大ヒット中の『ナルニア国物語』の公開前日、
たまたま聴いていたラジオ番組で、
「子どもさんのいらっしゃる方はぜひ一緒に観にいってください。
きっと20年後とかに思い出しますから」と
某映画サイトの編集長が語っていました。
この言葉はたぶん本当。
小学生の頃に家族と観に行った映画は、
まさに20年後、頭の中に甦ってきました。
今のようなシネコンのなかった時代ですし、
家族で観る映画は特別に感じたのかもしれません。
私にはそんな特別に覚えている映画が3本あります。
1本目は『メリーゴーランド』(1974)。
父子家庭に育つ少年、ルカ。
彼が不治の病にかかっていることがわかり、
仕事一筋だった父親はやっと息子と過ごすように。
深夜の遊園地、メリーゴーランドに揺られながら
ルカが父親の腕の中で息絶える間際の台詞が
「パパ、僕たち、もう会えないんだね」。
これが泣かずしてどうする。
話を理解するには幼すぎた弟以外、大泣き。
フランス映画だと思い込んでいたのですが、
最近調べたらイタリア映画。監督も俳優もほぼ無名。
お涙頂戴映画の典型でしたが、切ない音楽は出色。
数日後、両親にせがんで近所のレコード店へ。
メインテーマ曲のレコードは今も大事にしています。
2本目が『失はれた地平線』(1937)。
ヒマラヤ山中に不時着した飛行機から脱出した乗客たちが
シャングリ・ラ(理想郷)を探し求めて吹雪の中を彷徨います。
シャングリ・ラに辿り着いたその瞬間の「ア~レ~」な展開が
私にとっては衝撃的でした。
後に知ったのは『素晴らしき哉、人生!』(1946)と同じく
巨匠フランク・キャプラの作品であったということ。
彼の作品の中では異色のSF冒険大作が本作でした。
余談ながら、アメリカンの良心を描き続けたと言われる同監督、
てっきりアメリカ人だと思っていたら、
イタリアのシチリア島、ぶどう園の生まれでした。
3本目はなぜか大晦日に観た『ブラックホール』(1979)。
いかにしてブラックホールを通過するかという超半端な出来のSF。
ブラックホールを抜けたあとのオチに唖然。
『サイコ』(1960)のノーマン・ベイツ役のイメージを生涯払拭できなかった
アンソニー・パーキンスが出演していたことを後で知りました。
3作とも、家族で観る映画として選んだ理由を
両親は覚えていませんでしたが、
名作とはまた別の意味で強烈な印象を残し、
今の私の心をくすぐる楽しい選択に感謝。
たまたま聴いていたラジオ番組で、
「子どもさんのいらっしゃる方はぜひ一緒に観にいってください。
きっと20年後とかに思い出しますから」と
某映画サイトの編集長が語っていました。
この言葉はたぶん本当。
小学生の頃に家族と観に行った映画は、
まさに20年後、頭の中に甦ってきました。
今のようなシネコンのなかった時代ですし、
家族で観る映画は特別に感じたのかもしれません。
私にはそんな特別に覚えている映画が3本あります。
1本目は『メリーゴーランド』(1974)。
父子家庭に育つ少年、ルカ。
彼が不治の病にかかっていることがわかり、
仕事一筋だった父親はやっと息子と過ごすように。
深夜の遊園地、メリーゴーランドに揺られながら
ルカが父親の腕の中で息絶える間際の台詞が
「パパ、僕たち、もう会えないんだね」。
これが泣かずしてどうする。
話を理解するには幼すぎた弟以外、大泣き。
フランス映画だと思い込んでいたのですが、
最近調べたらイタリア映画。監督も俳優もほぼ無名。
お涙頂戴映画の典型でしたが、切ない音楽は出色。
数日後、両親にせがんで近所のレコード店へ。
メインテーマ曲のレコードは今も大事にしています。
2本目が『失はれた地平線』(1937)。
ヒマラヤ山中に不時着した飛行機から脱出した乗客たちが
シャングリ・ラ(理想郷)を探し求めて吹雪の中を彷徨います。
シャングリ・ラに辿り着いたその瞬間の「ア~レ~」な展開が
私にとっては衝撃的でした。
後に知ったのは『素晴らしき哉、人生!』(1946)と同じく
巨匠フランク・キャプラの作品であったということ。
彼の作品の中では異色のSF冒険大作が本作でした。
余談ながら、アメリカンの良心を描き続けたと言われる同監督、
てっきりアメリカ人だと思っていたら、
イタリアのシチリア島、ぶどう園の生まれでした。
3本目はなぜか大晦日に観た『ブラックホール』(1979)。
いかにしてブラックホールを通過するかという超半端な出来のSF。
ブラックホールを抜けたあとのオチに唖然。
『サイコ』(1960)のノーマン・ベイツ役のイメージを生涯払拭できなかった
アンソニー・パーキンスが出演していたことを後で知りました。
3作とも、家族で観る映画として選んだ理由を
両親は覚えていませんでしたが、
名作とはまた別の意味で強烈な印象を残し、
今の私の心をくすぐる楽しい選択に感謝。