常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

寒露

2014年10月03日 | 漢詩


残暑のない今年の秋は、一気に進んでいく。台風18号が成長しながら、日本列島の南岸へコース取りつつある。この台風が過ぎれば、秋は一段と深まっていくらしい。10月8日は24節気の寒露である。「雀海に入りて蛤となる」という信じがたい言い方が暦にある。空を飛ぶ雀は陽の生物が、陽気が陽から陰に変わる季節に、陰の蛤に姿を変えるという俗信である。羽と殻の色調と斑点がどことなく似ているからこんなことが信じられたのかも知れない。

中唐の詩人韋応物の詩に「秋夜寄丘二十二員外」というのがある。丘二十二は丘家の兄弟、いとこなどを年齢順に示した呼称である。員外は役所。働き先と兄弟の順番で名前を呼ばれる。員外朗で働く、丘の22番目。不思議な呼び方だが、実際にこうした呼び方行われたのである。

懐君属秋夜 君を懐うて秋夜に属す、

散歩詠涼天 散歩して涼天に詠ず。

山空松子落 山空しうして松子落つ、

幽人応未眠 幽人応に未だ眠らざるべし

君と幽人は丘二十二を指している。幽人と呼ぶことで、丘二十二が浮世を捨て、人のいない山に隠棲していることを示している。詩人は秋の夜、丘二十二君を思いながら秋の夜、涼しい夜風に吹かれながら、詩を詠じている。君の住む、人けのない山中では、松かさの落ちる音に、起きて耳をそばだてていることだろう。

この詩には井伏鱒二の名訳がある。そちらを読みながら詩の深さを読みとって欲しい。

ケンチコヒシヤヨサムノバンニ

アチラコチラデブンガクカタル

サビシイ庭ニマツカサオチテ

トテモオマエハ寝ニクウゴザロ

井伏は丘二十二に代わりにケンチを出した。これは文学仲間の友人であった。友人とは文学談義に興じ、別れた後の眠られない夜が詠まれているが、原作の舞台を日本の文壇に置き換えて
詩を自由に意訳している。

日記・雑談 ブログランキングへ


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

稲刈り

2014年10月03日 | 読書


今年、山形の稲のできはやや良である。稲刈りを迎えた田んぼから、喜びの様子が伝わってこないのは、背景に米あまりという現象がある。米の値段が下がっているのだ。消費者にとっては安いのに越したことはないが、米を作っている農家には痛手である。米の消費量が減っているという。コンビニでお握りを買って食べる人は増えているようだが、家庭での米の消費は減少の一途だ。

昭和の30年代、稲刈りはひとつの祝祭であった。米農家では収穫を祝って刈上げ餅を振舞った。採れ立てのもち米をでつく餅は、この時期にしか味わうことのできない喜びの味であった。有吉佐和子に『紀ノ川』という小説がある。農家に嫁いだ花が、秋の田んぼの情景を見つめる場面がある。

「強い陽射しに稲の穂は豊かに芳香を放っていた。花は香道では香を嗅ぐいわず聞くというのを思い出して、ああ秋の匂いが聞こえてくる、本当に聞こえてくると思った。九度山育ち、あとは和歌山市しか知らない花が嫁に来た六十谷は桑畑と水田の郷で、もう六度目の秋なのに花にはその都度稔りの季節が新鮮に胸を打つ。匂いが聞こえてくるのは、田に収穫の新しい歓喜が溢れているからであった。」

有吉佐和子が描いたこんな農村の情景は、もう取り戻すことはできないのであろうか。肥満や成人病の予防のために、炭水化物の摂取をやめる減量法がさかんだ。昭和の30年代には、肥満や糖尿病の人はほとんどいなかった。米の消費量が最も多かった時代である。米を目の敵にするような昨今の風潮はほとんど根拠のないものように思える。米を外国に売るという動きもあるようだが、その前に日本人自身がもっと米を食べるべきである。


本・書籍 ブログランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする