常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

高井几董

2014年10月24日 | 


高井几董といっても、もう知っている人はあまりいないかも知れない。天明期の俳人で、与謝蕪村の弟子で、蕪村の死後第三世夜半亭を継いだ。蕪村は蕉門の宝井其角を尊敬しその俳句を学んだが、同じように几董も其角を慕うことは師以上であった。

新月に蕎麦うつ草の庵かな 几董

几董の俳句に向かう姿勢はあくまでもひたむきであった。自身が書いた俳書のなかで言っている。「人の選んだ句集や附け句などを見るにも、ぞんざいに見ただけでくだらないなどといい棄てるのは大変心なき業だ。自分が如何に句作に骨折ろうと、それは他人には解らないのであるから、人のものも、その撰者作者の心持になってよきもあしも見まほしいものではないかと、昔のひとも申された。」

冬木立骨髄に入る夜かな 几董

この句をどう読むであろうか。寒さのなかに立ち尽す木立が、ずしんと骨身に響いてくる。寛政元年の10月23日、几董は世を去った。享年49歳。句作は刻苦に刻苦をかさね、工夫に工夫を積んでいった。それは几董の生き方そのもであった。


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衣被ぎ(きぬかつぎ)

2014年10月24日 | 農作業


ことしの里芋の収穫が終わった。苗を10本植えて、どれもそこそこの収穫があったから、とりあえずよしとしよう。ヨガの仲間に芋煮にしてふるまい、子どもたちにも送って好評であった。里芋は皮をむくのに手数がかかるが、皮付きのまま煮たものを衣被ぎ(きぬかつぎ)という。十五夜の名月にススキと一緒の供えるのが、かっての日本の風習であった。川柳に、芋を詠んだ面白い句がたくさんある。

重箱の隅でとどめを芋刺され

煮ころがしの芋はぬるぬるとして、箸に持つのがむつかしい。そこで、重箱の隅に追いやって箸にブスリと刺したところである。里芋は江戸庶民の食卓を賑わした食材だが、近郷でおいしい芋がたくさんとれた。しかも安価であった。米が一升百文したが、芋は同じ量で16文、立ち食いのかけそば一杯分である。

子は先へかたづく芋のにころばし

里芋は親芋の先にぶらさがるように小芋をつけるが、小芋はきめがこまやかで、口当たりがよいので好まれた。そのため煮ころがしにすると、小芋のほうから先に食べられてしまうのだ。とくに江戸の女房衆に好まれたのが里芋だ。女房の好きな食い物御三家は、「イモ・タコ・ナンキン」である。イモはその筆頭格で、ナンキンはカボチャのことである。

遠きをおもんぱかり芋嫁食べず

繊維質の多い里芋は、腹にたまる。満腹してでるものはところかまわず。それを恐れた新妻は、大好物のイモに箸をのばしかねている。若い嫁のういういしさである。


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