夫婦や出前の番頭さんも元気な様子だった。この店のそばは太打ちでいわゆる田舎そばだ。私は食べ応えのある田舎そば好きだが、江戸前の細打ちの店もある。
ぶつかけがよいと花嫁言ひかねる 川柳
関西はうどん、関東はそばとよくいわれる。江戸が開けた時代には武士のえらいさんには関西出身者が多くうどんが人気があった。そばは、「貴人には食う者なし」と言われた。そばが普及しだしたのは、そば切りが出て、細打ちの麺を汁につけて食べるようなってからで、そばにだし汁をかけるカケそばは、品が悪い食べ物と見られていた。
山形のそば職人が東京で修行して店を開いたのが萬盛庵である。この店が毎月開く「そばを食う会」は長く山形の名物であった。残念ながらこの店は後継者がなく数年前に閉店した。すし屋で繁盛した「いながわ屋」も同じく後継者がなく閉店した。惜しい限りである。