旧暦八月十四日。
彼岸明けのこの日の夕方に電話が鳴った。
架けてきたのは甥っ子の貴ちゃんだ。
一週前に見舞ったふーちゃんが入院していた病院で亡くなったという。
大腸がんを患っていたが、痛がることもなく眠り着くように静かに心音が途絶えたと伝える。
一週間前、声を架けて名前を呼んだら頷いた。
聞こえていたと思われる。
医師の診断によれば五分五分。
どっちに転げるか判らない状況であった。
体力は保たれるか。大腸がんを患ったことが発覚したのはほぼ一年前。
おそらく一年ももたないだろうと通告されていたようだ。
電話があった二日後がお通夜。
満月で光り輝く十六夜の日である。
通夜の会場は大阪市福島区にあるロイヤルシティホール野田。
株式会社ベルコが運営する葬儀会館である。
おふくろを迎える地は大阪市住之江区。
AKGコーポレーションから配車された代車で出かける。
見舞いに出かけたとこも代車だった。
住之江までは特に支障もなく走行する。
さてさて困ったのは葬儀会館がある地点である。
代車に搭載されているカーナビゲーションはやや古い。
会館の電話番号は受け付けない。
古いカーナビゲーションには登録されていない。
住所番地を入力するが、これもまた末端番地がない。
ここら辺りだと見当をつけて阪神高速道路を走る。
予め見ていたパソコンマップでは福島で降りれば良いと思っていた。
なんとなく不安であった。
それが的中して淀川の橋を渡りきって塚本で下りる。
柏里・野里の通りを抜けて淀川大橋を曲がる。
道中にあった柏里は我が家と同様に戦災にあった人たちのための市営住宅。
今では高層建ての住宅地で60年前の面影はひとつもない。
野里へ通じる通りを西南へ走っていた。
ここは大正金属があった処だという。
現地は思いだせないが親父が働いていた勤務先だ。
親父はそこで経理を担当していた。
それはともかくカーナビゲーションに入力した番地を手掛かりに梅田へ向けて走る。
野田駅近くまで行けばロイヤルシティホール野田の建物が見つかった。
警備員に誘導されて駐車場に車を停める。
エレベータに乗って案内される白と黒いドレス姿の職員さん。
エレガントな感じに受けた。
通された室内は親族集合室。
挨拶を済ませて通夜の会場に行く。
亡くなったふーちゃんはエンバーミングされて霊安室に納められた。
この日はお通夜。
葬儀フロアーに移送され、寝棺は真正面。
周りを囲む祭壇の洋風花が咲き誇っていた。
ふと気がついたものがある。
小豆餡餅、赤飯、ジュースにコーヒー豆など。
そこには揚げたて出来たて天ぷらがある。
パックに詰めた天ぷらは惣菜屋さんで買ったものだろう。
これは二人の息子が特別に供えたふーちゃんが好きだった食べ物だ。
こんな仕掛けは初めてだ。
二人の心遣いに感動する。
お通夜に出仕された僧侶は伊賀上野の九品寺の住職だ。
ふーちゃんよりも先に逝ってしまった旦那さんのイチローさんの墓がある。
九品寺には代々の墓もある。
先祖供養に何度か訪れたことがある。
息子は当時の城主の武将家来だった15代目。
分家である私は16代目だと聞いているが、特別なことは何もしてない。
享年87歳で逝ったふーちゃんを弔うお通夜はマクラ念仏に通夜回向だ。
お供えに好きだった熱々のコーヒーを手向ける。
こういうセレモニーも初めてだ。
セレモニーは続きがある。
お供えをした右側に白いバラで飾った花壇がある。
そこは少しだけ空間があった。
そこに喪主、参列者一人、一人が白いバラの花で埋める。
すべて揃えて86本。
満年齢の本数だったバラの花は故人に捧げた。
通夜の儀式が終われば別室に案内された。
お通夜の夜にいただく会食は丸テーブル。
喪主、親族一同が揃って食事をする。
丸テーブル席は椅子席。
これまで何度かお通夜に出かけたことがあるが、いずれも畳席だった。
和室にいただく通夜の会食は酒の肴のおつまみ程度の軽食だった。
これが洋風ともなれば感じ方がまったく違う。
寿司盛りは丸桶ではなく四角い盆皿だ。
料理すべてが洋風の通夜膳料理はおいしくいただいた。
ホウの葉に包んだ味噌和えの鶏肉もあった。
どれもこれも美味しい料理は「季彩菜」(SHIINA)のもてなし料理。
初、初づくしの十六夜通夜だった。
(H27. 9.28 SB932SH撮影)
彼岸明けのこの日の夕方に電話が鳴った。
架けてきたのは甥っ子の貴ちゃんだ。
一週前に見舞ったふーちゃんが入院していた病院で亡くなったという。
大腸がんを患っていたが、痛がることもなく眠り着くように静かに心音が途絶えたと伝える。
一週間前、声を架けて名前を呼んだら頷いた。
聞こえていたと思われる。
医師の診断によれば五分五分。
どっちに転げるか判らない状況であった。
体力は保たれるか。大腸がんを患ったことが発覚したのはほぼ一年前。
おそらく一年ももたないだろうと通告されていたようだ。
電話があった二日後がお通夜。
満月で光り輝く十六夜の日である。
通夜の会場は大阪市福島区にあるロイヤルシティホール野田。
株式会社ベルコが運営する葬儀会館である。
おふくろを迎える地は大阪市住之江区。
AKGコーポレーションから配車された代車で出かける。
見舞いに出かけたとこも代車だった。
住之江までは特に支障もなく走行する。
さてさて困ったのは葬儀会館がある地点である。
代車に搭載されているカーナビゲーションはやや古い。
会館の電話番号は受け付けない。
古いカーナビゲーションには登録されていない。
住所番地を入力するが、これもまた末端番地がない。
ここら辺りだと見当をつけて阪神高速道路を走る。
予め見ていたパソコンマップでは福島で降りれば良いと思っていた。
なんとなく不安であった。
それが的中して淀川の橋を渡りきって塚本で下りる。
柏里・野里の通りを抜けて淀川大橋を曲がる。
道中にあった柏里は我が家と同様に戦災にあった人たちのための市営住宅。
今では高層建ての住宅地で60年前の面影はひとつもない。
野里へ通じる通りを西南へ走っていた。
ここは大正金属があった処だという。
現地は思いだせないが親父が働いていた勤務先だ。
親父はそこで経理を担当していた。
それはともかくカーナビゲーションに入力した番地を手掛かりに梅田へ向けて走る。
野田駅近くまで行けばロイヤルシティホール野田の建物が見つかった。
警備員に誘導されて駐車場に車を停める。
エレベータに乗って案内される白と黒いドレス姿の職員さん。
エレガントな感じに受けた。
通された室内は親族集合室。
挨拶を済ませて通夜の会場に行く。
亡くなったふーちゃんはエンバーミングされて霊安室に納められた。
この日はお通夜。
葬儀フロアーに移送され、寝棺は真正面。
周りを囲む祭壇の洋風花が咲き誇っていた。
ふと気がついたものがある。
小豆餡餅、赤飯、ジュースにコーヒー豆など。
そこには揚げたて出来たて天ぷらがある。
パックに詰めた天ぷらは惣菜屋さんで買ったものだろう。
これは二人の息子が特別に供えたふーちゃんが好きだった食べ物だ。
こんな仕掛けは初めてだ。
二人の心遣いに感動する。
お通夜に出仕された僧侶は伊賀上野の九品寺の住職だ。
ふーちゃんよりも先に逝ってしまった旦那さんのイチローさんの墓がある。
九品寺には代々の墓もある。
先祖供養に何度か訪れたことがある。
息子は当時の城主の武将家来だった15代目。
分家である私は16代目だと聞いているが、特別なことは何もしてない。
享年87歳で逝ったふーちゃんを弔うお通夜はマクラ念仏に通夜回向だ。
お供えに好きだった熱々のコーヒーを手向ける。
こういうセレモニーも初めてだ。
セレモニーは続きがある。
お供えをした右側に白いバラで飾った花壇がある。
そこは少しだけ空間があった。
そこに喪主、参列者一人、一人が白いバラの花で埋める。
すべて揃えて86本。
満年齢の本数だったバラの花は故人に捧げた。
通夜の儀式が終われば別室に案内された。
お通夜の夜にいただく会食は丸テーブル。
喪主、親族一同が揃って食事をする。
丸テーブル席は椅子席。
これまで何度かお通夜に出かけたことがあるが、いずれも畳席だった。
和室にいただく通夜の会食は酒の肴のおつまみ程度の軽食だった。
これが洋風ともなれば感じ方がまったく違う。
寿司盛りは丸桶ではなく四角い盆皿だ。
料理すべてが洋風の通夜膳料理はおいしくいただいた。
ホウの葉に包んだ味噌和えの鶏肉もあった。
どれもこれも美味しい料理は「季彩菜」(SHIINA)のもてなし料理。
初、初づくしの十六夜通夜だった。
(H27. 9.28 SB932SH撮影)