高井几董
2014年10月24日 | 人
高井几董といっても、もう知っている人はあまりいないかも知れない。天明期の俳人で、与謝蕪村の弟子で、蕪村の死後第三世夜半亭を継いだ。蕪村は蕉門の宝井其角を尊敬しその俳句を学んだが、同じように几董も其角を慕うことは師以上であった。
新月に蕎麦うつ草の庵かな 几董
几董の俳句に向かう姿勢はあくまでもひたむきであった。自身が書いた俳書のなかで言っている。「人の選んだ句集や附け句などを見るにも、ぞんざいに見ただけでくだらないなどといい棄てるのは大変心なき業だ。自分が如何に句作に骨折ろうと、それは他人には解らないのであるから、人のものも、その撰者作者の心持になってよきもあしも見まほしいものではないかと、昔のひとも申された。」
冬木立骨髄に入る夜かな 几董
この句をどう読むであろうか。寒さのなかに立ち尽す木立が、ずしんと骨身に響いてくる。寛政元年の10月23日、几董は世を去った。享年49歳。句作は刻苦に刻苦をかさね、工夫に工夫を積んでいった。それは几董の生き方そのもであった。
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