マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

入れ替えガスファンヒーター

2014年05月12日 07時14分42秒 | ぽつりと
ガスファンヒーターがときおりピコピコと音を鳴らす。

発生したエラーの症状は一旦電源オフをすれば元に戻る。

何年か前までは掃除をすれば治った。

が、今年になってからはそれでも発生するエラー。

器械の製造根月日を見れば22年前。

なんと驚くなかれの年月を頑張ってきたクリーンなガスファンヒーターは排気口をもつ。

汚れた空気は外に追い出す装置だ。

幼い子供がいた時期には備えておかねばならない換気方法だった。

大きくなればそれは必要ともしない。

価格面から考えても排気付きのガスファンヒーターはもう不要だ。

そう思って選んだ製品はリンナイ製の140-9403型。ブラウン色とホワイト色の二種類があった。

デザインはまったく同じだが、室内にマッチするのはどっち。

迷うことなくホワイトである。

140-9372型もあったがやや熱量が不足ぎみ。

我が家の住宅構造であれば「11畳」目安の140-9403型に決めた。

価格は通常販売の23,800円。

ジョーシン会員であれば千円引き。

それで手を打った。

家に持って帰って早速取り付け。

1980円で売っていた1mガスホースも買ってきた。

これは15%引きだ。

ホースはカチット方式。

難なく取りつけてスイッチを押した。

早いのがとりえのガスファンヒーターは室内空気が汚れる。

一時間おきぐらいに窓を開けなくてはならないと説明書に書いてあった・・と思うが、温かくなればその行為を忘れてしまう。

ピコピコと鳴りだす空気入れ替えの音。

測ってみればどうやら1時間おきに鳴る警告音であった。

それにしても室内が温かくなる早さはとにかく驚く。

噴き出す熱風もそうとうな風で新聞紙がめくれ上がってしまうのだ。

その熱風で熱さアタリになったおふくろ。

寝込んでしまったのは翌日の30日だった。

穏やかに温かくなるのは空調で良い。

冷え込む朝に最適だと思ったガスファンヒーター。

年が明けた1月11日、新聞チラシに目が飛んだ。

ジョーシン大和郡山店のチラシだ。

ガス機器もジョーシンにおまかせと銘打っていたチラシは特別大商売談会。

そこにあった同じ機種のガスファンヒーターは18,800円。

なんと5千円も安くなったのだ。

こりゃ、まいった。

(H25.12.29 SB932SH撮影)

ガス漏れ発生緊急工事

2014年04月09日 07時18分12秒 | ぽつりと
仕事を終えて帰宅コール。いつものことである。

この日の返答は「えらい騒ぎになっている」だ。

すわ、泥棒、事件・・・と思ったが違った。

工事をしていたリフォーム業者がガスの臭いに気がついた。

その件が伝えられた隣人は大阪ガスに通報され、発生場所を検出しているというのだ。

どえらいことである。

昭和45年4月8日の夕刻に発生した大規模なガス爆発事故は大阪市北区の天神橋筋六丁目。

通称「天六」である。

地下鉄谷町線の工事中に埋まっていたガス管の継手部分が抜けて都市ガスが噴出した。

大阪ガスのパトロールカーが通報した事故処理車が到着したがエンストした。

工事現場で漏れたガスは下水道管などを通して付近の建物にも広がった。

消防車も出動して周辺住民の避難および火気厳禁の要請をしていたが、エンスト車のエンジン再始動にセルモータを回した。

その火花が漏れたガスに引火した。

騒ぎを聞いた野次馬、ガス職員、消防士、警察官が居た。

そのとき突然に大爆発。

地下空間に充満していたガスに引火したのである。

たちまち10メートルも越す炎が噴出した。

次々と爆発を繰り返し、工事敷設していた舗工板に乗っていた人もろとも吹きとんだ。

事故車輌どころか信号待ちの車も吹き飛んだ。

思い出しても怖いくらいの凄惨なニュース映像が蘇った。

今から43年前の大事故を思い起こしたのではあるが、昼食の火が気にかかる。

我が家にはIHヒーターがない。

ガスコンロである。

それが止まれば昼食をいただけない。

万が一の場合はガスボンベのコンロを使うが・・・。

ガスの噴出は少ないようだが、現場は自宅前より少し東側である。

ガスの臭いは感じないが、検出器は音がするらしい。

向こう側の側溝あたりから付近一帯に目星をつけた。

ドリルか何かで穴を開けたそうだ。

隣家の引き込み管も関係するようだが、実際の発生場所は掘らなければ判らないという。

通報されてから5時間後、ようやく到着した工事車輌。

「火気厳禁」「立ち入り禁止」の札を立てて始まった緊急措置の工事。



物々しい雰囲気である。

緊急工事が終わったのは21時だった。

工事は一昼夜もかかると思っていたが4時間で終えた。

大阪ガスの職員が無事に終わったと伝えられた。

翌日、隣家の人をガス漏れ発生による緊急工事があったことを話した。

ご主人が仕事を終えて帰宅したのは翌日の1時の真夜中のことだ。

道路は水浸しで何があったのだろうかと思っていた。

自宅に上がってガスの栓をひねっても火が点かない。

工事は完了していても引き込み栓のガスが止まっていたのだ。

ガス会社にその旨、連絡すれば1時間後に到着してガス栓を開けてもらった。

そのときに始めて知った通知書はポストにあったと話す。



緊急工事を終えた場には「ガス 修 仮ホソウ」の印しを入れてある。

しばらくすれば本舗装するのであろう。

(H25.12. 4 SB932SH撮影)
(H25.12. 5 SB932SH撮影)

本舗装は何時されるのか、その件は工事関係者に聞いていなかった。

一週間ぐらいすれば行われるのであろうと思っていた11日。

仕事を終えて帰宅すればガス会社の職員が来ていた。

ピンポーンの音がするから玄関口に出た。

これから本舗装が始まると思ったが、そうではなかった。

その後の工事状況の検証であった。

その結果は、僅かであるが前回とは異なる場で発生していると云うのだ。

この日は風がきつかった。

漂っていたガスの臭いは鼻では感じない。

器械で反応するガス漏れが検出したのである。

今回は我が家の真ん前だ。

前回より1m~2mもずれている。

反応は側溝を越えた荒れ地から出ていると云う。

ガスは岩盤が堅い舗装路を通らず柔らかい地下を潜り抜けていたのである。



14時頃に到着した緊急工事車輌。

「生ガス作業中」の札を立てて工事が始まった。

冷たい風が吹く日の工事はたいへんでしょうに。



17時半にガス管取り替え工事が終わって前回同様仮舗装された。

地上より深さ1.2mから3m間に埋設しているガス本管の継ぎ手から漏れていたそうだ。

我が家の引き込み栓ではなく本管継ぎ手であった漏れ量は僅かであった。

継ぎ手管を交換して終われば土を戻して埋めていく。

一週間後ぐらいにはもう一度検証するそうだが、付近の調査もするらしい。

(H25.12.11 SB932SH撮影)
(H25.12.12 SB932SH撮影)

屋根瓦の補修

2014年03月26日 07時26分42秒 | ぽつりと
月初にやって来た「株式会社大工さん」。

契約の範囲内での定期点検だ。

2階の屋根に上がって点検した結果は散々である。

一部の屋根瓦が破損しているし、漆喰も剥がれている。

甍の波の瓦もずり落ちている。

平成22年10月には一階建ての奥の部屋の屋根瓦は修理したものの、2階建て部分は費用の関係もあってそのままにしておいた。

このままでは雨漏り状態になるのも近い将来である。

自宅建築からすでに32年も経った。

「はじまりあれば終わりあり」。

家屋であろうが、なんであろうが、物は出来あがった瞬間から終末を迎える。

賞味期限、消費期限のようなものではない家屋は住み続ける限り安全でありたい。

住まなければ朽ちていく家屋。

自宅建築の際に読み漁った建築雑誌には20年、30年という期間に壁、屋根を修理しなければならないと書いていた。

まさに今がその時期になったのだ。

屋根瓦補修の見積金額は予想をはるかに超えた20万円。

どえりゃー金額がのしかかるが、仕方がない。

本質的にはリフォームしたいが、それもできない。

十年前には壁面の塗り替えをしたこともある。

そのときの金額は60万円。

サラリーマン時代だったので何とも思わなかった。

今では年金生活。

苦しい家計のなか、なんとかねん出して修理を頼むことにした。

(H25.11.16 SB932SH撮影)

海外で金銭・カード紛失

2013年10月24日 15時16分28秒 | ぽつりと
携帯電話が鳴った。

いつもの連絡であろう。

鳴ったのはかーさんの電話だ。

遥か彼方のニュージーランドからの便りは次男の声。

自転車で闊歩している際に気がついたポケットのサイフ。

いつ、どこで落としたか判らないという。

サイフの中には働いて稼いだ金銭が30万円ほどらしい。

外貨でいえばいくらになるのか知らない。

サイフには銀行カードとクレジットカードも入っていたそうだ。

金銭は仕方ないが、カード類は危険状態。

いつ使われてしまうか、緊急の対応に迫られる。

申請後に受け取っていた通知書を探しまわった。

それがなければ番号が判らない。

暑い部屋を這いつくばって探した。

そうした書類はいろんな処に保管している。

あっちこっち探して見つかった。

そうして連絡するクレジット会社の窓口コール。

事由を伝えてカード利用の停止。

本人確認は契約者の私だ。

今のところの記録では金額操作をした痕跡はないと窓口担当者は云った。

まずは一安心であるが、たとえ親子、家族であってもカードの貸し借りはしてはならないという。

そんなやり取りがあったが、契約者確認を認めてもらって停止した。

加盟しているVISAも同時に停止する。

再発行カードはおよそ一週間以上で自宅に届けるという。

一つの対応を終えて銀行カードも直ちに行う。

カードは次男の口座。

こちらから対応するにもパスワードが要る。

スカイプを繋げて知る本人情報。

これも難なく対応を済ませたが、生活費はどうするのだ。

なにもかもなくせば一文無し。

生活はできないと思ったが、うん十万円はあるという。

それぐらいの金銭があればどうにかなる紛失騒ぎ。

今後のために海外へ金銭送金する手段を調べてみる。

たしかセブンイレブンでいけるような気がした。

日本のコンビニから海外のコンビニへ、である。

あるにはあったが、セブン銀行の口座が必要なことが判ってきた。

送金先はセブン銀行が提携しているウエスタンユニオン。

海外200カ国、48万カ所で受け取ることができるようだ。

方法はいたって簡単。

送金した際に出力される番号。

その番号を伝えて本人が海外で拠出できる窓口で同番号で引きだす。

もちろん外貨通貨に変換される金額であるが、送金額によって手数料に幅がある。

もう一つの手法は海外で銀行口座を設ける方法だ。

これが一番判りやすいし、手数料も少額だ。

どれにするかは次男と相談して上で決めよう。

(H25. 7. 5 記)

両替の手数料

2013年02月06日 06時56分33秒 | ぽつりと
引き出しを兼ねてりそな銀行やまと郡山支店に立ち寄った。

この日の主目的は両替にある。

引きだしたお金の一部を両替の機械に入れて行う操作。

画面を見れば手数料が200円。

そういうことは知っているが急いでいるので仕方ない。

操作しかけたときに店員から伝えられた言葉は「キャッシュカードを挿入すれば無料になります」の一言でやり直し。

両替は千円札が八枚、百円玉が15枚に十円玉だ。

残りをそうしてボタンを押したら手数料200円が表示された。

操作終了後に戻ってくるのだろうと思ってサイフを確かめたら100円玉と2枚の50円玉。

なぜか50円は投入できない仕組みになっている。

どうすればいいのか悩んでいたその場にまたもや店員さん。

「おかしいですね。もう一度最初からしてください」と伝えられて再操作を繰り返す。

千円札、100円玉とここまで順調。

10円を押しかけたときに「それをすれば手数料がかかります」と云われる。

なんと10円の両替ができないのだ。

とにかくほしい10円玉。

それをするには100円玉が2枚要る。

「50円×2を100円に両替をしましょう」と受付に連れていく。

両替の処置は伝票記入からだ。

云われるままに名前と電話番号を記入する。

両替は100円。

それを3か所に記入して2枚の50円を手渡した。

「しばらくお待ちください」と云われても当方は急いでいる。

両替機械の前に再び立っての操作。

10円玉は眼中にない。

千円と100円だけの両替にした。

一日に一回しか操作できない両替の仕組み。

この日の両替は中途半端なのである。

明日に回さざるを得ない10円玉の両替である。

機械の処理を終えて受け付けに戻った。

100円の両替の事務の手続きは待ってもすぐには返ってこない。

機械よりも事務が遅いのである。

銀行のサービスとはこんなもんなのだ。

すべてを終えて駐車サービス券。

それは早い。

車に戻ってよくよく考えれば10円玉の両替を事務手続きですればよかったのだと気がつく。

翌日に訪れた小泉支店。

ここには両替の機械もなけりゃ事務サービスもない。

ではどうすればいいのかと店員さんに尋ねてみれば「キャッシュサービスで40円を引き出してください」と案内された。

面倒なことだがこれしかない両替手段。

10回も操作を繰り返したのであった。

(H24.11.28 記)

性能が4万時間のLED電球

2012年10月30日 08時36分42秒 | ぽつりと
我が家のリビングは蛍光灯もあるが、それはメイン。

脇役にダウンライトがある。

その電球はもちろん白熱電球。

球切することもあるので常に買いおきをしている。

近年はLED電球が急速に安価になった。

性能もそうだが大量生産のおかげであろう。

それでも白熱球よりも数段に高い。

家電メーカーもさることながらリビングメーカーも生産している。

各社の性能はどれぐらいの差があるのか判らないが、エコ時代が叫ばれるなか我が家も切り替えた。

それは昨年の9月半ばだ。

特売陳列棚に並んでいたメーカー各社のLED電球を見比べた。

使用していた白熱球と同等の明るさはどれなんだろう。

ケースに書かれていた仕様を見てもさっぱり判らない。

そんなときは店員さんに聞くのが早い。

そうして買った製品はシャープのDL-LA61N(口金はE26)。

一般電球タイプで明るさは600ルーメン。

寿命は4万時間と表示してある。

電球を毎日点けたとして1666日間である。

4年半も保つ計算だ。

実際はそれほど点灯するものでもない。

8時間と計算すれば13年間。

おっとろしいほどの寿命になる。

こんな製品だから買いおきもまったく不要。

明るい毎日が暮らせる。

ダウンライトは四つある。

白熱電球が切れる度にLED電球に切り替えた。

いつ切り替えたのか空箱にその日付けを残しておいた。

ところがだ。

数日前に一つのLED電球が切れた。

一年を待たずに切れたLED電球。

毎日8時間点けたとしても早すぎる。

そんなわけないだろうと思って他の場所と入れ替えてみた。

チカチカと点滅状態がしばらく続いて切れる。

点灯しなくなったLED電球。

十数年も保つと思っていたLED電球が消えた。

不良品が混ざっていたのであろうか。

製品箱に表示してある4万時間は製品保証であろう。

買ったお店はジョーシン大和郡山店。

おそるおそる消えた製品を持って切れたことを店員さんに伝えた。

しばらくすると上位者と思われる店員が現れた。

同じことを伝えた。

ジョーシンは会員カードを持っていいる。

それを差し出して購入履歴を確認された。

買った日付けが出てくる。

購入者であることに間違いないことを確かめられた。

で、答えは「交換します」。

残る三つの寿命。

ロット不良の場合なら同じように切れるのでは思う毎日だ。

(H24. 8.17 SB932SH撮影)

企業年金があったんだ

2012年09月04日 08時36分26秒 | ぽつりと
6月末のことだ。

郵便物が届いた。

見慣れないところから届いた封書を開封してみれば私の名がある。

会社の名はどこかで聞いたことがある企業年金ビジネスサービス㈱。

ビジネスマン時代に勤めていた親会社の関連会社だ。

生保の保険関連事業の一社で企業年金の制度管理業務を請け負う事務代行会社である。

そこからの通知によれば、「企業年金受給権者現況届」を返送くださいとある。

なんなのこれはと思った。

文面を見れば、以前に勤めていた会社を退職した際に企業年金保険法に基づいて退職年金の受給資格を得て、保証期間部分の10年分を一時金選択したとある。

その部分は既に支払われている。

その通知には退職年金は支払い期間が15年で、保証期間が10年とあった。

つまり退職してから10年を経過したことを云っているのである。

平成14年の9月末に早期定年で退職してから10年も経った。

今後は満了後の支給として一年毎に年金を支払うという通知だ。

支払いにあたっては本人の生存が確認されなければならない。

そういうことで「企業年金受給権者現況届」が必要になった。

この届は毎年送られてくる。

その都度において現況を知らせる。

それにはその届けに市役所の確認印が要る。

役所の窓口にそのことを伝えれば直ちに対応をしてくれた。

通知文をみるからに今後の5年間が支払われると云う企業年金(退職年金)受給。

そんなことはすっかり失念していたありがたい支給。

金額の多寡はとにかくありがたい通知であるが支払いは10月以降になるであろう。

現況届を送付すれば支払い通知書が届いた。

21日のことだ。

それによれば月額年金額が○○円だった。

年金支払い月は6月からで、3カ月(1、4、7、10月1日)単位に一度の支払いとなっていた。

月額にすれば、なんと現在の送迎業務よりも多いではないか。

ありがたい、

ありがたい企業年金だが、今後の生存5年間までだ。

映像はこの件とはなんら関係ない塀のハト。

旧村集落に出かけた際は必ずといっていいほど屋根や塀、壁を見上げる。

そこには大黒さん、戎さん、鍾馗さんなど、飾り瓦の彫り物がよく見られる。

額田部町のある家では桃の実だった。

ここ白土町にあったのはハトだが、桃の実は珍しい。

(H24. 7. 5 SB932SH撮影)

再就職への一歩

2011年07月01日 08時05分33秒 | ぽつりと
仮採用を伝えられた4日後。

初めての研修に就いた。

仕事といえば院に通所される患者さんを自宅で迎えて院まで送迎車で送ることだ。

行先は曜日によって異なる。

患者さんは50数名でお住まいはぞれぞれだ。

午前中には3便で昼からは1便の合計4便を行ったきり来たりする。

治療を終えれば自宅まで送り届ける。

安全運転はもっともだが送迎の間に人身事故があってはならない。

足腰の弱い後期高齢者の方は自宅を出て車に乗る間に倒れたらなんにもならない。

要介護まではいかない方ではあるが安全第一に送迎しなくてはならない。

この2週間は、住まい、名前、お顔を覚えなくてはならないが毎日のコースが違うので一回ぐらいでは到底覚えられない。

先輩が運転する車に同乗してそのやり取りを見習う。

そう、この期間は見習いなのだ。

発着記録はその都度しなければならないというが次の人へと頭がよぎるとつい忘れてしまう。

当日の予約が入っている状況を確認して効率よい送迎ルートを確立する。

近い人もおれば遠方地もある。

これがなかなか頭に入らない。

氏名リストを見てもどこの人で住まいはどこか・・なんてものはすぐには浮かばない。

何日要したら覚えられるのだろうか。

1便は院での治療が始まる1時間前に出発する。

戻ってきたら2便目だ。

もういっぺん戻ってきたら治療を済ませた人たちを順繰りに送っていく。

そして3便目の人を乗せていく。

この繰り返しだが人数が多ければひっきりなしっていう感じだ。

もちろん一服する間もない。

トイレに行く間もない。

3便の戻りを終えたらとっくに昼を過ぎている。

その時間になれば4便目の出発。

もちろん昼食をとる間もなく戻ってからようやく休憩となる。

地域、道路は私よりもよく知っていると7年間も勤めている先輩は驚かれた。

送迎する地域といえばほとんどが市内の旧村。

周辺市外もあるがそれらは行事取材で行ったところばかり。

狭い道も、取材でお世話になった人も居る地域で20町あまりにもなる。

9町は始めてだが近在地を知っているので特に問題はないが住まいへ入る目印を覚えなくてはならない。

これを3日間続けたあと4日目にして運転者になった。

もちろん助手席には先輩がついている。

チェンジ、アクセル、ハンドルなどすべてが愛車と異なる操作具合。

慣れるまでぎこちない動作がでる。

その3日目のことだ。

N家の壁をバンパーでこすってしまって車体にキズをつけてしまった。

そう、道も住居も知っている旧村の一つ。

そこは市内でもっとも狭い道の村だったのだ。

仮採用の身でありながら事故を起こしてしまった。

オリエンテーションではくれぐれも安全運転をといわれていた。

場合によっては損害弁償してもらわなあかんといわれていた。

直ちに送迎配車担当者へ報告したのはいうまでもない。

もちろん院長にもお詫び申しあげた。

であるのに、「車のキズぐらいは構わない。人身事故ではなくて良かった。ガンバッテください」と言われて肩を叩かれた。

なんというありがたい言葉だ。

できることなら70歳まで送迎ドライバーを勤めてほしいと願われた。

そうして7回の見習い期間を終えて本採用になったが毎回自宅へ帰ったとたんに疲れがでてぐったりする。

心に余裕がでてくるのはいつごろになるだろうか。

(H23. 5.17 記)
(H23. 5.24 SB932SH撮影)

立ち話で仮採用

2011年06月24日 07時12分28秒 | ぽつりと
4月はのんびりと暮せる。

5月に入ればそうはいかない。

毎週日曜日は新聞のチラシに目を落とすかーさん。

それを見ては切り取って私に手渡す。

取材に影響を与えないような職種ってあるのか。

週2、3日程度で構わないような仕事ってあるのか。

あることはあるがお気に入りは出てこない。

そもそも心のなかでは一年くらいはゆっくりしたいと思っているからなんくせを付けてゴミ箱へいく。

それは日々追い詰められていく現状にあった。

なんたって老齢基礎年金だけで暮らしていくにはこの先の生活破たんが目にみえているからだ。

いつかはふんぎりをつけなくてはならないだろう。

この日も切り抜きを手渡された。

放っておいたらなんで電話しないのとプッシュされた。

これは本気で財布におカネがないことをいっている。

背中をポンと叩かれたように電話をすれば不在だった。

数時間後もそうであろうと思っていたら受話器の向こうから声が聞こえた。

診断書、ではなくて「履歴書を持参して指定日に来てください」と伝えられた。

そうして9年ぶりの面接にいった。

緊張するのはいうまでもない。

何を話したっけ・・・。

思い出すにはこれまでの仕事内容と休日の際に地区周辺を含めて県内の民俗行事を取材していることぐらいかな。

記憶が残らないぐらいだから不採用だろうと思っていたら翌日に電話があった。

「仮採用ですが来てください」ということだ。

次週には毎日の研修にあたってほしい。

その前にはオリエンテーションを受けてほしいと伝えられたので出かけた。

その日の面接を終えて出ようとしたとき歩道を歩くご婦人に声をかけられた。

なんと観光ボランティアガイドクラブのNさんだ。

数年間も休部されていたのだが4月から復帰したという。

正暦寺でのお勤めはかわらずされているそうで、3月には初めて鉦を打ったそうだ。

そんな立ち話の姿を見ていた面談後の院長は仮採用を決めることにしたという。

Nさんは私にとって再就職への女神となったわけだ。

(H23. 5.12 記)

気分が滅入る

2011年05月16日 08時27分35秒 | ぽつりと
深夜11時32分、震度6強(マグニチュ-ド7.2)の地震が再び襲った東北地方。

震源地は宮城だった。

送別会を終えたその夜は寝床のなかだった。

翌朝、起きてみれば実弟から着信履歴が残っていた。

発生から1時間後の時間帯だ。

返信したら上ずった声が聞こえてきた。

突きあげられるような揺れに家具やテレビが倒れた。

タンスの下敷きにならんでよかったけど、コワイから車のなかにいてた。

電気も止まった。

やっと回復した矢先の揺れが強い余震にたまらんという。

再びローソク生活なんで気分が滅入って精神的にまいっていやになってしまうと話す。

プロパンはそろそろ尽きてしまう。

カセットコンロは使い果たした。

朝のテレビでは避難所の映像が出ているものの、そんな実弟の様子は放送されていない。

ネットもそうだ。

励ましの言葉は見つからない。

援助できるのはなにだと考えてそのカセットコンロのボンベを買ってきた。

宅配便で送ることにしたが・・・。それは送れない。

「火種」は送ることができないちゅうわけだ。

どうしたら届くのであろうか手段は見つからない。

弟家族が住む青葉地区。

都市ガスは数日前に繋がってようやくお風呂に入れたその晩に再び止まった様子を夕方のニュースで伝えていた。

かわいそうやけど怪我なくてよかったとおふくろがいう。

そのおふくろは通じた電話で状況を聞いていた。

それから一晩中地震のニュースを見ていたそうだ。

前日には従姉の旦那のFさんが家にやってきて義援金を送ってほしいと伝えられた。

その前の日には従妹のHちゃんから送られた梅干しを食べていた。

それはたいそう美味しかったから仙台に送ったら喜ぶやろなと思って送り主に電話をした。

震災にあっていることは知らなかったそうだ。

そんなんやったらすぐに送ってあげると・・・。

従妹も弟に電話したそうだ。

子供のときから一緒に遊んでいた従妹たち。

長電話になったそうだ。

義援金を現金書留で送った。

最大の余震が発生したのはその夜のことだった。

余震の痕跡がタテ200km、ヨコ500kmの広範囲に亘って相当数が発生している。

印は真っ赤だ。

遠く離れた私はそれを見てさらに滅入っていく。

それから2日後の朝。

宅配便が不可ならネット通販はどうだろうかと思って試しに探ってみた。

楽天ショップのメガカスタマイズの「コン郎」の在庫はまだあるようだ。

送り先を実弟宅に指定して注文した。

受付は完了メッセージを出力した。

無事に着いてくれればいいのだが・・・。

11日の17時16分には福島県内で震度6弱(マグニチュード7.1)が発生。

宮城は4弱だった。

その10分後には5弱が・・・。

心が安らむ日がまた遠のくその2時間後には無事にガスボンベが届いたと電話があった。

都市ガスだけがまだ復活していない。

近くまで工事が進んでいるのだが管に水が溜まっておおじょうしているらしい。

それまでは送ったガスボンベが役立つので助かると喜んでいた。

<写真は送別会の花束>

(H23. 4. 7 記)
(H23. 4. 8 SB932SH撮影)