マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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下笠間九頭神社オコナイ

2012年02月17日 08時07分06秒 | 宇陀市(旧室生村)へ
前日は山添村岩屋の興隆寺で宮さんの修二会が営まれた。

勧請掛けと思われる「シメ」掛けにダンジョーの太鼓叩き、ケイチンの所作と考えられる社守の魔除けの朱印作法。

それらは古くから行われている神仏習合の修正会や修二会、つまりオコナイである。

それとは打って変わる様相で行われた宇陀市室生の下笠間のオコナイ。

九頭神社社殿際に祭壇を設えて行われる。

下笠間ではオコナイを「行い」と表記していた。

江戸時代に記された古文書に、「行ひ」とか「御行く」などと書かれていることを目にしたことが度々ある。

大寺で行われてきた修二会の行法は村々に下りてきて「おこなひ」と呼ばれてきた。

現在の九頭神社には神宮寺の存在を示すもの存知しない。

江戸時代(初期であろう)の神社、神宮寺では修正会や行いと呼ばれる正月行事が営まれてきた。

寺の僧侶と村の宮座の社守が行っていた行事である。

それらの多くは法要儀礼に牛玉宝印の加持、ランジョウ、祈祷、勧請掛け(古文書ではくわんしゃうかけ、くわんせうかけ)などがあった。

さて、九頭神社ではどのような形式で行われるのであろう。



紙垂れを取り付け、四方を竹で囲んだ祭壇。

海や山、里などの産物にお神酒などを供える。

中央には「牛玉 徳ケ峰 宝印」と書かれたお札がある。

手前には「咒願」文と僧侶が用いる器が置かれた。

その脇にはウルシの木で作られた弓矢がある。

祭壇の後方にもウルシの枝木がある。

僧侶は融通念仏宗派春覚寺の住職である。

役員たちが並ぶなか、僧侶は咒願奏上、念仏を唱えていく。

15分ほど経過したころだろうか。

俄かに僧侶は弓を手にした。



そして同材のウルシの矢をかけて射った。

矢は四方へ放たれた。

東西南北の方向であろう。

それを済ましたあとは役員の焼香。

再び僧侶は念仏を唱える。

静けさを取り戻して、再び念仏を唱える。

およそ8分ぐらいであろうか、塩を撒いて祭壇周りを清めていく。

こうして村から邪気を払った「行い」の作法。

願わくは融通念仏の功徳を以って祈祷された。

村から災いを排除して福を為し、風水、火、旱、祟りなどが起こらぬよう祈祷されたのであった。

「行い」を終えた祈祷札は祭典後日に行われる村の総会で配られる。

宮年寄りが書かれたお札はウルシの木に巻いて苗代に立てるという。

なお、僧侶が祈祷されるようになったのは20年ほど前。

それまでは神主、つまり宮年寄りが行っていたという。

オコナイの作法は形骸化されているものの神仏習合には違いない。

ちなみに九頭神社境内には二つの注連縄が張られている。

二つもあるのは珍しい。

尋ねてみたところ一つはかつて鳥居下の道側にしていたそうだ。

道路がアスファルトに立てることができなくなって境内に寄せたという。

話を聞けばなんでもなかったが、何故という疑問は解消しておかねばならない。

(H24. 1. 7 EOS40D撮影)