10月6日に注連縄を立てて12日は宵宮を迎える天理市南六条町南方の新頭家たち。
杵築神社のマツリを終えるまでは翌年の頭家を勤めるミナライの人たちとともに桃尾の滝にやってきた。
マツリを始めるにあたって身を清める。
身を清めるといっても作法はである。
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桃尾の滝から流れる清廉な水に素足を浸して洗い清める30年ほど前にも勤められた頭家の人々が口にしたかつての場は西の斑鳩町。
竜田川へ出かけて清めていた。
当時は川砂もあった竜田川。
川の中央辺りにあった御幣岩。
そこで足を洗って清めていた。
いわゆる禊である。
いつしか竜田川はぬるぬるの川になった。
上流から流れる生活排水によって汚れた川になった。
の場は逆方角の東に移した。
そこが天理市滝本町にある桃尾の滝である。
同様に竜田川から場を替えたのは南六条北方である。
三十八神社の祭礼を勤めるオヤ・コの二人の頭家。
南方と同じように頭家から頭家渡しされた新頭家の二人とともに桃尾の滝に向かう。
南方と違っていたのは滝の小石を拾って持ち帰ることだ。
拾った小石は12個。
毎月の1日に参る日には、拾ってきた小石を神饌米とともに洗う。
清めの小石は神さんのようなもの。
神さんに供える神饌米を洗うのである。
北方の氏子たちが云うには竜田川に出かけていたのは50年以上も前のこと。
その後においては桃尾の滝になった。
竜田川での禊は下着姿になって川に入っていったと話していた。
当時は清らかな竜田川であったのだ。
そのことを語った聞取り内容を産経新聞で連載していた「やまと彩祭」に記事を書いた。
(H25. 9.29 EOS40D撮影)
杵築神社のマツリを終えるまでは翌年の頭家を勤めるミナライの人たちとともに桃尾の滝にやってきた。
マツリを始めるにあたって身を清める。
身を清めるといっても作法はである。
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桃尾の滝から流れる清廉な水に素足を浸して洗い清める30年ほど前にも勤められた頭家の人々が口にしたかつての場は西の斑鳩町。
竜田川へ出かけて清めていた。
当時は川砂もあった竜田川。
川の中央辺りにあった御幣岩。
そこで足を洗って清めていた。
いわゆる禊である。
いつしか竜田川はぬるぬるの川になった。
上流から流れる生活排水によって汚れた川になった。
の場は逆方角の東に移した。
そこが天理市滝本町にある桃尾の滝である。
同様に竜田川から場を替えたのは南六条北方である。
三十八神社の祭礼を勤めるオヤ・コの二人の頭家。
南方と同じように頭家から頭家渡しされた新頭家の二人とともに桃尾の滝に向かう。
南方と違っていたのは滝の小石を拾って持ち帰ることだ。
拾った小石は12個。
毎月の1日に参る日には、拾ってきた小石を神饌米とともに洗う。
清めの小石は神さんのようなもの。
神さんに供える神饌米を洗うのである。
北方の氏子たちが云うには竜田川に出かけていたのは50年以上も前のこと。
その後においては桃尾の滝になった。
竜田川での禊は下着姿になって川に入っていったと話していた。
当時は清らかな竜田川であったのだ。
そのことを語った聞取り内容を産経新聞で連載していた「やまと彩祭」に記事を書いた。
(H25. 9.29 EOS40D撮影)