昨日、美しい夕日が見られたが、今日は一転して雪になった。昭和の時代には、寒い朝手や足にしもやけに悩む人が多かった。ひどくなると、ひび割れやあかぎれになって歩行が困難になることもあった。今朝の新聞を見ると、今の肌の悩みは乾燥肌であるという。保湿や肌のケアの必要性を指摘してあったが、昭和の貧しい時代のしもやけは、子供たちや女性の悩みの比ではない。
昭和の時代だけではない。日本の冬は昔から人を悩ませてきた。ものの本によると、大御所と言われた徳川家康の足がアカギレだらけであったという話がある。加賀百万石の前田利家の孫が、一種の人質として江戸城に置かれていた。ある年の冬、寒い朝、廊下で家康が来るのを見て平伏してかしこまっていると、家康は気軽に、「おう、おう、お前のお祖父さんにそっくりじゃ。頼もしいのう」と声をかけた。
「ははぁ」と利常は答えたが、目は家康の足に釘付けになった。寒中に素足である。足中にヒビ、アカギレだらけで所々に血が滲んでいる。あまりに驚いた利常は、このことを日記に書いた。豊臣を滅ぼし、天下に号令をかけた家康であったが、その生活は質素をきわめていた。ひとつのものを大事に使った。けして捨てたりはしない。硯でも筆でも、家康が使ったものが残っている。
家康は信長や秀吉と違って、3歳で生みの母と別れ、6歳で人質になり、8歳で父が家臣に殺されるという悲惨な少年時代を送った。この哀れな領主をもった家臣団の苦労は筆舌に尽くすことができない苦労があった。領主を一人前にせねばという家臣たちの苦労と団結心は、戦国時代に抜きん出たものであった。徳川幕府が続いていくバックボーンには、勝っても驕らない家康や家臣団の苦しい時代を耐え抜いた精神の強さにあった。