ねことわたしのやわらかな日々

17年一緒に暮らした愛猫を亡くしましたが、日々のささやかな幸せを、
手のひらで温めて暮らしています。

伝えられたこと

2009年12月12日 21時59分00秒 | 家族
フランス語も第九も一段落し、地上に戻ってきたので
今日は朝から、1ヶ月半ぶりに実家の父母の元へ。
故郷の山々は、すっかり初冬の装い。

父の病室では、みなさんお休み中だったので
これまで照れくさくて言えずにいた、
たくさんの感謝の言葉を、ようやく父に。
「あーりあーとなあー(ありがとうなあ)」と
ひとことずつ搾り出すように言いながら涙する父。
伝えられて、良かった。
伝えるのに間に合って、良かった。

家計が一番苦しい時に、私立の大学に行かせてくれた親。
大反対しながらも、結局アメリカ留学までさせてくれた親。
経済的に裕福ではなくても、愛情には不自由なく育てられたから
わたしは、自分も人も人生も愛も、信じられる人間になれた。
そのことへの感謝を、これまで言葉に出来ずにいたから。

(実家の近くで咲いていた、寒椿)
遠く離れて暮らすわたしには
恩に報いようにも、実際出来ることはほんのわずか。
でも例えわずかでも、出来ることをしていかないと
自分が悔いを残すことになりそうで。

実際にこうして、実家に足を運ぶこともそうだけど、
街で見かけるお年寄りに、前より親切にするようになったかも。
電車で席を譲れば、誰かがどこかで母に席を譲ってくれそうで。
階段で苦労しているお年寄りの荷物を持ってあげれば、
誰かがどこかで、親に手を貸してくれる気がして。
情けはひとのためならず作戦、というか
ペイ・フォワード作戦、というか・・・
それは結局、祈りのようなものでしかないけれども。

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続・小さな声でも

2009年12月10日 16時42分00秒 | 健康・癒し
先日の、漢方の保険適用除外案に反対する署名には
多くの方がご協力下さって、ありがとうございました。
職場の同僚やそのご家族、友人の皆さん、家族など、
わたしのまわりだけでも、十数名のご協力を頂いて。

頂いた署名をファックスしようとしても常時通話中で、
結局、昼や夜は諦め、早朝6時にやっと流れたものの、
それが、イライラするところどころか、
それだけ署名が殺到していることがありがたくて。



その反響の大きさに、最終的な署名の締め切りが
12日の23時59分まで延長されることになりました。
もし署名に間に合わなかった方がいらっしゃったら
ぜひこちらのサイトから、電子署名頂ければ幸いです。

かつて、中曽根元首相が鳩山氏に向かって
「政治は形容詞ではなく、動詞でやるものだ」と
注文をつけたという話は有名ですが、
わずか1週間足らずで27万人の署名が集まり、
今なお、続々と署名が寄せられていることの意味を
形容詞ではなく、ちゃんと動詞で受けとめ、
動詞で応えていただけることを、願ってやみません。

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地上に戻る前に

2009年12月09日 13時43分00秒 | 生活
第九が終わってしまってからというもの、
魂が天上に行ってしまったっきり、帰って来ないみたいで。
頭の中では、いつも第九のメロディーが次々と流れ、
抜け殻になった体が、日常生活に戻った「ふり」はしていても
魂が戻ってこないだけに、ただならぬボケっぷり。

JRの駅の自動改札に、携帯電話を当ててたり、
逆に、マンションの玄関のオートロックに
JRの磁気定期を当てて、開くのを待ってたり、
もう7年も勤めている職場の、押して入るドアを、
どういうわけか、引いて入ろうとしたり。
お茶を淹れたつもりが、お茶葉を入れ忘れてたり。
エレベータに乗って、行き先ボタンを押し忘れて、
そのままぼんやり、乗り続けていたり。
朝食のトーストにバターを塗ろうと冷蔵庫を開けて、
なぜだか、お味噌を出していたり。

わたしをご存知なら、普通やんと思うだろうけれど
それ全部を、ここ2日ほどでやってるというのが
いつものわたしとは、ちょっと違うところ。
第九ボケというのか、燃え尽き症候群というのか。


(イルミネーションで飾られた、大阪城ホールのエントランス)

燃え尽きて、灰になってしまったのは確かなんだけど、
夢のような幸福感の中を、無重力で浮遊しているような、
なんともしあわせな、そんな灰。

でもここらでちゃんと、地上に戻ってこなければ、
人間として、危険な域に入ってしまいそうで。

地上に戻る前に、第九についてのお知らせを2つほど。
まず、「1万人の第九」の特別番組が毎日放送系列で
今月の23日(祝)16時から17時に放映予定とのこと。
第九の映像はサワリ程度だろうけど、良ければ観て下さいね。
それから「1万人の第九」の英語版ドキュメンタリーが、
今年の国際エミー賞や、ワールドメディア・フェスティバル、
アメリカ国際映像フェスティバルなどで入賞したのだとか。
どんな作品なのか、わたしも観てみたいなあ。

さてと、そろそろ覚悟を決めて地上に戻り、
仕事も私生活も、年末の追い込みに励まなければ。

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一万本の花束

2009年12月06日 21時17分00秒 | 音楽・アート
1年間、待ちに待った「1万人の第九」本番の朝は
少し肌寒いものの、清々しく晴れわたる青い空。
わたしも6時に起きて、歓喜の舞台となる会場へ。



午前中のリハーサルは、昨日よりも更に一体感が増し、
本番はそれより更に、ひとつになった感じで、
何かを突き抜けたような、胸が震えるような手ごたえ。
わたしも臨戦態勢の形相だったところも、笑顔で歌えたし、
歌の意味も、かみしめながら歌えるようにもなれた。

改善の余地は、まだ数えられないくらいあるけれど、
それはまた、来年以降の課題に取っておくとして。
一生懸命わたしなりに、2年目に咲かせられた小さな花。
そのことが嬉しく、そして、ただただ幸せ。

マッキーの歌に泣き、第九の感動に泣き、
隣で泣いている友達につられて、また泣き、
完全燃焼のよろこびの余韻は、今も胸に。

歌わなくても、ひとは生きていけるけれど
歌があれば、もっとしあわせになれるみたい。
歌うことの喜びが、歌うほどにからだからあふれてきて、
ああ生きているって素晴らしい、と素直に思える。
1万人で歌うという、無謀にも思えるプロジェクトだけど
1万本の花が、今日は会場いっぱいに咲きました。

来年ももし、帰ってくることが出来たなら
もう一回り大きな花を咲かせることが出来ますように。
そして音楽のあるこの世界に、心からの感謝と祝福を。

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第九のリハーサルを終えて

2009年12月05日 22時12分00秒 | 音楽・アート
雨の予報にもかかわらず、お昼前から晴れて
暖かな小春日和に恵まれた、今日は総合リハーサル。
今年は東京からも400人が乗り込んできたとかで、
会場内は、心地良い緊張感とワクワク感でいっぱい。

今年は去年より、全体的にまとまりがあって、
佐渡さんにも誉められたくらい、いい感じ。
反省点はいっぱいあったけれど、総崩れにはならず、
わたし自身も去年よりは余裕が出てきたせいか、
佐渡さんを始め、オーケストラや名のあるソリストの方々と
また一緒に歌えること、この舞台に帰ってこられたこと、
そのよろこびをたっぷり味わいながら歌うことが出来て。

今年のわたしのテーマは、笑顔で歌うこと。
簡単なようで、これが結構難しくて。
一生懸命になればなるほど、必死の形相になってしまい、
それでは喜びも愛も歌にすることなど出来ないから。


(ライトアップされた、最高に幸せな歓喜の舞台)

今年のゲストは、槙原敬之さんで、
一緒に歌うのは、「世界で一つだけの花」。
この歌詞は、本当にだいすき。
マッキーと一緒に歌えて、本当に楽しくてしあわせ。

ムゲンノカナタヘ」という歌も歌ってくれたのだけど
これがまたまたいい曲で、聴いていて涙がこぼれてしまった。
佐渡さんの指揮で歌えるだけでもこの上なく幸せなのに
生のオーケストラやソリストの方々の素晴らしい歌声に包まれ、
さらにはマッキーのこんな素敵な歌まで聴けるのだから
明日は間違いなく、最高にしあわせな一日。

コメント (2)
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