年初めに村中の五穀豊穣、平和安穏を願う行事が各地で行われている。
山添村の北野津越では年始に村人が集まって初祈祷を営んでいる。
北野津越は11軒。
年番にあたる年預(ねんにょ)は二組。
軒数が少ないだけに回りが早い。
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参集する前には会所にもなっている薬師堂の炊事場で料理を作っていく。
それは集会の折りに出される豆腐の田楽である。
一軒に一丁の豆腐を買ってくる。
かつては村の豆腐屋で作られた豆腐を買っていた。
廃業されてからは大橋の大矢商店で購入している市販品。
それを十字に包丁を入れて四つに分けて手作りの竹串に挿す。
炭火を焚いた囲炉裏で豆腐を焼いていく。
買った豆腐は水分をたっぷりと含んでいる。
そのままでは豆腐田楽にはしにくい。
それゆえ前日から水切りをしたという。
まな板を斜めにして豆腐を置く。
そうしておくと豆腐の水分が流れていく。
前日の昼からこの日の朝までの丸一日もかかったという。
手間がかかっている豆腐である。
火の勢いが強いからと網を出された。
そうしても火の勢いが強いから竹串が焼けてしまう。
しかたなくアルミホイルで火除けをする。
豆腐に焦げ目がついたころが丁度いい。
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焼けた豆腐に自家製の味噌タレをつけて皿に盛る。
津越組の八幡さんや薬師如来に御供飯とともに供えておく。
初祈祷の日は6日と決まっているが、年預の仕事の関係もあってこの年は日曜日となった。
サラリーマンは行事を勤めていくのが難しくなったという。
そうこうしているうちに風呂敷包みを持った村人が薬師堂に集まりだした。
正月を迎えたお堂には門松を立て注連縄を張っている。
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座についた津越組の人たちは八幡さんに向かって参拝する。
このときはOさんが神主役となって祝詞を奏上した。
神前に向かって正座する。
二礼、二拍手、一礼と神事作法に則り儀式を終えた。
いつもの作法である。
その後、すぐに年預が新年の挨拶をされた。
そうして始まったフリアゲの儀式。
何の役を決めるのか。
それは京都にある石清水八幡宮へ参って神符札を授かってくる役目なのである。
一回目が大正八年一月に始まった代参の役目。
その文書は大切に保管されている。
フリアゲ作法によって行われる代参の人は半紙で蓋をされた茶碗に入れられている。
半紙には小さな穴が開けられている。
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それを両手に持って年預が振り上げる。
上げると言ってもスローではない。
ひょいと振るのだ。
そうすると穴から丸められた紙片が飛び出す。
それが一人目の代参者。
代参は二人で行かねばならないからもう一回される。
そして何らかの事情で代参をすることができなくなるかもしれないと予備の一人を選ぶフリアゲをした。
八幡さんの前で厳粛に選び出された氏名を発表されたフリアゲ神事であった。
こうして終えた初祈祷の儀式。
その後は会食に移る。
テーブルにはすき焼き鍋が用意されている。
飛びきり上等の鹿児島牛のすき焼きが焼ける音がジュウジュウ。
醤油と砂糖の味付けは食欲をそそる香りがする。
八幡さんはハトがシンボル。
小さな木彫りの神さんの傍らにハトが並んでいる。
ハトは2本足。
そういうことですき焼きは牛肉に決まっている。
すき焼きには玉子がつきものだが津越ではそれも出さないという。
正月の酒宴はすき焼きをよばれながら談笑に包まれる初祈祷の日。
年預が焼いた田楽豆腐も皿に盛って席にだされる。
「昔はもっと固めやったな」と話される豆腐は自家製味噌が味を増す。
何本も食べてしまう美味しい田楽だ。
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数時間に亘る宴は会場がすき焼きの香りで充満した。
会場が暑くなってきたからと、ときおり窓を開放する。
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そうこうしているときのことだ。
酒宴が始まっておよそ2時間半。
自宅から持ってきた風呂敷包みを開いていく。
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中からでてきたのは重箱に詰められたアブラゲメシ。
漬物もある。
これらは自家製のメシと漬物である。
カシワの出汁だけで炊いたという人。
「アブラゲだけやちゅうのに、おまえとこはコンニャクやニンジンが入っているんや」と声がかかる。
すかさず隣の人は「うちはシイタケも入れてるで」という。
もう一人が持ってきたアブラゲメシにはマッタケも見られた。
それぞれの家で炊かれたアブラゲメシである。
どれもこれも美味しい味は家の料理。
「それぞれの家の味を堪能した」と言えば、「そりゃ違う。炊いている嫁の味や」の声が返ってきた。
すき焼きに田楽豆腐、アブラゲメシでお腹がいっぱいになる。
白いご飯の御供もよばれるのだが「もう食べられんで」と口々にいう。
9月の京のメシの行事もそうだが、津越は食べるのが目的の行事のようである。
〆に出される味噌仕立ての豆腐汁で酒宴を終えた。
庭にセンリョウ、マンリョウ、カシの三種の木を植えるというTさん。
それは貸すことができるくらいに金持ち長者の家だという。
F家では1月7日の朝に自宅から山の神に男の数だけヤマノモチを供える。
その際には山の神のほうに向けてモチを投げるそうだ。
元日の朝は水を溜めた器にダイダイを入れて顔を洗う。
ゴマイゼンと呼ばれる膳を当主が頭の上にあげて家の神さんに祈る。
その膳は大きなモチが二段。
シダやコンブとホシガキ。
12個のコモチを置いてお金を添える。
12個のモチはツキノモチであろう。
(H24. 1. 8 EOS40D撮影)
山添村の北野津越では年始に村人が集まって初祈祷を営んでいる。
北野津越は11軒。
年番にあたる年預(ねんにょ)は二組。
軒数が少ないだけに回りが早い。
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参集する前には会所にもなっている薬師堂の炊事場で料理を作っていく。
それは集会の折りに出される豆腐の田楽である。
一軒に一丁の豆腐を買ってくる。
かつては村の豆腐屋で作られた豆腐を買っていた。
廃業されてからは大橋の大矢商店で購入している市販品。
それを十字に包丁を入れて四つに分けて手作りの竹串に挿す。
炭火を焚いた囲炉裏で豆腐を焼いていく。
買った豆腐は水分をたっぷりと含んでいる。
そのままでは豆腐田楽にはしにくい。
それゆえ前日から水切りをしたという。
まな板を斜めにして豆腐を置く。
そうしておくと豆腐の水分が流れていく。
前日の昼からこの日の朝までの丸一日もかかったという。
手間がかかっている豆腐である。
火の勢いが強いからと網を出された。
そうしても火の勢いが強いから竹串が焼けてしまう。
しかたなくアルミホイルで火除けをする。
豆腐に焦げ目がついたころが丁度いい。
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焼けた豆腐に自家製の味噌タレをつけて皿に盛る。
津越組の八幡さんや薬師如来に御供飯とともに供えておく。
初祈祷の日は6日と決まっているが、年預の仕事の関係もあってこの年は日曜日となった。
サラリーマンは行事を勤めていくのが難しくなったという。
そうこうしているうちに風呂敷包みを持った村人が薬師堂に集まりだした。
正月を迎えたお堂には門松を立て注連縄を張っている。
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座についた津越組の人たちは八幡さんに向かって参拝する。
このときはOさんが神主役となって祝詞を奏上した。
神前に向かって正座する。
二礼、二拍手、一礼と神事作法に則り儀式を終えた。
いつもの作法である。
その後、すぐに年預が新年の挨拶をされた。
そうして始まったフリアゲの儀式。
何の役を決めるのか。
それは京都にある石清水八幡宮へ参って神符札を授かってくる役目なのである。
一回目が大正八年一月に始まった代参の役目。
その文書は大切に保管されている。
フリアゲ作法によって行われる代参の人は半紙で蓋をされた茶碗に入れられている。
半紙には小さな穴が開けられている。
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それを両手に持って年預が振り上げる。
上げると言ってもスローではない。
ひょいと振るのだ。
そうすると穴から丸められた紙片が飛び出す。
それが一人目の代参者。
代参は二人で行かねばならないからもう一回される。
そして何らかの事情で代参をすることができなくなるかもしれないと予備の一人を選ぶフリアゲをした。
八幡さんの前で厳粛に選び出された氏名を発表されたフリアゲ神事であった。
こうして終えた初祈祷の儀式。
その後は会食に移る。
テーブルにはすき焼き鍋が用意されている。
飛びきり上等の鹿児島牛のすき焼きが焼ける音がジュウジュウ。
醤油と砂糖の味付けは食欲をそそる香りがする。
八幡さんはハトがシンボル。
小さな木彫りの神さんの傍らにハトが並んでいる。
ハトは2本足。
そういうことですき焼きは牛肉に決まっている。
すき焼きには玉子がつきものだが津越ではそれも出さないという。
正月の酒宴はすき焼きをよばれながら談笑に包まれる初祈祷の日。
年預が焼いた田楽豆腐も皿に盛って席にだされる。
「昔はもっと固めやったな」と話される豆腐は自家製味噌が味を増す。
何本も食べてしまう美味しい田楽だ。
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数時間に亘る宴は会場がすき焼きの香りで充満した。
会場が暑くなってきたからと、ときおり窓を開放する。
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そうこうしているときのことだ。
酒宴が始まっておよそ2時間半。
自宅から持ってきた風呂敷包みを開いていく。
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中からでてきたのは重箱に詰められたアブラゲメシ。
漬物もある。
これらは自家製のメシと漬物である。
カシワの出汁だけで炊いたという人。
「アブラゲだけやちゅうのに、おまえとこはコンニャクやニンジンが入っているんや」と声がかかる。
すかさず隣の人は「うちはシイタケも入れてるで」という。
もう一人が持ってきたアブラゲメシにはマッタケも見られた。
それぞれの家で炊かれたアブラゲメシである。
どれもこれも美味しい味は家の料理。
「それぞれの家の味を堪能した」と言えば、「そりゃ違う。炊いている嫁の味や」の声が返ってきた。
すき焼きに田楽豆腐、アブラゲメシでお腹がいっぱいになる。
白いご飯の御供もよばれるのだが「もう食べられんで」と口々にいう。
9月の京のメシの行事もそうだが、津越は食べるのが目的の行事のようである。
〆に出される味噌仕立ての豆腐汁で酒宴を終えた。
庭にセンリョウ、マンリョウ、カシの三種の木を植えるというTさん。
それは貸すことができるくらいに金持ち長者の家だという。
F家では1月7日の朝に自宅から山の神に男の数だけヤマノモチを供える。
その際には山の神のほうに向けてモチを投げるそうだ。
元日の朝は水を溜めた器にダイダイを入れて顔を洗う。
ゴマイゼンと呼ばれる膳を当主が頭の上にあげて家の神さんに祈る。
その膳は大きなモチが二段。
シダやコンブとホシガキ。
12個のコモチを置いてお金を添える。
12個のモチはツキノモチであろう。
(H24. 1. 8 EOS40D撮影)