常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

蜜柑

2016年12月26日 | 日記


沼津の兄から蜜柑が届いた。今年は蜜柑の豊作と見えて色艶、甘味も申し分ない。これからお正月にかけてテレビの前で、蜜柑を剥きながらゆくっりと過ごせる。やはり日本人には、昔から馴染んできた果物である。北国に住んでいるので、柑橘類が樹になる様子は見ないので、それが生る土地にいくとやはり目を奪われる。夏ミカンなど、あの大きな実が枝いっぱいに生っているのを見ると感動を覚える。知人に鉢植えの好きな人がいて、冬も蜜柑の鉢を部屋の中に置いて育てると実をつける。だが、悲しいことに北国で生った蜜柑は酸っぱくておいしくない。

蜜柑あまし冬来ぬといふおもひ濃く 中島 斌雄

蜜柑は日本人にとって懐かしい冬の色である。瀬戸内海の日差しをいっぱいに浴びて、この照り輝く色が作られた。永井龍男に『蜜柑』という好短編がある。

「蜜柑の箱を山積みした三輪車が風にあおられて横倒しになっていた。男が二人、木箱の中へしきりにそれを拾い集めている。蜜柑を積んだ三輪車は、砂の上で手もなくスリップしたものに違いない。左手に続く松林と、右にひろがる風波立った海と、その道路上に日を浴びた一果一果が、とにかく素晴らしく明るかった。」

この蜜柑の明るい色は、いわゆる表日本の海岸で日を青空と海からの照り返しの両方を受けたものだ。北の山の陰には見られない。それ故に渇望する色である。
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山の表情

2016年12月25日 | 日記


麓からくっきりと山が見える日、山はその表情を時々刻々と変えていく。太陽の位置、雲が太陽にかかっているか、山の上の雲、などの条件により目まぐるしく表情を変える。崩落した山肌、尾根の形状、沢の深さ、尾根道の広狭などが手に取るように分かる。まして歩いたことのある尾根道に潜んでいる危険個所を思い出し見て飽きることがない。しかし、山中で見る雪景色と、家の窓から見る景色では決定的な差がある。山中では雪そのもの粒子が確認できる。そのために、外気温によって雪のきめこまやかさの違いまで分かる。スキーを楽しむ人のそうだろうが、やはり雪の美しさは手に触れてみて初めて分かる。

雪嶺の光や風をつらぬきて 相馬 遷子

朝起きてすぐに眺める瀧山は、昨日の蔵王の積雪の情報をもたらしてくれる。いつも見るのは山の西側だが、この山は裏側の見えない東斜面にもたっぷり雪を蓄える。何故ならその向こうに2000m級の蔵王山を控えているからだ。一昨年、この裏側から瀧山の尾根に上がった。吹き溜まりの深い雪にカンジキを突き刺すのは容易ではなかった。先ず膝で雪の端を崩して、その後へカンジキを下ろす。普通30分ほどで行くところを、1時間半もかかった。しかし、その場所で見る雪のなかの山には神々しい美しさがあった。

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クリスマス

2016年12月24日 | 日記


今日はクリスマス・イブ。子どもたちがいた頃はクリスマス・ツリーを飾り、ケーキを食べるのが定番であったが、二人暮らしになってからは何もしない。テレビからは「きよしこの夜」のメロディーが流れてくるので、コンビニからモモ焼きを買ってきて、一杯飲みたくなる気持ちになる。偏西風に乘って黄砂が飛来したり、湿度が多くて霧が出たりすることも多く山入端がすっきり見えることはあまりない。今日は前線が抜けていったせいか、空気が透明になった。西山に陽があたってくっきりと見える。こんな景色を見るだけで、心を洗われるような気がする。

ふかぶかと眠る山みな無名なり 堀口 星眠

安くなったし、娘や孫たちと無料のラインができるだけでいい、と思って買ったスマホだが、いじっているとだんだん楽しくなる。ラインの友達も5名に増えた。次々とアプリのインストールの案内が出るので、あれも、これもと全部で70ばかりになった。そのうちで気に入ったのがワンノートだ。気になる記事や話題があると、題名を付けてキーワードだけ書き込んでおく。いつもはすぐ忘れてしまうことも、このノートを開けば記憶が甦る。もの忘れがひどくなってきている私には、歩行の際の杖のような存在になった。

余りにもアプリを入れ過ぎて、スマホが不安定になってきた。サービスセンターに相談すると、スマホのリセットをすすめられた。必要なものをバックアップして、思い切ってリセットを行った。この際、使わないアプリも思い切ってアンインストール。スマホは見違えるように快適な操作性を回復した。
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2016年12月23日 | 斉藤茂吉


虹といえば夕立の後などにでるものだが、冬至過ぎに見えるのは珍しい。気温が高く12月にはとは思えない気候だ。朝起きると、サッシの戸をを鳴らす強風が吹いていた。この虹はさしづめ、気候の変わる前触れなのだろうか。予報では今の前線が過ぎると、寒気が入って12月らしい天気になるらしい。山添や北日本では大雪の予報も出ている。

虹と言えば、斎藤茂吉の歌が思い浮かぶ。疎開して迎えた昭和22年大石田の最上川の辺で詠んだものである。この歌は今年の山形岳風会で大石田に住む子どもたちが朗詠した。

最上川の上空にして残れるはいまだうつくしき虹の断片 茂吉

昭和21年3月雪深い大石田で茂吉は風邪を引き、こじらせて肋膜炎を引き起こした。それから三月以上も病床に着く。敗戦によるショックに加え、この病気は茂吉に身体の衰えを実感させるできごとであった。しかしここで詠んだ歌は歌集『白き山』に収められたが、心を打つ秀詠が多くある。

最上川の流のうへに浮び行け行方なきわれのこころの貧困 茂吉

この歌は病が言えて岸辺に桟俵を敷いて坐りじっと最上川を眺める茂吉の姿が目に浮かぶ。その心情をあますところなく歌に表現している。
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濃霧

2016年12月22日 | 日記


ここ三日ほど濃霧の日が続いている。湿気が多いときに地面が冷やされると霧が発生するらしい。川霧は川の温度より大気が冷えれば水蒸気が出て霧になることは冬でもよくあるが、12月も冬至のころにこんな濃霧になるのは珍しい。どなたかのブログで見たが、市街がこんな濃霧に包まれていると、蔵王などの高地から街を見ると見事な雲海が広がっていた。きょうも、高いところでは雲海が見えるだろうか。

今朝のテレビで『えんとつ町のプペル』という絵本が紹介されていた。西野亮廣さんが著者になっているが、チームで絵本を完成させる新しい手法の絵本が注目を集め、23万部ものベストセラーの絵本だということであった。絵本のクライマックスがアニメになって放映された。プペルの父が船にたくさんの風船をつけて、「行こう!」と言った「どこへ?」とプペル。「星を見に行くんだ。」プペルも風船をつけるのを手伝う。やがて風船の浮力で二人が乗った風船は上昇を始めた。そして霧のような煙にぽっかりと穴が開いているのが見えた。風も強くなった。「プペル
目を離すな。星が見えるぞ。」

船は穴を通り抜けて、霧の上に出る。そこには目も鮮やかな星空が広がっていた。絵本とはいえ、こんな鮮やかな星空をどうやって描き上げたのだろうかと思うほどの美しさであった。プペルは、父は嘘をつかないと思った、というところで絵本の紹介は終わった。外に目を転じると、一面の霧が街を覆っている。霧の上には今は夜ではないので、鮮やかな青空と太陽が微笑んでいる筈だ。
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