下仁興町の九頭神社では毎年2月2日に宮本六人衆があつまって「御(ご)ぜんさん」が行われている。
平成11年に神社祭礼を改正された。お供えも食事も大改革して実に簡素になったという。
当時は宮本衆や年預(ねんにょ)と呼ばれる年番の人が「御(ご)ぜんさん」の食事を作っていた。
アンコモチは羽二重餅だったと回想される。
たいそうな食事はパック詰め料理に変わった。
年預も必要としなくなったので六人衆で執行されている。
神事を終えた一同は社務所で直会。
膳をよばれてお酒を飲む。
4日はダンジョ、8日は薬師さんのカンジョウ掛け。
11日は祈年祭の的打ちと祭礼が次々と続く2月の行事の段取りを話し合う。
ダンジョの日にはフシの木を四つに割いてゴンズイを作る。
それはゴーサン(牛玉宝印)で旧極楽寺の行事。
田植え前の水口に供えるもの。
節分と弓の的の二本を作る。
ダンジョのゴンズイは成人した人を祝って、シデの木やタロ(タラ)の木でハナカズラを作る。
カンジョウ掛けは12月に続いて翌年の2月にも行われる。
12月は松房飾りだが2月はシキビを飾る。
出幸の前には極楽寺の薬師さんの前で無病息災を祈る。
祈年祭は的座式といって鬼的めがけて矢を射る。
3月は春祭り。
六人衆はなにかと忙しいのである。
九頭神社の秋祭りには子供が取り組む相撲があった。
対象者は中学一年生までの少年たち。
昨年は子供が3人、大人も加わってなんとか執行できたが、今年はおらんしできんやろなあと仰った。
下仁興にはかつて庚申講があった。
当時は大和郡山の小泉まで出かけて金輪院に参っていた。
ずいぶんと前になくなってしまったが、お札と掛け軸が残っている。
1月15日はとんどをしていた。「あらたまの としのはじめに ふでとりて よろずのたから かきぞおさむめ」と言って習字の書を焼いていた。
焼いた餅を食べると歯が強くなるといっていた。
(H22. 2. 2 EOS40D撮影)
平成11年に神社祭礼を改正された。お供えも食事も大改革して実に簡素になったという。
当時は宮本衆や年預(ねんにょ)と呼ばれる年番の人が「御(ご)ぜんさん」の食事を作っていた。
アンコモチは羽二重餅だったと回想される。
たいそうな食事はパック詰め料理に変わった。
年預も必要としなくなったので六人衆で執行されている。
神事を終えた一同は社務所で直会。
膳をよばれてお酒を飲む。
4日はダンジョ、8日は薬師さんのカンジョウ掛け。
11日は祈年祭の的打ちと祭礼が次々と続く2月の行事の段取りを話し合う。
ダンジョの日にはフシの木を四つに割いてゴンズイを作る。
それはゴーサン(牛玉宝印)で旧極楽寺の行事。
田植え前の水口に供えるもの。
節分と弓の的の二本を作る。
ダンジョのゴンズイは成人した人を祝って、シデの木やタロ(タラ)の木でハナカズラを作る。
カンジョウ掛けは12月に続いて翌年の2月にも行われる。
12月は松房飾りだが2月はシキビを飾る。
出幸の前には極楽寺の薬師さんの前で無病息災を祈る。
祈年祭は的座式といって鬼的めがけて矢を射る。
3月は春祭り。
六人衆はなにかと忙しいのである。
九頭神社の秋祭りには子供が取り組む相撲があった。
対象者は中学一年生までの少年たち。
昨年は子供が3人、大人も加わってなんとか執行できたが、今年はおらんしできんやろなあと仰った。
下仁興にはかつて庚申講があった。
当時は大和郡山の小泉まで出かけて金輪院に参っていた。
ずいぶんと前になくなってしまったが、お札と掛け軸が残っている。
1月15日はとんどをしていた。「あらたまの としのはじめに ふでとりて よろずのたから かきぞおさむめ」と言って習字の書を焼いていた。
焼いた餅を食べると歯が強くなるといっていた。
(H22. 2. 2 EOS40D撮影)