枕草子で清少納言が秋を代表する景色に選んだのは、秋草の乱れ咲くさまではない。まして木々の紅葉でもなく、さびしい夕暮れである。
「秋は夕暮。夕日のさして山のはいとちかうなりたるに、からすのねどころへ行くとて、みつよつ、またふたつみつなどとびいそぐさへあはれなり。かいて雁などのつらねたるが、いとちひさくみゆるはいとおかし。日入りはてて、風の音むしのねなど、はたいふべきにあらず」
このごろ鴉は、よつみつ、ふたつどころではなく、出勤帰りの人波のように塒へと帰る。清少納言のころ、空の様子は秋の気配が、しんみりとおもむきがあり、人に語りかけるものがあったのであろう。
春は宵、夏は夜、冬はつとめて(早朝)と、清少納言が自分の視点で選び出したものである。他の人が考えているものとは一味違っている。秋の夕暮れは、すぐに夜寒がつづいてくる。黄ばんだ太陽が落ちたあとは、急に風の音や虫の音が、ひとしお秋のわびしさをかきたてる。そこがしみじみとして捨てがたいおもわれるのもこの季節なればこそであろう。
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